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いままで、これから 第2章:向かう先がわからなくなって人生迷宮入り

こんばんは。
あんにんです。

ちょっと長めの自己紹介を、
『いままで、これから』というマガジンの連載で書いています。

第1章では、学生時代の私の生き方のについて書いてきました。
今回はその第2章、一番もがいていた時期のこと。

 プロローグ
 ・第1章 大人の顔色をうかがう:正解探し期
 ・第2章 大切なことが分からなくなった:迷走期
 ・第3章 自分で未来を決めた:軌道修正期

正解を選んできたはずだった

理系の大学をでて、国家資格を取得した私は、
人生は万事順調だとたかをくくっていた。
大人たちが口を揃えていいという人生を選択してきたのだから、
不安になんてなるわけがない。

これから先の自分に期待して社会にでて、滑り出しは好調だったきがする。
だけど社会は広く、深く、そして厳しかった。

以前、ブログにも書きつづった、私の最初の転機は、
早くも社会人半年目にして訪れてしまう。

要約すると、『あと最低5年は給料が変わらない』という、
当時の自分にとってはかなりショッキングな事件が起こったのだった。

いままで大人たちを信じてきた私は、急に違和感を覚えはじめた。
幸せそうに見える答えは用意されていても、
もしかして、大人たちも正解を知らないんじゃないだろうか…と

改めて給料という数字で自分をはかられたときに、ふとそう思った。
「そんなはずない。」
この言葉がずっと頭のなかを駆け巡っていく。

こうして、せっかく受かった国家資格も手放してわずか1年で仕事を変えた。

なんだか呪縛から解かれた気がして、ホッとした。

社会にでたら急に迷子

中学、高校、大学、社会人と、王道のルートを渡ってきたのはいいけれど、
社会に出た途端、なんの道しるべもなく『お好きにどうぞ』と言われる。

いまでも「高学歴」であったり、
「手に職」とか「資格」とか、
一定の肩書きを持つことが社会のステータスとされているけれど、
本当にそうなのだろうか?

私の同僚には、過労で体を壊して辞めた人だっている。
高学歴の同級生には、仕事に就かず自分探しばかりしている人もいる。

だけど、社会はそういう現実を見ようとしない。
いや、自分たちとは違う、どこか桃源郷のようなものを
資格や学歴になぞらえて、偶像としているのではないか。

いわゆる”正解”といわれていた人生とは、いったいなんのことだったのか。
「他と比べてわるくない」
そう言えることが正解だったのか。

なんだかよく分からない。
これから先にどこに進んでいくのか、ぼんやりとしている。

さすらいの日々

社会人1年でさっそく人生を仕切り直し、外資系ベンチャーに就職した。

がんじがらめになっていたものを手放したことによって、
見える景色が変わったような気がする。
私にとってははじめて自分の意思で選択をした、成功体験だった。

それから数年、全力で仕事をした。
でも、しばらく経つと訪れるあの感覚。
「あれ、まただ。」

夏の入道雲のように、とたんに目の前にあらわれる不安。
自分の努力と、評価のギャップ。
いつまでもそれに追われている感覚がした。

「こんなはずじゃない。もっといいところがあるはずだ。」
と完璧に納得できる理想を追い求めて、
嫌なところばかりに目を向けるようになっていった。

『会社を変えたら、またなにか大きく変わるんじゃないか。』
あのときの成功体験があったから、ふとそういう気持ちが芽生えてくる。

新しいオフィス、新しい同僚、新しい仕事。
身の回りのものが一変すると、新鮮な気持ちになる。
それがとても心地よくて、なんだか自分が前に進めているような感覚。

だからまた、会社を変えた。

でもやっぱり違和感がある。
周りのものだけ入れ替えても、私はなにも変わっていないから。

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