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魔女が開く扉 安田早苗論 アライ=ヒロユキ (美術・文化社会批評) 2022.5.3-15 黄色い魔女が咲く @ギャラリーパリオ

六千年の後に世界が火で焼かれるという古の伝説は私が地獄から聞いたところによると真実である。
……かくて今有限になり、また腐敗せる如く思われている万物は焼き浄められて、無限に、神聖になる。このことは感性のよろこびの浄化によって実現されるであろう。それには先ず人間の霊と肉とが別々であるとの考えを消すべきである。  
……知覚の戸が拭い浄められたならば万物はありのままに、無限に見える。

天国と地獄の結婚 ウィリアム・ブレイク詩集 平凡社

 「魔女」という、アニメや映画以外では耳慣れない概念を作品テーマに取り組んでいるのが、アーティストの安田早苗だ。なぜ魔女か問う前に、まずはこれまでの作品を概括してみよう。彼女の作品を縦貫するモチーフはふたつある。自然とコミュニケーションだ。

 まず安田の代表的な表現は「芽が出るプロジェクト」だ。これは作家サイトから引用しよう。

芽が出るプロジェクト」は2001年京都で、「種をまくプロジェクト」として  スタートしました。 「種をまくプロジェクト」とは、紙風船に植物の種とメッセージを付け、ヘリウムガスで飛ばすプロジェクトです。 風船を拾った人には種を育ててもらい、その絵を描いて送り返してもらいました。プロジェクトは5年間続き、集まった絵は記録絵本「たびするおくりもの」としてまとめました

安田早苗HP メガプロとは?
2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く 種をまくプロジェクトビデオと記録集

 幾つかの論点が読み取れる。「メールアート」の一種。風という偶然性が伴う。媒介物は植物。「返信」は受け取った人の「植物画」という解釈、あるいは自然観。5年の継続事業のアーカイヴ集である書籍は、風船の移動という共時的な旅に通時的な旅の要素を付加し、総合的な体験の意味を持つ。社会活動のようでいて作家の身体の延長(種をまく動作)の要素も含む。播種は植林、緑の拡張でもある。

 偶然性は誰にでも起き得るため、普遍性に置き換えられる。緑の拡散、播種は受け取るものの感受性を喚起し、絵画製作を促す。これは社会プロジェクトにありがちな功利的、実利的な社会活動と異なり、行為にナラティブな要素も含む。種を受け取ったものにその熟考を促すことは「社会有機体」としての物語を育ませる。一言で言うなら、植物を契機とした全体性の回復だ。

 本プロジェクトに対し、種を蒔くことが「外来種」の拡散につながる危険性があるとの指摘が寄せられたという。その回答として安田は2018年の個展では「種をまく人」をeitoeikoで開いた。これは同プロジェクトの総括資料と外来種の植物画で構成。翌年の展示では、外来種の植物とグローバル文化の象徴とも言うべき映画の場面を描いた絵画の展示となった。

2018年 eitoeiko 種をまく人 種をまくプロジェクトの風船 写真 返ってきた作品など
2018年 eitoeiko 種をまく人 環境省外来種写真集を引用した油彩
2020年 eitoeiko だれもあのこをとめられない 
2020年 eitoeiko だれもあのこをとめられない 
左からエデンの東 二宮の菜の花 マッドマックス怒りのデスロード 油彩

 自然環境はバランスを維持する持続性、固守性だけでなく、移動性や横断性によりダイナミズムも保たれる。そこに遠い場所の外来種が侵入する事態は、異常気象か人間の干渉であろう。つまり外来種はいまや人新世と呼ばれる気候変動の象徴であり、また社会環境に置き換えるなら労働者や難民の移動、グローバリゼーションの象徴にもある。

 2021年のロクの家の個展「悪夢に咲く」では映画の要素を強くし、女性映画俳優をアイコン化し、外来種とより密接に結びつく。展覧会名の「悪夢」は、非常事態宣言より作家は毎晩1930〜50年代の映画と悪夢を見たからという。女性俳優は赤狩りと何らかの関係がある。

2021年 ロクの家 悪夢に咲く 展示風景 

 ここに自然破壊という文明論的、社会的な視点に、政治的な視点が付加される。外来種とハリウッド映画の女性俳優は、ともに土着の風物や文化を破壊する要素があるが、それ自身が被傷性も持つ。ここに現代社会の矛盾がある。

2021年 ロクの家 悪夢に咲く 悪夢1ローマの休日&オオキンケイギク

 安田は現代文明の根幹の問題に行きつく。ここで、先に述べた全体性の回復が大きな焦点となる。次に「魔女」をテーマに選んだことに大きな意味がある。2022年の「安田早苗 作品展 身体と草 魔術」は、これまでエコフェミニズムへの言及はあったが、初めて「魔女」に本格的に取り組んだ。

2021年 ロクの家 悪夢に咲く エコフェミニズムをコンセプトにした COVID19せっけん 

 展示は大きく分け、2種類の作品で構成。連作〈Body&Grass〉は平面ベースのミクストメディアの作品。星形の木片、レース状を含む布、ペンダント状のプラスチックカプセル、中にCOVID-19ウイルスをかたどったもの(石鹸)、支持体の布には油彩やアクリルなど絵具による彩色とサイアノタイプによる作家のシルエット、さらに古代ルーン文字の言葉(「幸運を連れてくる」など)、などで構成。サイアノタイプとは薬品を塗布した平面上の素材の上に被写体を置き、光による感光で明暗を作る技法だ。

Body&Grass no.32 31 30 Spellcraft 3 2 1

 もうひとつは〈Young Witch〉と題された連作で、先の2語の次に少女の名を付する。環境活動家のグレタ・トゥンベリ、ジャンヌ・ダルク、それに「ハリーポッター」シリーズのハーマイオニー・グレンジャーが描かれている。こちらは純粋な肖像画のドローイング。いずれも魔女と世間から呼ばれる少女がモチーフだ。

Young Witch Greta, Janne ,Greta

 〈Young Witch〉は、特にグレタについてだが、女性の公的イメージに亀裂を入れる。存在を忌避されるものを取りあげ、表象化する。これはリアリズムの最大の武器だ。特に、魔女として語られ、消費される日本のサブカルチャーのステロタイプ的表象への批判的視点を強調したい。具体的には「萌え少女」のコンテンツの「魔法少女もの」があるだろう。だが実際には数多い少女を扱う表現にも異端はある。アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」シリーズもそうだが、ここではアニメ『少女革命ウテナ』について触れたい。本作にこんなセリフがある。

 「お姫様になれない女の子は、魔女になるしかないんだよ!」

 ここには魔女の意味が端的に総括されている。〈Body&Grass〉は、社会点要素も含まれるが、文明論的要素のほうが強い。これは「実在の魔女」を扱うためだ。魔女は長らく差別されてきた歴史を持つがゆえに、現代では解放と再生の象徴でもある。

 まず歴史をひもとくと、近代以前、魔女狩りによって「魔女とされた」多くの人物が犠牲になった。これは10万人弱とも言う(男性も含まれる)。ヨーロッパ社会は、キリスト教の布教で旧来の多神教という「異教」は虐げられ、排斥されたが、かろうじてハロウィンやメイポールなどの文化習俗としての「習合」で命脈を保った。近世はヨーロッパ諸国の世界進出により、経済的搾取と宗教的統制の大きな災厄が振りまかれた。これは国内でも同じで、異端/異教的存在は徹底的に「浄化」された。異端審問による魔女裁判もそのひとつだ。15世紀末のインノケンティウス8世はその強力な推進者だ。

 また17世紀には、神権政治と呼ばれたアメリカ東部でセーラムの魔女事件が起こり、19名が処刑された。カリブ海バルバドス島出身の奴隷、ティチューバも起訴されたが、1年程度の量刑で死を免れた。この不寛容と抑圧の根底には、女性だけでなく植民地支配の階級構造もあったことがわかる。

 19世紀になると、異教もしくは魔女をめぐる風向きは大きく変わる。帝国主義、産業文明、自然破壊といったヨーロッパ近代文明の見直しの気運が起こった。その代表的な思潮がロマン主義だ。これは古い文化の再発見のかたちも取り、文学での民話再発見や建築でのゴシック・リヴァイヴァルなど古い様式の再構築もそうした例だ。

 「異教」は、反時代的とされたもの、つまり当時の主流のキリスト教などの道徳的価値観にそぐわないものの呼び名だった。ルネサンス・ヒューマニズムがそうであったし、ラファエル前派もそう呼ばれた。ラファエル前派は実際に異教的モチーフを多用した。異教と魔女は、そうした時代潮流のなか「復興」した。

2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く 4つのエレメントがある魔女の祭壇

 「」付の復興としたのは、それはケルト文化と同じく、近代になって再創造された側面が強いからだ。魔女あるいはWiccaについては、ジェラルド・ガードナーがパイオニアとして魔術を用いる技の流派を大成したが、これは彼の「創作」の部分が大きい。この再創造は各国の国民文化、ナショナリズムにもあてはまる。日本の神道を含む伝統文化なるものも、実際は明治期に再構築された。

 現代では1970年代のニューエイジ文化の台頭を受け、異教が再び隆盛を迎えている。こうした近現代の異教を学者はネオ・ペイガニズムと呼ぶが、コミュニティ内部ではペイガニズム(異教)とのみ呼称されている。

 この異教は地球中心主義信仰とも呼ばれている。魔女はドルイド教と並んでその要となる存在だ。現代の異教は6つの特長を持つという。

 1)個人主義的信仰の強調、2)信心と教義よりも経験の重視、3)実践的なものの見方、4)他宗教への寛容と世界的視野、5)全体論的な視野、6)開かれ柔軟な組織体 『Paganism -- An Introduction to Earth-Centered Religion』(Joyce & River Higginbotham、Llewellyn Publications)

 より総括的に言うなら、自然との紐帯、個人性の重視、寛容と開かれた心、がおおよその異教に共通する。一般に宗教の求心力は弱まっているが、宗教が持つ霊性に惹かれ、カジュアルで自由なかたちでのアプローチは増えている。これはキリスト教の個的経験をさすスピリチュアリティをもじった「新しいスピリチュアリティ」と言われている。これにはニューエイジ的な瞑想やヨガのような身体運動、さらに聖地巡礼があげられる。ここに魔女などの異教も含まれる。

 魔女の鉄則と呼ばれるものに「誰も傷つけない」(harm none)がある。異教に共通する目標にスピリチュアル・パス(Spirichual path)、精神の探求と世界との調和の道がある。魔女にとって魔術とはその道を行くための手段でもある。魔術という実践の日々の積み重ねにより、自己実現、世界との調和する生活を創り出していく。もちろん占いや何かの願掛けもあるが、これは世界との調和を乱すものではない。

 異教には女神運動もあり、魔女とともにフェミニズムと密接な関係がある。総称して、聖なる女性性(Sacred Feminine)、聖なるフェミニズム(Sacred Feminism)とも呼ばれる。現代資本主義文明における自然の収奪と女性の抑圧をリンクさせる問題意識がある。女神運動では、アイルランドの女神であり聖女のブリジッドをフェミニズム運動のイコンとした例もある。魔女のほうはフェミニズムでときに批判される女神のような母性に傾斜せず、より個的で内面性重視であるがゆえに王道的なフェミニズムに近いとも言える。

 ここで安田早苗の魔女をテーマにした最新作に戻ろう。魔女をモチーフにすることは、1970年代のニューエイジ以降のスピリチュアリズムの系譜に連なることを意味する。この潮流は現代の社会制度への異議申し立てでもあるが、現代美術でも同時代的にパラレルな運動がある。それはパターン・アンド・デコレーションで、ミリアム・シャピロ、ジェーン・カウフマン、フェイス・リンゴールドなどの作家がいる。これは欧米社会が劣位に追いやった女性や少数民族、第三世界の文化、特にフォークアートや工芸的なもの、を評価し、社会と美術の制度批判とする表現運動のことだ。これはフェミニズムともリンクし、民族主義に収斂しない、女性を中心とした個的、家庭的な表現に注目する。これは魔女が内包する、個的でありながら女性の紐帯をめざす姿勢と近しいと言える。

2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く COVID19石けんと魔女の祭壇のインスタレーション

 近代社会が置き去りにした伝統工芸、民俗文化は、日本の現代美術でも注目する作家は多い。だが、それは社会工学的であったり、社会事業的な活動であり、よく言えば改良主義、悪く言えば制度補完の意味合いが強めだ。ロマン主義が持っていたような既存制度への批判性は薄い。

 1970年代から1980年代に展開されたパターン・アンド・デコレーションが1990年代以降の政治的多文化主義のアートを準備したと言えるなら、社会の周縁的なものへの注目も再考の必要がある。その意味で、安田の〈Body&Grass〉が家庭工芸的でありながら魔女という「反社会的」要素を備えているのは見逃せない。

2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く Body&Grass no.26 Yellow Witch2

 次に〈Body&Grass〉は個的な体験に根ざした要素がある。本連作は安田の身体をネガで転写する。言い替えると、彼女の身体の痕跡である。類似した表現に、イヴ・クラインの〈人体測定プリント〉がある。身体を不在=空とすることで、逆説的に肉体をステップに精神を宇宙に転移させるものだ。神秘主義結社、薔薇十字会に傾倒したというクラインは他者である女性を用いることで、宇宙への没入というよりは客体として捉える。これに対し、安田のアプローチは自身の身体を使うことではフェミニスト・アーティストの、アナ・メンディエタに近い。

2022年ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く Body&Grass no.11 , 13 , 17 , 8

 キューバ出身のメンディエタは、ヴードゥーに似たアフリカ由来の異教、サンテリアも部分的に用い、自らの肉体と大地との交歓を行う。具体的には、彼女は大地との「交わり」を痕跡として作品化する。これは自身の肉体を捧げる供儀であり、また不在=痕跡による宇宙あるいは地霊(ゲニウス・ロキ)との交信である。

 〈Body&Grass〉はミクストメディアにより魔術的モチーフを用いるが、そのオブジェ同士の出会い、デペイズマンの方法論は本質的に魔術に近い。それはシュルレアリスムが発掘した無意識の概念に両者とも根ざすからだ。

2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く Body&Grass no.36 Yellow Witch4

 現代美術はしばしばロゴスが支配する。だが、20世紀以降の現代美術は、執拗にまとうロゴスの支配を逃れようとする動きでもあった。社会プロジェクトの元祖であるヨーゼフ・ボイスがめざしたのは社会工学的な秩序でなく、霊的なユートピアであった。魔女はより個的だが、安田はオブジェを身体に引き寄せるかたちで親密圏という女たちの界域、魔女の結界を創り出す。〈Body&Grass〉の柔らかな温かさは、フォーマリズムの延長線上の平面にはないものだ。

2022年ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く Body&Grass no.37 Yellow Witch5

 身体と精神の調和、全体性は、気候危機とグローバリゼーションの現代では試練にさらされる。オブジェに用いた危機の象徴、COVID-19はその意識的喚起であり、また再生への祈りを込めたまじない(Spell)でもあるだろう。そしてこの調和は、冒頭に引用した霊視者ウィリアム・ブレイクが幻視した境地でもある。安田早苗は、そこへの扉を魔女というかたちで開こうとしている。

2022年 ギャラリーパリオ 黄色い魔女が咲く 展示風景

参考資料:展示期間中5月5日(木)ギャラリーで文化人類学者河西瑛里子氏の講演と祭壇を作るワークショップ「魔女の時間」が行われた。記録映像はYouTubeで公開中。


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