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いつまでも追いつかない

自分の中で勝手に作られたハードルがある。

勝手に作られた目標がある。

身近なのに、追いかけても決して届くことのない場所。

それは、自分の両親だ。

… … …
結婚してなかなか子どもを授かることが出来ず、30歳を超えてしまっていた。
自分の親が私のことを産んでくれた年齢に近づくと、何の根拠もないのに焦った。

親はもう、私の親であった年齢なのに私は子どもを授かることができない。

子どもを授かることが一段上位に行くかのような錯覚。
それでないと大人としてダメなような気がしていた。
一人前ではない、半人前の大人だ、と。
(この考え方は間違っていると今では心から思う。子どもがいようがいまいが、人としてその人生の価値が上下するものではない。)


ずっと実家暮らしが長かった私は、なかなか家で炊事洗濯掃除をする機会がなかった。
結婚して急に、食材の買い出しから慣れないご飯作り、掃除や洗濯をする段になり、どうやってこなしていこうかと考えた時、一番のロールモデルは親だとすぐ頭に浮かんだ。

親はこのくらいのレベルを日々こなしていたのだから、こうしなければならない。
これが当たり前。

私が思う親像を追いかけて毎日必死だった。
もちろん、何十年もやり続けている親には敵うはずもない。
私は結婚して数週間で、原因不明の熱を出して寝込んだ。
身体と頭から強制ストップがかかったのだ。(今となっては笑い話だが。)


それから子どもを産み、育てている時に、色んな自分の中の感情や葛藤と出会った。
子どもと対峙している時、私は大人の面を被った精神年齢の低い子どものようだった。
自分が親にしてもらったように、スマートに、そして子どもから見てさすがは親だなぁと思えるような言動はできなかった。

いつまで経っても、理想の親像には近づけない。
ひとりのまともな大人として社会の中に立てている気がいつまでもしない。

なのに年齢ばかり重ねていく。

自分の年齢がよくわからなくなる。
なぜなら、私の思うその年齢のイメージとはあまりにもかけ離れているからだ。
その年齢のイメージとは、まさに自分の親そのものだから。


親に、上記のようなことを漏らしたことがある。

すると、「私の今の年齢のときには、あなたのおばあちゃんはもう“おばあちゃん”の出で立ちだったから、昔の人は老けていたのね。私もいつまで経っても、自分の中身と実年齢がそぐわないわよ。」なんて笑って答えてくれた。

たしかに昔の人は老けていたのかもしれない。そして、昔と今とは寿命も違うし、社会に出る年齢も違う。だから親が親の両親たちと同じ年齢になっても、ちっとも同じように感じられないというのはわかる。

でも私は外見ではなく中身がちっとも追いつかないと言ってるのだよ。
いくら「実年齢よりもだいぶ若く見えますよね」なんて色んな人たちに言われても、中身を伴っていないのだから素直に喜べないよ。

親も人間であるから、至らないところ、子どもの私から見てちょっとそれはやり過ぎだよねと思うところもない訳ではない。
でも、私の中では親が自分の中で1つ大きな人生の指針というか、目印になっているんだと思う。

いつまでも追いつけない。
じゃあいっそのこと追いつかなくても良いのでは?
だって違う人間だし。

そうバッサリとも潔く決め切れない。

こうやって私は、追いつかない追いつかないと言いながらお婆さんになっていくのだろう。

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