SNSとお人柄
政治の話題を見ていると、その人の考えかたなり、人生観が判るような気がします。
昔から、政治と宗教の話はビジネスでは御法度というのは昔からよく言われることです。
もっとも、世間話としての政治談義は気の置けない仲間とのコミュニケーションとしては適切と言えるかもしれませんが、その度合いが限度を超えると、時に軋轢を生んだりします。
特に、twitterでは、形態のショートメッセージと同じ140文字と限定されることから、言葉を推敲する必要があります。
時にその言葉が足りなかったが為に、炎上したりなんてこともあるわけで、私も意識して使うようにしていますが。
十分とは言えません。
ただ、一番意識しているのは、相手を貶めない。個人を攻撃しないと言ったことを一番に意識しています。
いくら個人的に嫌いな代議士であったとしても、その代議士が選挙で落選してしまえば公人ではなくただの人です。
政治家を批判するのは、その限度はあるとは言え、公人ですから批判は許されるでしょうが、政治家でなくなった元代議士に対して、辛らつなj言葉で人格を否定するようなことは厳に慎まなくてはなりません。
ただ、そうした見極めが出来ない人が時々いるようで、そうした人を見ていると正直寂しい気持ちになってしまいます。
また、自分の主張をどや顔でSNSで書かれる人も、正直見苦しいですね。
最近見た例としては、和暦(所謂、令和とか平成という年号)が嫌いなので、市役所などで手続きするときは、年号と言う文字を消して、西暦を書くとか・・・SNSでわざわざ書く人などを見ると、何だかなぁと思ってしまうわけです。
そんなことをいちいち言う必要はなくて、心の内に留めておけば良いことなのです。
人には誰でも、承認欲求と呼ばれるものがあります。
認められたい、大事な人と思われたい、・・・そんな思いから、「私はここに居る」をSNSの中で発信しているのでしょうが、もう一歩進めて、前に踏み出す事の方がもっと大事だと思うわけですね。
SNSの中で呟くのも大事ですが、更にその考え方をしっかりまとめて、動画であれ、blogであれ、自分の得手がある方法で発信すべきではないでしょうか。
そんな気がするのです。
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