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地元での共同起業を経て 空間デザイナーとしての道へ


上司からの苦言と挫折

自分は20歳の頃、東京にある空間デザインの専門学校を卒業し、新卒で地元長野の企業に就職をした。
その会社は専門学生時代にインターンシップで1週間ほど職場体験もさせてもらっていたので、あらかじめどんな仕事をする会社かは知っていたが、じつはその時点でその仕事が自分に向いていないことは気づいていた。

当時は現在のようにリクルート情報を簡単に手に入れることはできず、いや…それほど真剣に情報を探していなかったかもしれないが、とにかく県外から地元に就職するハードルが高かったため、ここでいいか。と、たかを括って就職先を選んだのだ。

しかし、そんな状態で仕事が楽しいわけもなく、6ヶ月後には上司に退社することを伝える。

その時の上司の反応は当時の若造にとって、うざったいそれでしかなかった。「石の上にも3年。お前はまだひとりで仕事もできない。そんなんでこの仕事が楽しいとかつまらないとか、それすらわかる立場にない。とにかく我慢して続けてみろ」
そう言われて引き下がる自分。今思うとそれで引き下がる程度の決意だったのだ。しかしこんな若造に真剣に思いの丈をぶつけてくれた上司を今では尊敬している。

今の自分は、同じ場面で若者に何を伝えるだろうか?そんなことを考えると、恵まれた職場だったのだと思う。

起業への決意

入社3年後、上司が言うように我慢の日々。しかし次第にひとりで仕事を任されるようにもなり、仕事の楽しみもそれなりに感じるように成長したのだが、やはりその場所に居続けるだけの「何か」を持てず、モヤモヤとした気持ちを抱えていた。

そんなこんなで起業することを決意。
現在のBlackPepperの代表でもある鍋内とは高校からの友人である。この時私は彼に一緒に何かで起業しないか?と持ちかける。
当時の鍋内の心情はわからないが、二つ返事でOKをくれたため、そこから毎週のように何をして起業するか考える日々が始まった。
なんて恐ろしい。。。
何かしたくて起業するのではなくて、起業して何をするか考えていた。
とにかくそんなお馬鹿さんでも、若者というのはエネルギーがあるので突っ走れるものだと今は思う。
もちろん現在もエネルギーがないわけではないのだが。

それから2年間、何度も何度も自分達が何をするべきか考えた。
この時、起業するモチベーションとしていたものは、「お金儲けができること」
そうして考え抜いた結果、音楽のクラウドファンドサイトを作るということになって、それまでに貯めた資金を全投入してついにはサイトも完成させた。

これがBlackPepperのはじまりである。

2年もの歳月をかけたビジネスを辞める決断

あとは利用者を集めるだけというところで、いろいろな関係者と打ち合わせをしていく流れとなる。
しかしこの時にふたりは気づく。音楽関係者ってクセつよで、話してると疲れる。
夢のある話をしているのに、ネガティブな意見ばかりでつまらない。(その時はそういう人が多かったって話。笑)そう思ったら一気に熱が冷めてしまって、2年間せっせと考えたビジネスをその場でやめてしまった。

この私の判断に鍋内はさすがにドン引きしていたのを今でも覚えている。
でもその数時間後には、「面白くないなら仕方ない。じゃ次は何をやりますか!?」って聞いてきたときは私も驚いた。
自分はこのとき、彼の底知れない大きさを知り、彼の信頼を裏切るようなことはしてはいけないと心に誓ったのだ。

そこからは一旦2人で考えるのではなく、まずはひとりで自分の心に問いかけることにした。きちんと自分の本心や考えをまとめてから、鍋内に話そうって思ったから。
お金とかそういうんじゃなくて自分が本当にしたいことはなんなのか??考えること数時間。前回何をするかに2年費やしたのに、今回は数時間で答えが出てしまったのだ。

それが「デザイン」をすること。

共同代表の一人 鍋内志一
彼の支えあってこそ 今の選択があったと言える

心強い味方の後押しと建築への道

自分は昔から、形のないものを創造したり、工夫によってそれまで見向きもされなかったものに光を当てたり、そんなことをしている時間が好きだった。だから、面白いって思えることはそれしかない!とシンプルに思えた。
早速それを鍋内に話すと、またもあっさりと「やりましょう!」と。

ここまでで一旦最初から読み返してみると、本当に危うい2人だ…。
こんな自分たちを見てるとなんだか起業することに勇気が湧きませんか?
でも私のようにはできても鍋内のようになれる人なんていない気がしますがね。

そうと決まったとしても。なんのツテもない二人が初めから収入を得るのは難しいわけで。
まずはバイトをしながら、せっせと営業活動を。
はじめはペーパーもののデザインやロゴのデザインなど、お金にならなくても細かい仕事をこなす日々。

そこに転機が訪れる。鍋内の父が工務店をやっていたことから、自分も学生の頃に勉強していた空間デザインをやってみたいと思ったのだ。
だが現実的にきちんと生計もたてつつ、デザインという仕事が続けられる道を考えて、まずは建築のことをしっかり学ぼうということになり、自分と鍋内は父のツテを頼って大工の弟子入りをし、バイトもやめて建築の修行を始めた。
幸運なことに軽井沢の別荘建築を3年にわたり経験し、その間も現場からもらってきた材料を使ってプロダクトのデザインをしたり、当初の「お金儲けができること」とはほど遠い毎日だったが、それでもやりたいことが継続ができる環境で、充実した日々を実感していた。
次第に営業活動が実になり、店舗案件や住宅案件を手がけるようになっていく。

ガソリンスタンドをリノベーションし 起業当初のデザインの拠点に

建設会社としてのBlackPepperの誕生

2017年6月。ついに建設会社として株式会社BlackPepperを起業。
必要な資格も2人で取得し、建設業許可や設計事務所登録まで行う。
この頃には口コミも広まり、仕事も増えていった。

ただしBlackPepperはただの建設会社ではなく「デザイン」を生み出す会社というブランドを大事にしたかった為、そのためのブランディング活動にも力を注ぐことは惜しまなかった。

BlackPepperの強みは、デザイナーである私が、デザインへの探究心を追い求め、いろいろなものを見て吸収し、自らのボキャブラリーとしていること。これは紛れもなく好きでないとできないこと。さらに実際に建築でそれらを実現しようとすると、その仕組みから考えなければいけないし、面倒なことも多い。工程も複雑かつ多忙を極める。
それを真摯に取り組むことにやりがいを感じる鍋内という存在がいること。これまた好きでないとモチベーションが続かないことなのかなと。

2人にとってこの仕事こそが「心の底から好きで、やりがいを持てること」だったと思う。

そして、この心情に共感を得てくれた仲間が、日に日に集まり2023年9月現在では14名体制に。

今ではもう、2人でやっていたときとは動き方も変化しつつあるのだが、それでもBlackPepperの想いに集まった仲間と仕事することは、2人だけでやっていた時以上の喜びに溢れている。

これからのビジョン 未来へ

ふと思い出すんですよね。自分が一番初めに就職した会社のことを。
どうして、本気で向き合えるほどの魅力を感じなかったのか?
一生やり続けたい!!みたいな強い気持ちが湧かなかったんだろうか?と。
おそらく、なんとなくゴールを見てしまっていたように思う。この先10年でこうなって30年後にはこうなってて、このぐらいのポジションで退社して、老後…みたいな。もちろんそんな簡単にいくとも限らないが、結果のわかりきった答えの過程をなぞるほど面白くないものはない。道順のかいてある迷路をやるような感じで。

だからBlackPepperでは、お客さまにも、取引様にも、そこで働くスタッフにも底の測れない可能性の満ちた会社でいたいと思う。自分自身もこの先のBlackPepperがどうなるのか想像できないくらいに。

デザイン業務においても同じだが、この会社は新しくチャレンジすることにおいて、かなり前向きな環境があると自負している。

今年は映像クリエイトをはじめる予定もあるし、革新的な仕事環境を実現するための自社ビルリノベーションプロジェクトも始動。

移転直後のオフィスの様子
ここから今後のプロジェクトを想像していく

自分自身が一番、誰よりも今後のBlackPepperの動向を楽しみにしているし、目が離せない!
一生続けたいし、自分もこのチームでプロジェクトに参加していたいと本気で思う。

皆様もこんな僕らをこれからも温かい目で見守ってください。


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