雑 感
今年の pfingsten ( 聖霊降臨 )の連休はなんだか変なお天気で、おまけに体調も変だった。。
義両親の家に遊びに行っていたので、彼らに甘えて子供達から少し距離を置いてソファーで読書ができたのが新鮮な時間の過ごし方で、練習するように始めた初日から、だんだん少しずつ集中できる時間が長くなっていったようで、なかなかやはり、近くに小さい人たちがいると気になってしまう。。
読書を中断させないように気を使ってくれた義両親に感謝しながら、本当に子供へのお小言は私の役目でない3日感を過ごさせてもらった。
また、なぜこんな本を持っていったのか分からない本を読んでいた私。
正月の帰省の際に古本で買った「ぼくは散歩と雑学が好き」
役に立たないにもほどが過ぎると笑ってしまうんだけど、ただ紙で活字を味わいたいだけなんだろうかな。
でも、なんかこの記憶にすら残らない雑学感に意味があるような気もする。
ビート文学やヒッピーカルチャー周辺が趣味的に好きだった10代20代の自分を思いだす為にはなんだか通過儀礼的に、今この歳で読んでおきたいような気まぐれから手に取ったし、あまりページが進んでいないのだけど。
なぜこんな斜めから攻めるような本のチョイスをしてしまったのか。という事に意味があるような気がしてのらくら。しつこく2回書いてしまった。
そう意味があるのだろう。
こうやって色々な自分の中の気持ちを自分で弄ぶ余裕が、すごく、すごく今の自分には贅沢な時間であり、自分の感じたり想ったりしてきた事を「読書を通じて振り返るような時間」っというもの自体が久しぶりで、インターネットとスピードの時代になって久しくそういう時間と、どっかり腰を据えて読書をする気持ちの余裕のない事に改めて驚いた。
時間の使い方
のらくら哲学と、「いいね!」のペラい価値観
どっちにしても「暇つぶしのようなもんだけど」
人生は死ぬまでの暇つぶし
とも言うし、
どっちでもいいのかな。いいのか!「いいね!」かな。
私は、包み隠さず、自分の中の居心地のいい部分はやっぱり「雑」でできている。そこが気になる。
過去にも未来にも繋がっていそうだから。
紙をめくる感覚や匂い、増えていく本のシワ汚れ、しおりをさす、続きを読む
紙の本を、紙で読む事を大事にしたいと改めて思った休暇だった。
極私的ではあるけど、この時、この瞬間の感覚の思い出を残しておくためのノート。
寒い寒い休暇だったけど、庭には春がちゃんと来ていて、後1ヶ月か2ヶ月もすればベリーが食べ頃になるに違いない。。
その頃には、自分の周りの風景が少し変わっていたら嬉しいけど、去年から何も動いていない事にも頭も悩ませる。
今朝は、ホーリーマウンテンに登るサバイバルの夢を見た。
目の前で登山を開始したグループの一行が、吊橋でバランスを崩してあっけなく8人くらいが転落していった。
私は自分が所属するグループの朝焼けの早朝の出発に遅れてしまった。むげに置いてきぼりにされた。別ルートを行かざるをえないような状況のまま、まだ麓の宿屋街でルートを探っているような状況で、街の中からもう少し坂道だったけど、登山道に入ったらもっと急な坂道続きだという事が分かったところで目覚めてしまった。
夢のその先がきになる1日、久しぶりに後を引く夢を見た。
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