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17歳の命日 / 2

もうラクになりたかっただけ。
ただそれだけだった。


別に死にたかった訳じゃない。
ひたすら疲れただけ。


退院しても環境は変わる訳じゃないし
バケモノはバケモノのまま。

死にたいとかそんなことは飛び越えて、
ただ独りになりたいしか考えていなかった。

目が覚めた時、視界がぐるぐるして
眩しい、上手く見えない。

ピントが少しずつ合って
まっ白な天井を認識した時の
あの真っ黒な絶望感は今も忘れられない。

手足はベッドに縛られていた。
涙が流れる目だけを動かすと
看護師が気づいて『どこかわかる?痛い?』
と聞いてきた。

声が出せない為、首を左右に振り意思表示する。

『…3日前に運ばれてここは集中治療室ね。
  もう、こういうことしちゃ駄目だよ。』

“ご迷惑をおかけしました”
言葉が喉からでない。
頭が動かない中でも謝ったけど
恥さらしだなぁ、失敗した とも考えていた。


夏休みはとっくに明けていた。

学校にはさすがに出席日数が足りず、
保健室登校を再開した。
制服のポケットにお守りとして
剃刀は常に入れたまま。


この頃には誰にも自傷を咎められなくなった。
自殺されるよりはマシだと暗黙の了解。
腫れ物というやつだ。

保健室の窓から他の生徒が
笑っている姿を見つめる。


私はどこで間違えてこんなことに
こんな人間になってしまったんだろう。


何故普通にできないんだろう。

状態も状況も変わらない。
人が1人死んでも大勢死んでも
世界はとくに変わらないと学んだから
もう、いつ死んでもいい。


新しい死生観は手に入れた
17歳の8月 31日 私は死んだ。
自分の中で一つ区切りにした。

“何故死ねなかったのか”
“何故死ななかったのか”

生きていかねばならない理由があるのか?

あの時死ねなかった理由はこれか、と
自分の存在意義に納得できる日がくるのだろうか?

それを抱えたまま今ここまできている。
“生きて”きてる訳ではいない。

ずっと空虚で相変わらず死ぬことは怖くない。
生きた心地は相変わらずしない。

いつでも逝けるように、もしくは
いつ何かあってもいいようにを
常に考えているので

エンディングノートは用意してある。

家族は捨てた。
恋人も数十年作っていない。
血を残すことも嫌悪なので
子供を作ることも選択肢からは
消えている。
家を出て、物も最低限に減らした。

どうすれば普通になれるかの答えは
探す努力はしたが見つからなかったし
誰にも教えてはもらえなかった。

友達はいる。
信用できる人間もいる。
人間的に愛していて幸せを願っている。

私の全部を押し付けることはどんな関係性の
相手でも出来ないし、したくはない。
足枷にしたくはない。

どうせ死ぬ時は皆、独りなのだから。

死ぬこともわりと衝動的だったりして
あの時のことは自分でも上手く説明は出来ない。


様々な理由が絡まってほどく体力も気力も
削られて、邪魔されて、諦めた時の
最後の選択肢なだけだったりするから


近い関係性の人間だろうと
残された人間には死の理由など
わかる訳はないと思うし理解できないと思う。

後々わかったが自分の生きた感覚が薄いのは自殺未遂だけではなくバケモノに殴られたり蹴られた
時に意識を遠くに持って自分を守ろうとしたのも原因の一つらしい。
 
【自分】を守ろうとした癖がその後
数十年も自分の首を締め付けるなんて
なんて皮肉なんだろうと笑いしか出なかった。