引きこもりについて2

引きこもりが人を巻き込んで死のうとした事件、引きこもりの息子を殺した親。安楽死。貧困問題。

これらは他人事じゃない。人と人が繋がることでこれらは少しずつ解決していくんじゃないかと思っている。引きこもりは理解されないがゆえ1人になってしまいやすい。

果たして自分が病気になった時1人でずっと天井を見つめていたいか?貧困に悩んだ時、助けてくれる人はいるか?引きこもった時、声をかけてくれる人はいるか?

一方で心ない言葉をかけてくる人もいる。言葉の刃は本物の刃物より致死率が高い。体の傷はいずれ治る。心の傷は一生付き合っていくか、治りづらいか、最悪言葉に殺される。

相手が何をしたら嫌な気持ちになるのか?みんな考えない。死にたいって言うと死ぬなって簡単に言う。
そして放置する。それなら、みんな忙しいのは分かってるから常にとは言わない、1ヶ月か2ヶ月に1回でもいいから、少しずつでいいから声をかける。そうすれば相手の状況が把握できる。逆の立場になった時、きっとそうされると嬉しいと思う。

私は数少ない友だちの状況を知っている。でも、向こうは私の状況は知らない。声をかける。そこに重要性を感じている。

少しでも自殺者が減るように。若い人の死因の第1位は自殺だ。寂しいと人は死ぬ。私が声をかける1人目になる。声をかけるだけで気にしてもらえる存在なんだという自己重要感が高まるから。生きていてもいいんだと思えるから。だから他人の痛みには鈍感にはなりたくない。

それに1人で生きていくためにはたくさんの知識が必要だから毎日少しずつ勉強しているし、自分の知らない世界の事も知りたいし、自分で自分の身を守らなきゃいけないから、護身術や合気道空手なんでもいいから格闘技を身につけて最悪ナイフを向けられても立ち向かって行けるようになるつもりだし、英語も話せるようになりたい。

私は別にいつ死んでもいいから遺言書も半年に一回位おきに書き直しながら常に書いてる。そのくらいの覚悟で生きてる。ただ、遺言書を預ける場所がない、たくす人もいない。

私の欠落してるところ。友だちがいないこと。人を助けたいのに、、、

私の欠点を見て離れてゆく。

それでもいい仕方ない。

今は引きこもりの時より明るく生きてるけれど、やっぱり少しずつ立ち直ったのは支援してくれる人がいたからだ。

何とか繋がってほしい支援者と。

文責咲良那生(にゃーちゃん)

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