えーろく

紫陌綺街な東京の中にも一栄一落の姿があり、在りし日を思いながら街を見て歩くのが好きです…

えーろく

紫陌綺街な東京の中にも一栄一落の姿があり、在りし日を思いながら街を見て歩くのが好きです。神社が好きで、建物が好きで、歴史やものの由来を調べることもやって行けたらいいなと思っています。「江戸御府内千社参詣」というブログをやっています。

最近の記事

  • 固定された記事

江戸城古写真と現在の皇居

明治元年(1868)に皇居となり、156年経った今の時代、 ”かつての江戸城らしさはどれほど残っているのか、どのようになっているのかを見つけに行ってみたい” そんな思いから探し当った明治初期の官僚・蜷川式胤が残した江戸城の古写真を基に、今現在の皇居から同じ景色が見られる場所は残されているのか、歩いて調べてみたいと思います。 旧江戸城写真帖 江戸城廃城後の明治4年(1871)に式胤によって撮影された写真集『旧江戸城写真帖』には、城内・外堀・各見附の写真計64枚が残されていま

    • 麻布十番に本家が3つ!更科御三家と更科一門を徹底解説!

      お蕎麦に興味を持ったなら、必ず耳にするのが江戸東京の三大蕎麦、藪・砂場・更科の3系統。藪を代表する「かんだやぶそば」、砂場を代表する「虎ノ門砂場」と来て、更科はと調べてみると、本家を名乗る店が3つもある。しかもわずか170㎡しかない麻布十番に。更科の本場はどれなのか、それぞれの違いはどこにあるのか。文献を当たりまとめたところ、きっちり善悪の線引きができるようなものではなく、知れば知るほどドス黒い過去があるんじゃないかと勘繰りたくなるほどややこしい。 永坂更科とはそもそもは江

      • 呪われた東京五輪 -

        度重なる不祥事や疑惑に渦巻いた、2020年東京オリンピック競技大会。呪われている。そう思わずにはいられないほど、20数個のセンセーショナルな問題が絶え間なく起こり、スポーツの祭典に水を差した。いったいどれだけのだらしない人たちによって回されていたのか。そのことの顛末を項目ごと時系列でまとめた。 大会運営・競技場問題2015年7月 バグダード出身の建築家ザハ・ハディド氏がデザインした新国立競技場(オリンピックスタジアム)の案が当初の1,625億円から2,520億円に膨らんだ巨

        • 源満利とは誰なのか

          事の発端は、ある日親戚から渡された法月家にまつわる「血胤録」なる文書。前回の「全国の法月さん必見!出自は甲州武田氏!?」では、法月の家祖は望月三郎太輔(本姓源満利)であり、彼の人物像について調べられる範囲で追ってみました。 結局何も分からなかったのですが、以来更なる疑問が湧き、何より気になるのは、“満利の父は誰なのか”という肝心な部分。血胤録としながら「甲斐国の人」、「出自武田家」とあるだけで先世についてまるで触れていないのだから。 まずは望月の系譜望月氏とは 信濃望月氏

        • 固定された記事

        江戸城古写真と現在の皇居

          皇居は知ってから行くべし!【東御苑編】

          今や天守閣も無ければ眺めるだけの櫓が2~3個と、だだっ広い緑地があるだけで、見る所なんてほとんど無い。それが『特別史跡江戸城跡』。 世界的大都市のひとつに名を挙げる、東京の礎を築いた徳川色が全く無ければ、復元建築物も無いし、皇室行事を除けばメディア露出も皆無で、知られていないから人気も無い。。。 だからこそ、知ってほしい。城好きなんかじゃなくても、みどころはあるんだと。 皇居は知ってから行くべし!【外苑編】もチェックしてみてください! 東御苑に遺っているもの江戸城の遺跡

          皇居は知ってから行くべし!【東御苑編】

          皇居は知ってから行くべし!【外苑編】

          「皇居を歩く」第4弾は皇居となって久しくも、江戸城らしさはどれほど残っているのか見つけに行ってみたいと思います。外苑・東御苑・北の丸公園を巡る場合は、外苑の桜田門からが巡りやすいのでそちらから参ります。 前回掲載の「江戸城古写真と現在の比較」と合わせてお読みいただくと、皇居めぐりも楽しくなると思いますので、ぜひご覧ください。 皇居外苑外苑は宮内庁の管理ではないため、いつでも手荷物検査無しで気軽に入ることができます。ここ外苑は、江戸時代には「西の丸下」と称されていたエリアで、

          皇居は知ってから行くべし!【外苑編】

          皇居宮殿を歩く

          「皇居を、歩く」第3弾は、普段入ることのできない宮殿地区に入り、かつ見どころや注意事項、申込方法なども含め、ガイド的な感じでご紹介します。 第1弾はこちら→ 再現マップと徒歩で見る江戸城と皇居 第2弾はこちら→ 公に開かれる皇居の姿 通常の見学可能エリアまず、皇居において国民に解放されているエリアは、全部で3つあります。1つは「皇居外苑」、いわゆる皇居前広場と呼ばれているエリアで、江戸時代には親藩や譜代大名といった極限られた有力大名がここに屋敷を許されたところです。次

          皇居宮殿を歩く

          公に開かれる皇居の姿

          前回の「再現マップと徒歩で見る江戸城と皇居」では江戸城・皇居の姿を見ていくに当たり、その足がかりとして全容を見ていきましたが、今回は特別な時にしか見られない皇居の姿を見ていきます。もちろん ” 一般人が可能な範囲内で ” です。もし今後皇居へ足を運ばれる予定がありましたら、参考にしていただけるときっとお役立ちできると思います! 一般参賀皇室に向け国民が祝意を表すことができる機会が一般参賀です。終戦直後の1948年から始まった皇室行事のひとつで、毎年1月2日と天皇誕生日、稀な

          公に開かれる皇居の姿

          再現マップと徒歩で見る江戸城と皇居

          東京都千代田区のど真ん中、かつて天下の巨城があったこの場所は、天皇が住まう宮居となって久しい。そのため多くが秘匿の禁足地となる一方で多くが往時の姿を留め「特別史跡江戸城跡」として誰しもがここを訪れることができる。どうしたことか東京観光や修学旅行の候補地にもならないぐらい馴染みが無く、普通に生活していたら足を運ぶ機会なんて皆無なのだ。私自身東京に住んで18年も経つのに1度きりじゃないかと急に惜しくなり歩いてみることにした。 後述しますが、偶然立入禁止の皇居の中も、見学できちゃい

          再現マップと徒歩で見る江戸城と皇居

          全国の法月さん必見!出自は甲州武田氏!?

          「法月」それは静岡県でたまに見かける変わった苗字。ホウゲツ?ホウヅキ?ノリゲツ? その知名度の低さから、始めて見た人ならまず読めない難読苗字。聞き慣れないから、電話で聞き取ってもらえない苗字。そして名字由来netによれば全国に1700人程度のレア苗字。それがノリヅキ。 レアなのに突出して静岡県に多く、全国の法月さんの76%がここに集っていて、かく言う私の母方も静岡生まれの法月姓。変わった名前だからこそルーツがあるのではないかと、ちょっと調べてみました。 伝え聞いた法月家の由

          全国の法月さん必見!出自は甲州武田氏!?