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『虞美人草』①夏目漱石

 この小説を読まなければならない事態に追い込まれ、初めは解説だけ読んでしまおうと思っていた。
 でも、解説を開く前に少しだけ本文を読んでみようと思って読んでみたら引き込まれた。
 
 富士山に登りたいと思っていたので、春の登山シーンを素直に読めた。タイミングが良かった。
 
甲野の哲学者めいた発言もところどころ面白く読んだ。
しかし、この二人の登山シーンが何に続いていくんだろう、謎、と思いつつなんとなく読んでいた。

 ところ変わって、一つの部屋の中で、男女が相対して何事か話していた。
 二人が名前を呼び合うところで時が止まり、私もハッとさせられた。電車を乗り換えて、体勢を整えて、ページを戻ってじっくりと読んだ。

 漱石が長く読み継がれている理由の一端を覗き見た気がした。
過去の記憶が色々と蘇ってきて、読み進めることができなくなる。


一 (甲野と宗近の登山シーン)

 春の京都。無計画に叡山に来た甲野と宗近。宗近は外交官の雅号を手に入れたいという。甲野は哲学者めいたやり取りをしている。

二 (小野と藤尾のいる部屋)

 藤尾の容貌が描写されている。藤尾は紫色の着物を着ている。
藤尾は小野から以前に奪い取った本を読んでいる。シェイクスピアの、『アントニーとクレオパトラ』と思われる。

 小野と藤尾が無言で同一空間にいるところの描写。

最上の戦いには一語をも交(まじ)うることを許さぬ。拈華(ねんげ)の一拶(いっさつ)は、ここを去る八千里ならざるも、ついに不言にしてまた不語である。

『虞美人草』 夏目漱石/著 角川文庫 (昭和30年 初版発行)

 藤尾は口を開き、クレオパトラはアントニーがローマでオクテヴィアと結婚したとき、嫉妬したのかと小野にたずねる。クレオパトラはその時いくつだったのか、年を取ると嫉妬は増してくるものなのか、とたずねる。

p.29
「そうですね。やっぱり人によるでしょう」角を立てない代わりに挨拶は濁っている。それで済ます女ではない。

『虞美人草』 夏目漱石/著 角川文庫 (昭和30年 初版発行)

 重ねて、清姫が蛇(じゃ)になったのは何歳だったのか、安珍はその時何歳だったのか、あなたは何歳なのか、と質問を重ねていく。
 小野は、藤尾の異母兄である甲野と確か同じ歳だ、と答える。しかし、兄より若く見える、気が若いからだ、と言う藤尾。

p.31
「かわいらしいんですよ。ちょうど安珍のようなの」
(略)
「安珍は苛(ひど)い」
(略)
「ご不服なの」女は眼元だけで笑う。
「だって……」
「だって、何がお厭なの」
「私は安珍のように逃げやしません」
(略)
「ホホホ私は清姫のように追っかけますよ」
(略)
「藤尾(ふじお)さん」
「なんです」
(略)
茶縁(ちゃべり)の畳を境に、二尺を隔てて互いに顔を見合わしたとき、社会は彼らの傍(かたえ)を遠く立ち退(の)いた。救世軍はこのとき太鼓を敲(たた)いて市中を練り歩いている。(略)
火事がある。赤子が生まれかかっている。練兵場で新兵が叱(しか)られている。身を投げている。人を殺している。藤尾の兄(あに)さんと宗近君は叡山に登っている。
(略)
宇宙は二人の宇宙である。
(略)
呼ぶは只事(ただごと)ではない。呼ばれるのも只事ではない。生死(しょうし)以上の難関を互いの間に控えて、冪然(べきぜん)たる爆発物が抛(な)げ出されるか、抛げ出すか、動かざる二人の身体(からだ)は二塊(ふたかたまり)の焔(ほのお)である。

『虞美人草』 夏目漱石/著 角川文庫 (昭和30年 初版発行)

 この後、藤尾の母が帰宅して、藤尾は出迎える。

 藤尾が座布団の下に隠していた金時計が、小野の目に止まる。 
 金色、という色について色々な角度から語られる。漱石も欲のあるはずの人間の一人として、この色を肯定しているように見えたのが意外だった。

p.37
金は色の純にして濃きものである。富貴を愛するものは必ずこの色を好む。栄誉を冀(こいねが)うものはかならずこの色を撰(えら)む。盛名を致(いた)すものは必ずこの色を飾る。磁石の鉄を吸うごとく、この色はすべての黒き頭を吸う。この色の前に平身せざるものは、弾力なき護謨(ゴム)である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいい色だと思った。

『虞美人草』 夏目漱石/著 角川文庫 (昭和30年 初版発行)

 (詩人である小野は、生い立ちが漱石と似ていて、登場人物の中で漱石に近いのかなと思う。でも、藤尾の兄の甲野も哲学者だから、こちらにも半身存在しているのかもしれない。今は、小野の言葉の中に漱石の言葉が体現されていると思って読んでみる。)

 藤尾は、この金時計を、小野の首にかけてみる。そして何かしらを母と話して小野の首から金時計をとる。

しかし、のちに、その金時計は、藤尾の婚約者、宗近が受け取るべきものだと明らかになる。

一度かけてみただけで、すぐに引き上げたとはいえ、これから起こることの不穏な雰囲気が感じられる。

 wikipediaで、あらすじを読んでしまった💦
でも、漱石の言葉で聞きたい。

だから、文学に、文芸にネタバレなんてないんだ、ってどこかでどなたかも書いていらっしゃった。

 その人の言葉で全てを聞きたい、というのが作家の文体であり、魅力なんだと思う。

『虞美人草』 夏目漱石/著 角川文庫 (昭和30年 初版発行)

 


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