遠矢美和

実家で我が父と私達家族が同居して早18年。まだお隣にお醤油を借りるようなご近所付き合い…

遠矢美和

実家で我が父と私達家族が同居して早18年。まだお隣にお醤油を借りるようなご近所付き合いのある程よい田舎町に住んでいます。回覧板を回す20件程の町内は、「丸山5組」と呼ばれています。ここに住む優しくも愉快な住人との心温まるエピソードを綴っていこうと思います。

最近の記事

思い出に生きる

小さな喫茶店を開いて4年 海辺にある店は週に3日しか開けていない。私はそこで沢山の人に出会った。 赤ちゃんからお年寄りまで 出会いから生まれた物語 現在コロナウィルス感染拡大防止の為、営業を自粛している。 私は、県を跨いで遠距離通勤をしている。このご時世、県を跨ぐ事はなかなか難しい。一方が感染者が未だに多く、もう一方が極端に少ない場合は特に。この営業自粛も長期戦を覚悟しなければと思う。 とは言え 寂しい とんでもなく寂しい。  そこで嬉しい事ばかりを思い出す事

    • 重いもの

      夫は、41歳の時「やりたい事を今やらせてくれ!」とサラリーマンを辞め飲食業を始めた。 そこから我が家の家計は火の車と化していく。 当時、私達には小学生の子どもが2人いた。この子達だけは守らねば!私と夫の共倒れだけは避けたい。 「私は私だけでも子どもを育てる経済力をつけよう。どうせやるなら私がやってみたい仕事をする!」と決めた。 39歳で大学の通信教育を始め、41歳で小学校教員免許を取得、講師として働き始めた。 子ども達は、必死にあがく親の姿を見ていたと思う。 夫も

      • 小さな喫茶店の小さな物語no.2

        小さな喫茶店を開いて4年 海辺にある店は週に3日しか開けていない。私はそこで沢山の人に出会った。 赤ちゃんからお年寄りまで 出会いから生まれた物語 その方はそっと扉を開けて「わしが入ってもええんかね?」と聞いた。 お店の近くに住む元漁師。89歳の男性は、「喫茶店が出来たから来てみたいと思っていたの」と言った。 コーヒーが好きで1人でも飲みに行くと言う。奥さんを病院に連れて行った帰りも、2人でコーヒーを飲んで帰ると言う。 昼下がり、他にお客さまが居ない店内は、時がゆっ

        • 小さな喫茶店の小さな物語

          小さな喫茶店を開いてから4年。 海辺にある週に3日しか開けない店。私は、この店で様々なお客さまに出会ってきた。 赤ちゃんからお年寄りまで 出会いから生まれた物語 ある90歳の男性がいた。 店の常連であるお孫さんの女性と、楽しそうに笑い、食事も召し上がってくれた。90歳とは思えない肌のツヤ、ハキハキと話す様子、ピンと伸びた姿勢、快活な笑い声。 少し耳が遠い男性の為に、大きな声でゆっくり語りかける彼女の優しさが印象的だった。 あれから2年。彼女から「先日、祖父が亡くなりまし

        思い出に生きる

          いつまでもあると思うな

          それは28年前、私は就職し最初の2ヶ月間は、研修や訓練を受けていた。その期間の出来事である。 生まれてから大学まで福岡で実家暮らし→初めての東京、お金の使い方も分からぬまま気付けばお金は底をついていた。 ここは意を決して実家に電話をするしかない。 情けない自分、恥ずかしい自分、久しぶりの母の声 私の声は涙で上手く言葉にならない。そんな私に母は言った。 「お金だけは絶対友達に借りてはダメ。親に言いなさい。すぐ送るからね」 手紙が届いた。 ....久しぶりに声が聞けて

          いつまでもあると思うな

          義母と私のブルース

          義母は、人の為に生きる人である。 何から何まで人の為である。 以前、義母が大きな手術をする事になり、家族が集まり事前に医師から説明を受けた。 余りの義母の落ち着き具合と前向きな発言に医師は驚きこう言った。 「普通、泣いたり落ち込んだりする方が多いです。最悪の事まで話しますから。落ち着いていますね。感心します」 義母は言った。 「私が落ち込むと家族が落ち込みますから」 術後、義父と2人の生活に戻り、静養中も 「私の元気がなくなると父さんの元気が無くなるから」 電話を

          義母と私のブルース

          あぁ、赤面の母

          〜私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。町内は、回覧板を回す20世帯程を一括りに幾つかの組に分かれている。私が住む組は丸山5組!当時を思い出しながら、懐かしい思い出を綴っていこうと思います〜 あぁ、赤面の母 娘が小4、息子が小2の頃、福岡県柳川市へ遊びに行った。水郷柳川の「川下り」を楽しみにしていた。 子ども達は、堀割に浮かぶどんこ船を見て興奮。 私達が1番乗りだったようでチケット売り場のおばちゃんは「人数が揃うまで待っててね〜」という。ある程度、定員

          あぁ、赤面の母

          町内会費について

          〜私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。住んでいる町内は、回覧板を回す20世帯程を一括りに幾つかの組に分かれている。私が住む組は丸山5組!当時を思い出しながら、優しく愉快な住人との懐かしい思い出を綴っていこうと思います〜 町内会費について 町内会に加入すると、会費を払う事になる。会費は、2ヶ月に1度組長さんが集金する。 忙しく留守が多い家庭は、一括年払いも出来る。私が子供の頃、母は看護師をしていた。やはり、一括年払いであった。 実家に越して来てから初め

          町内会費について

          おばちゃんは見ていた!

          〜私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。住んでいる町内は、回覧板を回す20世帯程を一括りに幾つかの組に分かれている。私が住む組は丸山5組だ。当時を思い出しながら、優しく愉快な住人との懐かしい思い出を綴っていこうと思います〜 私の父は、綺麗好きだ。同居するにあたり、2階に増築した父の部屋を掃除するのはずっと父である。 庭掃除、植木の選定、大掃除に至っては「外回りはお父さんの仕事」と庭は勿論、雨戸、網戸までしっかり洗う。 母が生きている頃、聞いた事がある。「

          おばちゃんは見ていた!

          親を見て子は育つ

          〜私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。町内は回覧板を回す20軒ほどの世帯を一括りにいくつかの組に分かれていた。私達家族が住むのは、丸山5組!当時を思い出しながら、懐かしい思い出を綴っていこうと思います〜 親を見て子は育つ 夏休みになると、子どものいない丸山5組にも孫達が帰ってきた。 2軒先のおばちゃん家には、我が子と年齢が近い元気いっぱいの男の子3兄弟が帰ってくる。 朝から遊びまくり、昼になると娘と息子が「おばちゃんがご飯食べりって!いい?」と聞きに

          親を見て子は育つ

          褒め名人

          私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。当時を思い出しながら、懐かしい思い出を綴っていこうと思います。 そのご夫婦は、私が実家で同居を始める数年前に丸山5組に越して来た。私の親世代(60前半)より一回り歳上だった。 おじちゃんはカメラが趣味だ。いつも笑顔で穏やかなご夫婦の人柄に丸山5組のみんなもトリコとなった。 丸山5組では花見をする。私が子どもの頃は、大掛かりなBBQであったり、お弁当を桜の下で食べたり。最近は、花はそっちのけで居酒屋さんで昼間から大宴会

          褒め名人

          子どもはよく泣く

          〜私の実家で、私達家族が父と同居を始めてからはや18年。町内には、回覧板を回す20軒程を一括りに幾つかの組がある。私達が住むのは丸山5組。当時を思い出しながら、優しく朗らかな住人との懐かしい思い出を綴っていこうと思います〜 子どもはよく泣く 私達家族が越してきてから、それまで聞かれる事の無かった子どもの泣き声が丸山5組に響く事が多くなった。 子どもが泣くと「あら〜どうした?おやつあげようねぇ」とグッドタイミングでおばちゃんがよく現れた。 おやつは、ストーブでゆっくり焼

          子どもはよく泣く

          往年のプレイボーイ

          歳をとっても粋な大人がいる。 斜向かいのおじちゃんがそうだ。 ジェリー藤尾(お若い方よ、ご存知だろうか、、)似のおじちゃんは、若かりし頃はさぞモテたであろうと思われる。 「美和ちゃん。今日も綺麗やねぇ。」「いつ、おじちゃんと結婚してくれるん?」と、トークも軽快だ。 ある日、当時高校生の娘が笑いながら帰ってきた。 「おじちゃん面白いねぇ。いつ結婚してくれるん?っていっつも言われる〜!」 私は「ははは〜。調子が良いねぇおじちゃん」と答えるも (はっ!私だけでは無かったのか

          往年のプレイボーイ

          たかが洗濯されど洗濯

          私は洗濯が好きだ。 青空の下、ぱんぱんと叩いて干すあの仕草も好きだ。母を思い出す。実家に越してきてから、庭の物干し竿に洗濯物を干している。 その日も午前中の晴れ間を見つけて洗濯物を干した。午後からは家族ででかけた。そろそろ帰ろうという頃 ぽつ、ぽつ、ぽつ ざざざーーーーーーーーーっ 急に降り出した雨。家路は遠い。あぁ、、、洗濯物は、ずぶ濡れだろう........ 玄関に飛び込み、さあ洗濯物! ん?.....洗濯物が一つも無い。 「美和ちゃ〜ん、雨が急に降り出したけ

          たかが洗濯されど洗濯

          ボラは続くよどこまでも

          いざ生活が始まるとご近所さんの有り難さが見に沁みる。 おばあちゃん達にとって私はあの頃の小さな子どものまんま、、、「お母さんと思って何でも相談しなさいよ」と色んなおばちゃんが声を掛けてくれた。 「これ、おかずの足しにしたら?」「沢山作ったからお裾分け!」と日々お惣菜を持って来てくれた。 これがまあ美味しいこと!白和え、切り干し大根、ひじき煮、果ては手作りピーナッツ豆腐まで!おばちゃん達の料理の腕はピカイチだ! 貰ってばかりも申し訳ないと「おばちゃん味見て〜」と私も作った

          ボラは続くよどこまでも

          あぁ 丸山5組

          18年前、それは突然やって来ました。私の母が急性心不全で亡くなったのです。あんなに健康で朗らかだった母が、、、母の60歳の誕生日の1週間前の事でした。悲しみに打ちひしがれる家族。 それから暫くして、1人になった私の父と私達家族の同居の話が持ち上がりました。夫や夫の両親の「困った時は助け合わんないとね。」の言葉に救われ、同居が決まりました。当時、父63歳、夫34歳、私32歳、長女3歳、長男1歳。 実家ですから、ご近所は小さな頃から可愛がってくれたおじちゃん、おばちゃんばかり

          あぁ 丸山5組