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自分自身の時間を作ることについて

自分自身の時間を取ることをためらう理由

私たちは日常的に、誰か、何かのための時間を過ごしているし、何をするにも、理由と目的とそれに対する行動の結果を求められる。仕事でも、なかなか時間のマネージが難しい日常でも。そして自分でその行為を観察し、より効果的、効率的なやり方がないか考えることを強いる。こういった、より効率的に価値を出そうという行為が、自分自身の時間をとることを、遠ざけているのではないか、と思う。

そういった価値観では、自分自身の時間をつくることは

・何が得られるか事前に予測できない ー 効果は保証されない・つくらなくても誰も困らない ー 誰も求めない、評価されない・つくらなくても生きてはいける ーとる目的や理由がはっきりしない

という事前に、やる意味が捉えにくい行為。
自分自身になるためだけの時間は、他人にとっての意味が空白になる時間なので、その理由や目的を他人に理解してもらおうとすると、結構難しい。だから、自分自身への説得も難しい。

それに、緊急度が高くないことも大きい。流れに任せていると、「自分」は、いつも後回しにされる。

私は自分自身の何かが崩れ落ちそうだったことを察し、そしてその時間をとるチャンスに巡り会えたからできた、それだけでした。

自分自身の時間で育まれるもの

私が、自分自身の時間を過ごすことで気づいたことは、以下に意識的になり、それぞれの力を育むことの大切さ。

・今の自分自身の状態を感じきる・今の自分自身の状態を受け入れる・自分自身の時間の中で、自分が感じている世界や自分の変化を察知する・感情を受け入れる

それができる環境のなかに自分をおき、自分自身の時間を過ごすと、まず自分自身を感じる(受け入れる)という感覚を得られる。
日常で感じていたけど考えてもしょうがないような不安や、言語化しにくい違和感の背景にある、自分が本当に恐れているものや、大切にしたいもの、が見えてくる。
自分時間を過ごすことで、日常的に見逃していたそれらにしっかりと出会うことができ、”負担”から外していく作業を始めることができた。

自分自身の時間を過ごしたことで、日常に持ち帰れたものは、・自己理解(基準がわかる)・観察する意識・穏やかになる重要性の理解・自己効力感・自己肯定感

という、頭では必要だと理解していても、なかなか癖づけができないものたち。

自らの基準を知ると、より明確にその他のものとの差分に向き合うことができるし、五感の広がりを経験すると、その感覚を思い出し、目の前で起きていることをより感じ、観察能力が高まる。また、”意味のない”時間を過ごしたことで、目的意識を客観的に俯瞰する視点をもてる。より目の前に起きている現実に対峙できる。
そして、何より大きかったのは、日常の価値感を超えて、自分が自分のためだけに判断し行動したという自己効力感から、自己肯定力感を育てる手始めにも効果があったこと

多様な価値観の時代のなかで、マインドフルネスやメディテーションを取り入れる人や企業が多くなっているのも、自分で自分を見つめトリートすることで導くセルフコントロールや個の成熟が必要になってきたからだろう。自分を知ることは他人を知ることでもあります。

自分自身を使って自分とリアルを感じきる力を育てたい

日々、自分自身の中に眠るものを、人に引き出してもらうことのなんと多いことか。簡単な会話にも、無理なお願いにも、新しい自分に出会うチャンスは多い。でも自分自身の時間を経験し、意識する今では他律的な価値観や時間の影響にさらされているだけでは、自分自身を感じきることは難しい、とはっきり言える。
それは誰にも替えが効かないし、自分自身と世界がコネクトしなおす時間なのだから。

前編”自分自身の時間を作るということ”はこちら
PHOTO at  Parque Nacional dos Lençóis Maranhenses, Brazil

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