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農地保全の新しい方程式〜「たねもみプロジェクト」にみる農業の共助システム(3)

前回まで
(1)日本の農地がなぜ保全困難になっているのか
(2)たねもみプロジェクトが生まれた経緯

ずいぶんと長くなってしまった。
ここまで、ぼくらが京都府南丹市美山町で行っている農地保全活動「たねもみプロジェクト」の背景と経緯について紹介してきた。
今回は、そのプロジェクトがどのように運営されているのか、そして最終的になにを目指しているのかについて書いていこうと思う。

1.自由に広がっていくプロジェクトに必要なこと

自転車が好きで大阪市から美山町に移住したぼくは、この町でサイクリングを楽しむことがこの先、困難になる危惧を持ち、その問題の根源に迫るうちに、そもそものコミュニティの維持を目指す行動の必要に駆られ、自転車を軸にした様々な活動をボランティアで始めた。
その動きからスピンオフした美山町の農地を守る活動は、ウィーラースクールの子どもと保護者から、都会から来るトライアスロンのチーム、友人グループやそこから企業などの取り組みに拡大していき、数年前から、tanemomi * project(たねもみプロジェクト)ととして活動を続けている。

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現在、ぼくが住む美山町の和泉地区で、ぼくらが管理するうち6つの田圃にて、それぞれ6つのグループが米づくりに励んでいる。
総人数としては(入れ替わり立ち替わりなので把握し切れていないが)150名を越える。近畿圏を中心に、多くの人々が、米づくりのシーズン中、何度もこの地域に集い、農業を通じたそれぞれのコミュニティを独自に進化させている。
この多くの来町者が、米づくりのシーズン中、10回近く(もしくは以上)、年間を通じて延べ1,500人以上の濃密なリピーターとなり、宿泊や、買い物などの経済効果をもたらし、地元に対してかなり密接な関係を構築していることを考えると、個人レベルの非営利での活動としては、それなりの成果を出していると自負している。

こうした強固なコミュニティが出来ていく過程には、強いモチベーション(動機付け)が必要だが、そうしたコミュニティを実現するために、まず第一に考えないといけないのは、ぼくらと強い思いを共有できるリーダーとなるキーパーソンの存在を見つけ出すことだ。

グループ毎に、そのキーパーソンがこのプロジェクトのコンセプトをしっかり理解していることで、みんながほぼ同じレベルで、米づくりなどの活動に取り組むことができる。
プロジェクトでの様々な問題を解決していくため、各グループが主体的に取り組むことが出来るように、SNSを活用した連絡体制やコミュニティの整備はもちろん、同時に、様々な責任と権限を、彼らに渡してしまうこともとても大切だと、ここ数年の経験から強く感じている。

これはぼくが企画し、事務局長として毎年開催する地域振興を目的としたサイクリングイベント「京都美山サイクルグリーンツアー」で、イベントの完成度をあげるため行っている「共創」を取り入れた手法と同じだ。
簡単に言うと、与えられた仕事をするのではなく、自分で考え、決めたたことを責任を持って行うことこそが、取り組みが「人ごと」ではなく「自分ごと」になり、結果、非常に高い成果をもたらすと感じているということだ。
(参考記事)

単に農業を体験してもらうということだけで、こうしたイベントを行う場合、例えば「田植え体験」「稲刈り体験」の場を用意してお客さんのように扱えば済む話しである。
だが、よく見受けられるこうした体験イベントでは、本当に本来の目的が達成できるのだろうか。
異論があるかもしれないが、ぼくの答えは否だ。

こうした農業体験が単なる体験イベントではなく、もっと重要な成果、例えば里山地域の環境の保全、移住定住促進、人口問題などの解決を目指すものであるなら、その結果を「必ず」実現することを至上命題にしなくてはならない。つまり、常に戦略的にあらゆる手段を講じ、検証改善を繰り返し、活動内容をブラッシュアップしていく必要がある。

それと同時に、プロジェクトにおいて、そのゴールのイメージを、多くの人とイメージを共有する必要がある。
加えて、関わる人たちの多くが、自由に発想し、自ら行動できる環境をつくる事が大切だ。
そうすることで、活動そのものが拡張し、成長していくのではないかと感じる。

ぼくらが行うこのプロジェクトは、もともとは自転車での地域振興という側面からの活動から端を発し、「サイクリング」「農業」という、一見関係性がないようなファクターが、米づくりというキーワードで融合している。

そして、それを通じて広がる人の輪が、独自の「コミュニティ」をその場(地域)につくりだし、それぞれの人にとって、第二のふるさととなり、その地域の「里山環境保全活動」「自分ごと」として拡張していく。

その結果、これまでには無かった、関係人口を含む田舎での人口の動きの変化や、農業における産業構造の変革が実現されれば、このプロジェクトの意義が達成できるのではないだろうか。

誰もが自由に、自分の責任で活動を行える環境設定こそが、結果、田舎が苦しむ人的資源不足の解決の大きな力となり得るのでは無いか。

しかし、実際にこの環境を実現するのにもいろいろな問題があるのも事実。
地域が、そんなフレキシブルな対応に理解を示すのは、なかなか難しい。

「よそもの、わかもの、ばかもの」が地域振興に必要と言われ久しいが、実際の田舎の現状では、特に「よそもの」に対しての門戸はまだまだ狭いのが現実なのだ。

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2.自分たちで責任をもつ、お米のオーナーシステム

この取り組みをはじめたころは、マンパワーもお金の面からも、大変な苦労が必要だった。
まずこのお米作りは、いわゆる無農薬有機栽培。一般的な慣行農法ではないので、本格的な農家ではない人たちにとっては、目指す収量を得るのは、当たり前だが、ある意味至難の業だ。

始まった当初のシステムは、

1.グループ毎に田圃を一枚担当する
2.田植えから稲刈りまで責任をもって面倒をみる
3.収穫したお米を全量買い取る

というものだった。
田植えや稲刈りは、多くの人が集まり、自然体験イベントとしては格好のネタにはなるが、それ外の作業となるとなかなかに大変なのが実際。
特に田植え後の除草は、最終の収穫量を大きく左右する作業なのだが、これをしっかり行うのは、都会から通う人たちには、至難の業である。
水田の除草は、経験者なら分かるが非常に地味に大変な作業なのだ。
一番草からはじまり、三回程度、週に一度は除草を行わないと、田圃の中に雑草が蔓延し稲の生長が阻害され、当然収穫量が落ちるのだ。

初夏とはいえ暑い日中に、腰を折って一日中水田の中を這いずり回るのは、本当に重労働だ。(だからこそ、多くの農家は除草剤という農薬を使うのだが…)

当初から、この除草も自分たちで行う予定だったのだが、水田の状況が上手く伝達されず、除草のタイミングがわからない状態では、うまい具合に作業に人が集まらない。
皆の都合があわず、作業が先延ばしになると、瞬く間に雑草が大きく育ってしまい、それこそ処理をするのに一苦労、作業がさらなる重労働になるという悪循環も生まれていた。
結果、多くのグループでは除草に失敗し、多収量を達成できる田圃がほとんど無いという状態だった。

そしてそれはつまり、当初のシステム通り、収穫したお米を買い取ってもらうという条件では、プロジェクトの収益が激減し、赤字での運営を余儀なくされていた。

そこで三年目あたりから考え方を変えた。
お米を買い取ってもらうのではなく、田圃での活動そのものに料金を支払ってもらうというやり方に変更した。

・1反あたりの想定収穫量を設定し、その金額を支払ってもらう。
・もし除草を怠り、収穫量が減った場合、また、がんばって上手く栽培できて増収した場合でも、金額は変更しない

つまり、がんばっても、なまけても支払額は一定で、どうするかは各グループ次第、半ば自己責任、というやり方にした。
すると、これが実に想定以上の効果をもたらしたのだ。

まず、あたりまえだが、固定費にしたことでプロジェクトの収入が安定し赤字が解消した。グループの毎年の収穫量の変動にかかわらず、収入が安定したことで、農業資材購入などの資金計画が立てやすくなったこと。

次に興味深いのは、これまでにはみられなかった、自発的に除草に来る人が劇的に増えたことだ。
これは、自分たちの責任下での農作業を明確にしたことで、除草作業が、収穫を目指す問題解決として、主体的にとらえられるようになったことではないか。

そして総体的にだが、参加者は、このプロジェクトを通じて足繁く美山に通うことで、特にうちの地区に対する思いが強まり、関わり方が深くなったようにも感じる。

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例えばこんな例がある。
自転車つながりから、数年前よりプロジェクトに関わってくださるようになった、「でんけんの田」の圃場を担当する企業のグループがある。
この会社は電気設備の会社なのだが、社長がユニークな方で、
「ほんものをつくる会社として、ほんものの米をつくりたい」と、社員を巻き込んだプロジェクトの参加を実現。その輪は、そこの顧客やそこからの関係者へと、非常に面白い活動の広がりを見せている。
(電建ライスクラブ WEBサイト)

彼らは独自に、社内で結果の検討会を開き、「なぜ収穫量が少なかったのか」、「なぜ除草が上手くいかなかったのか」などの問題解決に取り組み、翌年のシーズンには、様々なアイデア除草機を独自に投入するなど、見事に増収を果たしている。

水田を自分たちの自由にでき、米づくりのやり方の工夫も自由に考え、実行することができる

これは一般的な農地を管理する常識では、あり得ないことだと思うが、
あえて参加者に対し、考える自由と責任を与え、農地を開放したことで、生まれた結果だと思うのだ。
なにより米づくりを通じて、そのグループが軸となることにより、この土地で新たな強固なコミュニティが生まれている好例ではないか。

「自転車と米づくり」、から、「電気工事と米づくり」
これもまた、一見、まったく違った要素から生み出される、新しい価値観の創造であり、これこそがこのプロジェクトの醍醐味では無いだろうか。

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3.里山での米づくりは、まさに教育的価値がある活動だ

現在、日本中の水田をはじめとした農地が危機に瀕している。

それは高齢化と跡継ぎ不足からくる、まさに待ったなし、切羽詰まった実情である。
儲からない「米づくり」は、次世代に選ばれない。

安く、大量に輸入される食料。
安価に購入でき、いつでも手に入る食料。
そもそもお米を食べる習慣すらなくなりつつある現代社会。
そんな現実の中、中山間地で農業を営む農家が、米づくりで生計を立てようとすること自体、そもそも成り立つわけがないということは、前章までで述べた通りだ。

それなりの利益を上げる米づくりを実現するためには、やはり大型機械化やIT化、化学肥料などを駆使し効率化された産業として行う農業でないと採算をとるのは難しい。
特殊なブランド化を進め、価値を高め高価格商品化し利益率を高めたとしても、それはあくまで一部の高級嗜好品であり、だれもが安価で手に入れられる主食ではない、というジレンマにも陥る。

米づくりは、本来経営的に成り立たない産業だとぼくは思う。

しかし今、仮に日本中から一気に米づくりがなくなり、一気に水田が消え、田舎の風景が一変したら、国土は崩壊し、その価値を著しく損なう恐れを感じる。水田風景の消失は、地方の生活を変え、地域コミュニティを本質から破壊しかねない重大事態の引き金になり得る。
そしてその未来は、現実に今、山奥からジワジワと都市部に向けて進行している。

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改めて提案したい。

もう、従来の考えでお米をつくるのはやめよう。
やりたい人を、自由に参画できる体制をつくろう。

米づくりを経済性を基本に考えること自体が、時代にあわず無意味だ。
お米の価格に依存する農業に頼れば、高品質の高級嗜好品を作ること、また、米の利益率をあげることを追求していかなくてはならず、ほとんどの場合、さらなる農薬や化学肥料に頼る農業に陥ってしまうかもしれない。

ぼくは考える。
本当にそれが正しい道なのだろうか?

1シーズン、もしくは数回の農作業で、自身の生活に対する考え方、もしくは人生の方向そのものを大きく変化させた人たちの様子を、これまで多く見てきた経験から強く思う。

農作業を通じ、土や水に触れ、収穫の喜びを知ることは、自然に畏敬の念を持ち、共生の必要性を感じられる感覚を育てることに他ならない。

この感覚をひとりでも多くの人と共有するため、米づくりの環境を守ることが必要であり、そのためにも経済システムに縛られない新しい感覚での農業を実現することが大切なのではないだろうか。

お米づくりは農業という産業ではなく、人的教育の場であるとぼくは強く思うのだ。
たねもみプロジェクトは、ただの農業体験ではなく、後世に今の自然環境を残すこと、自分自身が大きな環境サイクルの中に生活するものであることを学ぶ、最良の教材であると確信する。

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子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。