結局何に『適応』できなかったのだろう?

年が明けてはや半月経って、少しづつ心に余裕が持てるようになってきたので、適応障害で休職に至るまでのことをゆっくりと振り返ってみた。

潰れてしまった原因は、大きく二つあったと思っている。

一つは、私の担当する案件で委託先のプロジェクトリーダーが鬱病になってしまったこと。
関係者の間では、私が潰したということになっていたみたい。
そして、あることがきっかけで、委託先も私の上司たちも一方的にそう結論づけていたことを知ってしまった。

時間が経過して、少し冷静に振り返ることができるようになった今となっても、私に全く非がないとは思ってはいなくて、その方に少し厳しく接していた部分は確かにあったから、一因が私という自覚はあるけれど。

でも、そうなってしまった要因は幾つかあったと思われる中で、裏でそのように断定的に思われていたことがショックだった。
そして当時は、精神的に参っていたこともあって冷静になれず、私自身も私がその方を潰してしまった元凶だと思い込んでいて、その案件を続けることが怖くなってしまった。

もう一つは、上司との人間関係が上手くいかなくなってしまったこと。
何ヶ月かの間に些細な行き違いが重なったことで、次第に上司のことを信じられなくなっていった。
そして休職する直前には、コミュニケーションがまったく取れなくなってしまっていた。

行き違いは、職務に関わることもあったけれど。
それ以上に、私の性別移行に関わることでのやりとりの中で、その上司、ひいては会社への不信感が募っていったことが背景にあったように思う。

私からは、七月か八月頃から会社、具体で言うと人事やダイバーシティ推進担当者との摺り合わせを求めていて、その仲介を直属の上司にお願いしていた。
入社時の役員面接の際に、社長と副社長から配慮と準備をするという言葉を直接もらえていたし、その時に目安として私から伝えていた時期から逆算して、この時期あたりから少しづつ擦り合わせをし始めたいと思っていたのだけれど、会社からの働きかけは一切なくて、少し焦りも感じていた時期だった。

社内での周知をどのように進めるか、女性装での出勤をいつから開始するか、どちらの性別のトイレを使用するかと社員の方々にどのように理解を求めていくか、ハラスメントが起きた場合にどのように対処すればよいか/その予防のために双方できることは何か、私個人に関わることだけではなくLGBT社員が心理的安全性を確保して安心して従業できるために会社としてどのような施策やロードマップを考えているのか・・・等、私の視点からは幾つもの課題があると思っていたけれど。

そして九月の終わり頃に、その件について上司と会話をした時に言われた言葉で、私の上司に対する不信感は決定的なものとなってしまった。

会社に女性装で来るのはいつからでもいいし、あなたの好きにしてもらっていい。ただ、何かあった時に会社を訴えるとかそういうことはしないでほしい。

私は、会社にできる限り迷惑をかけないように、しっかりと会社と擦り合わせをして、双方が納得のいく形で進めたいと思っていた。
周囲の一部から受けるであろう多少の差別的な言動については覚悟はしているし、我慢するつもりでいる。
周囲の方々の理解を得るにはそれなりの時間がかかるだろうと思っているけれど、少しづつでもいいので会社が何か取り組みを見せてくれているのであれば、それだけでも少し安心できるだろうと思っていた。
でも、ここ一年ほどの間で、会社が動いてくれている気配はほとんど無かった。

先日、復職に向けての産業医面談に臨んだ。
産業医の方と人事の方と私とで、再び潰れないために私と会社と双方でどのようにしていけばよいかについて擦り合わせをした。

私からは、今の所属部署からの異動を希望した。
また、件の案件へ戻ることは無理であることも伝えた。

当面は、在宅ワークの比率を高めにしてもらいたいということも追加で要望した。
それまでも割と自由に在宅ワーク可能な状況ではあったものの、潰れるまでの何ヶ月かの間、外に出られなくなったり会社に行けなくなってしまうことが怖くて、無理して出社していたことも状態をかえって悪化させた要因だと思われた。
再び緊急事態宣言下にあり、職務内容からしても、それほど難しくない要望だと思っている。

職務内容や休職に至った経緯について質疑応答をした。
先述の潰れてしまった原因についてもひと通り述べた。(記載どおりだとさすがに直接的すぎるので大雑把にではあるけれども)
差別を恐れていて不安に感じていることと、それを一因とする希死念慮もあったということも伝えた。

産業医の方は「希死念慮は何とかした方がいいよね」と言って、厚労省が発行しているパンフレットを渡してくれた。
「こころの耳」というメンタルヘルスのサイトのことやら、生活習慣の改善などの記述があった。

いざというときに会社が守ってくれないと思っていることは、言えなかった。
それを言うことは甘えになるのかもしれないと思い、言えなかった。
でも一番は、もう会社に期待することは止めようと思ったから、言わなかったのだと思う。

何もなければ、早ければ今週の後半、あるいは来週初から復職することになるから、その前にまだ胸に残っていた蟠りを吐き出しておきたかった。

全てを水に流して無かったことにしたいけれど、なかなかできそうにない。
そして、そんな私自身をまた嫌いになりそうになる。

そんな時に、こんな言葉を思い出して、救われた。

信じていた人に傷つけられても自分を責めないで。
あなたの信頼を大切に扱わなかったその人が悪い。

休職してからの一ヶ月半ほどの間に、いろんな言葉に救われたと思うし、それらの言葉を今後も救いにして、焦らずゆっくりと社会復帰していけたらいいなと思う。


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