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The1975はなぜ新時代のロックスターになり得たか



(私が大学のレポート用に書いたものだが、こちらにも投稿させていただく)

ジョニーロットンが「ロックは死んだ」と言い放ってからすでに半世紀近くが経過しているが、近年(特に2010年代)はヒップホップがメインストリームを席巻するなどその言葉も真実味を帯びてきた。

多くのロックバンドは奮わない時代となってしまったが、その中でも若者の人気を博し、着実にその地位を確かなものにしているバンドが存在する。新時代を彩るロックバンドはいくつかあるが、その中でも特に近年注目度の高いバンドがThe1975である。

単純な楽曲の良さやアイドル的人気が先行イメージとして付随し評価されがちだが、本論ではこのような時代でも共感を得られる理由やそれまでのロックとの違いを、「音楽的視点」と「精神的視点」の二つの視座に立って読み解いていく。


1.The 1975とは

「The 1975(ザ・ナインティーンセヴンティファイヴ)は、イギリス出身のポップ・ロックバンド[1]。2002年にチェシャー州ウィルムスローで結成され、現在はマンチェスターを拠点に活動している。ボーカル・ギターのマシュー・ヒーリー、リード・ギターのアダム・ハン、ベーシストのロス・マクドナルド、ドラマーのジョージ・ダニエルの4人組
現在までに4枚のオリジナルアルバムを作成し、全てがU Kチャート1位、うち2作がU Sチャートでも1位を獲得している。」 
引用 : Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/The_1975

イギリスのバンドがUSチャートで首位を獲得することはかなり珍しく、Oasisですらそれは成し遂げていない。

また、昨年にはSummer Sonicのメインステージ大トリ前に出演するなど、我が国においても着実にその知名度は高まっている。
(かくいう私も二列目で拝むことができ、大変満足であった)

2.音楽的視座からみたThe 1975

a) 多様な音楽性

The1975の特徴としてあげられるのはその音楽性の多様さである。

80sのポップスやニューウェイブ、ガレージロックを基盤にしながら、作品を追うごとにジャンルを問わず様々な音楽をシームレスに吸収し続けその多様さを発展させている。その音楽性がいかに特殊であるかを彼らの最新アルバムを取り上げながらみていく。

Notes on a conditional form(2020)


本作は今年の5月に発表されたばかりだが、各方面で批評が繰り広げられている。
その原因は“とっ散らかっている”から。音楽性の統一感のなさが賛否を呼んでいるのだ。エレクトロやR&Bといった方面へのアプローチは過去の作品でもすでにみられており、前作ではゴスペルなども取り入れていたが、今作は今まで以上にその多様さが浮き彫りになっている。

いくつか例を挙げてみる。


・People

完全に新機軸を打ち出したファーストトラック。最初にシングルカットされた曲で、P Vも発表当時は物議を醸した。そのインダストリアルで激しい音像はまるでPrimal Screamの「XTRMNTR」収録の「Accelerator」を彷彿とさせる。


・Jesus Christ 2005 God bless  

この曲は打って変わりRyan Adamsなどのオルタナカントリーを基盤にした曲で、より有機的に感じられる曲である。個人的には「Oh my sweet Carolina」にかなり似ていると思うのだが意図的なのだろうか…。


・Guys 

深い陶酔と哀愁を感じさせるシューゲイザー的音像はSlowdiveの「Alison」などからの影響を強く感じる。


Yeah,I knowやShiny Collarboneなどといった楽曲についてはJamie XXのようなローファイ・ダンスミュージックなどの音像を見て取れる。


他にもUnderworld調のエレクトロの楽曲やガレージロックに立ち戻った楽曲などバラエティに富んだ楽曲が収録されている。

現時点での最新アルバムからいかに彼らがジャンルレスな音楽性を持ち、楽曲に反映させてきたかを大雑把に読み解いてきたが、ここでポイントになるのは、それが全く脈絡のないものではなく、あくまでThe 1975の一要素として取り込まれていると言う点なのだ。
ジャンル分けは難しいが紛れもなく“The 1975の音”であるということがセンスの高さを感じさせる。

b)それまでのU Kロックとの違い

それまでミクスチャー的な要素を持っていたロック(特にU Kロックは他ジャンルとの融合の歴史を持っている)との違いは何か。
それはあくまでロックという枠に収まるか否か、そして軸をどこに設定するかということである。かつてのUKロックは”ロック”の枠から出ないもので、サウンドスケープ上ににおいて他ジャンルとの融合を図るということは為されてきた。

例えばLed ZeppelinのD'yer Mak'erはハードロックとレゲエサウンドの大胆な融合であるが、それがロックの枠組みを外れることなくまとめられていることがわかる。

しかし1975はロックサウンドであることに拘らず、諸要素の一つとしてしかロックを見ていない。それゆえ、同アルバム内でも全くジャンルの異なる音楽群が並んでいる。

また次節でも述べるが、むしろロックンロールの脱構築として他のジャンルが取り入れられていることもあるのだ。
プログレッシブロックなどもそうした側面を持つが、ロックから乖離すればするほど現代音楽的な難解さを持つため、メインストリームの音楽という切り口で鑑みたときに同ステージで語られるべきではないだろう。

そして皮肉にもそのバラエティの豊富さが、リスナーが楽曲を楽曲単位でしか認識しないサブスクリプションの時代に即した形にもなっているのである。

c) 「ジャンル分け」の形骸化

前述のように様々な要素を取り込んだ作品を発表し続けるThe 1975だが、彼らは仮にジャンル分けをするならばどのようになされるべきなのか。

ポップロック、エレクトロ、はたまたミクスチャーロック…。おそらくどのジャンルにも当てはまりそうで、当てはまらないのである。これは何もThe 1975だけにみられるものではなく、ジャンルレスに多様な音像を吸収し続ける姿勢は現在多くのバンドで見られる。

E X : King gizzard & the lizard wizard : 基本的にはサイケデリックロックをルーツとしているが、アルバムごとにコンセプトが全く異なっており、ジャズからハードロックまでこなす。



E X2 : Leprous : プログレッシブロック/メタルを確かな基盤としながらJames Brake等のポストダブステップやBjorkやPortishead、ケミカルブラザーズあたりのトリップホップなどクラブミュージックをロック的リズムからの脱構築として取り込んでいる


こうしたバンドはジャンルレスではあるが一聴すれば紛れもなくそのバンドの“音”となっているから決して没個性ではなく、むしろジャンルレスであることがその個性をより際立たせているのだ。
こうしたジャンルレスな音楽が世に広まりつつある中、The 1975の体現する音楽とそれを受け入れられる土壌も相補的に醸成されていったのではなかろうか。
そしてこの「ジャンルレス」というキーワードこそ現代における若者の精神性にも通ずるのである。


3. The 1975の精神性


「彼らは極めて現代的である」

The1975が若者に受け入れられる理由はその精神性が現代的であるからだ。

S N Sが発達した現代において、我々は良くも悪くも自己同一性の不確かさに気づかされる。溢れかえる情報がそれまで目を向けずにすんだ自分の矮小さを浮き彫りにし、容易になった他者との比較が何者にもなれないといった情を沸き立てる。

一方で、S N Sによるコミュニティの拡大は例えばジェンダーレスという概念の表層化に一役買うなどの功利も残した。これらの“何者にも属さない私“という精神性は明らかに近年における若者の特徴であり、これと合致しているのが先ほど述べたThe 1975が表現する”ジャンルレス”なのである。

また彼らが表現する詩を見てもその精神性が現代的であることが分かる。

彼らは何かを解決する答えも手段も我々には与えない。ただ自己の内面にある感情を吐露するだけなのである。
ジム・モリソンが耽美を、ジョイ・ディヴィジョンやカート・コバーンが痛み、苦しみを詩に連ねたのと同様に、フロントマンであるマシューも己の弱さやエゴを包み隠すことなく、それらを曲中において赤裸々に告白している。

I always wanna die(sometimes)」では表題の通り「僕はいつも時々死にたくなるんだ」と、やるせ無い感情を、矛盾しているがしかし若者の漠然とした不安を的確なフレーズにて表現し、反芻しながら歌い上げる。


また、他の楽曲においてはマシュー自身の薬物依存について取り上げるなど、いわゆるスターやアイドル的な美化されたものだけを発信しているのでは決してない。

そもそもこうした動きはXXXTentacionLil PeepなどのエモラップBillie Eilishなどのアーティストが体現してまさしく今日に受け入れられていたものであり、同様のスタンスをもつThe 1975も共感を得られたということは至極当然のように思う。

さらにそうしたアーティストとも異なる点として、ただ内省的なだけでなく、我々が普段感じている偏在する不安や焦りみたいなものを実社会の問題と照らし合わせながら発信していることが挙げられる。
具体的には薬物依存や政治や環境問題、ジェンダーやSNS社会についてである。現に最新アルバムではアルバム一曲目にグレタ・トゥーンベリ氏のスピーチを引用しアルバムのイントロとしていたり、歌詞の中でも皮肉をもってそうした社会問題に言及したりと、内面の不安と併せて社会全体の不安をも掬い上げて表現している。

SNSの発達により誰もが不特定多数の社会の怒りや澱みに関与でき、卑近に感じられるようになった今、メインストリームにおいてそれらを声高に表現することが改めて重みを持った行為として立ち現れてくるのである。

4. The 1975とはなんなのか

もはやロックバンドではないのか?

その“はっきりしない”音楽性と精神性から、従来のいわゆるロックとは明らかに異なるスタンスを持っており、「ロックじゃない」と切り捨てる人もいるかもしれない。しかし、音像の根底にはいわゆるバンドサウンドが確実に根を張っているし、己の弱さや社会問題へのやり場のない不安からくる攻撃性や怒りみたいなものは内包しておりその点ではパンクスとも相容れる部分がある。また、

「ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま踊らせるのだ」

これはザ・フーのギタリスト、ピートタウンゼントの言葉である。
彼の言葉こそ、現代的なロックにも通ずる(むしろそれが昨今求められている)考えであり、The 1975の体現するところである。

彼らはライブにおいて、終盤になると曲に合わせて

“Rock & Roll is dead , God Bless The 1975”

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という文章をスクリーンに映し出す。これは彼ら自身がステレオタイプなロックンロールからの脱皮を目指す姿勢の現れに他ならない。
50年前とは生活環境や社会情勢が大きく異なっている現在においてロックンロールももう一度人々の代弁者としてアップデートされねばならない。

The 1975はただの商業音楽ではない。それまでのステレオタイプな「楽しい/激しいだけの音楽」としてのロックンロールでなく、ポップな楽曲を基盤に、ポストパンクやグランジが醸成した”内向性を孕んだ有機的で卑近な”ロックンロールを、時代に則した新しい形で表現したのが彼らに他ならないのである。


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