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「全てはわたし、わたしはあなた」の視点から思う、昆虫のこと

富士山麓に移住し自然栽培をしています。自然栽培そのものは11年目に入っています。そして昆虫大好き、コンチュウスキーです。自然栽培をしている理由はいくつかあるのですが、そのひとつに、昆虫がやってくる楽園を創りたいというのがあります。

こどもの頃から昆虫が好きなので、捕る、育てる、標本にするは一通りやっています。そしてわが子達も小さいころは、まあ、もう家の中、なにがどうなっているのか分からないくらい、昆虫や動物がいました。

今は、スピリチュアルな活動がメインでもあって、基本殺生はしないと決めているので、標本づくりも虫捕りもしていません。観察と撮影のみです。
 
 

昆虫、キモチワルイという人が多いですが、わたしはとても美しく見えます。どの種類も。もちろんGも平気です。

この地球は昆虫も、それ以外の生き物もいないと、わたし達の命は成り立たないと、自然のシステムをみてもそう思います。人間は単独では生きられない、地球を汚すだけ汚して自浄できない地球のお荷物かも、なんて思ったりしています。(ちょっと言い過ぎね)
 
でも、人間が汚したものを浄化してくれるのは、人間以外の生物。生物という定義に当てはまらないものも含まれますが、それも含めて。

なので、きもーいとか言っていないで、彼らの命の働きに感謝しつつ、共存していく道を模索するのがベターだろうなというのが、わたしのスタンスです。
 
 

先日出会ったオオセイボウさん、美しすぎます
 

 
スピリチュアルな活動もしていまして、多次元コンダクターという名前を宇宙から頂いています。その視点から言えば、やっぱりこの世界は一つ。すべてが自分であり、自分がすべてである。わたしはその感覚のなかにいます。

そう感じる詳しい話は置いておいて、あなたはわたし、わたしはあなたの視点から言えば、昆虫もわたしであり、わたしと生命を共有する存在。

なので、「昆虫を殺すたびに、自分を殺す」のですよね。昆虫や動物が好きですし、その他の命も大切にしたいと思っていますので、必要以上の殺傷はしたくない思いに加えて、何度も自分を殺すことを避けたい。そんな気持ちがあります。
 

広く広く見ると、一見その存在の意味が言い出せなくても、自然のバランスの中ではどんな命も、それを保つのに寄与しています。そして、今ここに在るものは、宇宙がその存在を認めたもの。それを人間側の都合で殺すのは、個人的には避けたいのです。

とはいえ、思想的に強いものを持っているわけではなく、わたしのお庭の範囲ぐらいは、昆虫も他の生き物もちょっと楽しく過ごせたらいいな。それくらいです。

第六絶滅危機、そんなワードもよく聞きいて心に痛みを感じてみたりしますが、それでも!一人くらい、お庭で昆虫を愛でるおばちゃんがいてもいいんじゃないかなと。

もちろん、生き物関連の専門家や研究者のみなさんも活動をされている方が、本当にたくさんいらっしゃいます。その活動には及ばなくても、こっそりね、小さな命を愛でる。そういうのもあってもいいだろうと。

誰かの命を愛でることは、自分の命を愛でることでもある。それ愛の波動となって地球全体を覆っていく。そうイメージすると、ちょっと楽しいかな。
 

といろいろ書いちゃったけど、単純に昆虫が大好きなのよー!こちらが必要以上に何かしなければ、大体の場合は攻撃されませんしね。多少血を吸われることは、わたしも経験していますけれども。ヤマビルとかね。

この世界に、人間とは違う生態系を持ち、面白い姿かたちをした生き物がいることがとっても面白いですし、そてはとても豊かなことだなあと、心から思います。
 

きみはだれかな?
 
こんな子も、ブルーベリーの葉っぱにいます
ちっちゃいよ
 

 
写真は、庭やご近所で撮影したものです。すこし注意深く観察してみるだけで、いろいろな昆虫がいます。おもしろいなあ。
 
自然栽培の庭では、害虫といわれるものも結構いますが、益虫さんもいっぱいいます。バラの葉っぱを食べてしまう幼虫を運んでいく寄生蜂の姿も、よく見られます。結構大きめの緑色のを抱えて飛ぶ姿は、ちょっとコミカルです。
  
害虫も益虫も、人間側の都合でつけたネーミングですから。どの命も生きるのに真摯に向き合っています。神経系統が単純と言われればそれまでですが、そのシンプルさが命の力強さをわたし達に教えてくれます。
 
人間世界は変なところで複雑怪奇なので、疲れちゃうんですよね。だから、そんなシンプルなところもとても好きです。
 


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