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西山の爽気、我が襟袖に在り


私は心も身体も、あまり強いとは言えないが

よく『無理』を背負って生きていることがある


仕事も遊びも手を抜かない


それでも
20代の頃は若さだけを武器に
深夜まで遊び、寝不足で仕事へ
なんてのも一度や二度とではない。


仕事もそれなりにこなしていた。
『無理』という単語を
『期待されている』という気持ちに変換して

上司や支えてくれる後輩のために仕事をしていた。

特に後輩に対しては、
仕事が楽しいと感じてくれるのなら
私が5連勤になろうが10連勤になろうが
まったく気にしていなかった。


それから現在まで
10年程度勤めただろうか

部署移動もあり、
私が仕事を教わる後輩の立場になったりもした。
『誰かに指導をする』ことが滅多になくなり、
楽になったか…といえばそうでもない。

私が後輩を育てる理由は、
私が楽をしたいからだった。

私がしている業務の8割を
みんながやってくれるようになれば、
残り2割の重要な業務に専念できたり
別の課題をみつけることができるからだ。

それに対して、
移動先は完全なる役割分担。
業務を教えて『できる人材を育てる』
というシステムがなかった。

私が新しい仕事をしようとすると
言葉では言わないが
『余計なことをするな』という雰囲気になる。

それが窮屈に思えてしまうこともあった。


肌荒れがコンプレックスだった



学生時代から肌は荒れやすく
高い化粧水を使おうが
何をしてもダメだった。

思春期ニキビを潰しては跡になり
さらに新たなニキビが生まれ
頬は常に真っ赤。

大人になってから顔のニキビは治まったものの
あご周辺のニキビに悩まされた。

学生のときも大人になっても、
そのことを人にからかわれたり
心配してくれる声さえも恥ずかしい気持ちになった。

おそらく気遣いでかけてくれた言葉だが
その声が広がり
他の人にまで私の肌荒れが注目されてしまう。

それが嫌で、ストレスになり
またニキビを生む。


いつもの肌荒れとはちがう


そしてある日
あご周辺だけの炎症だったのが
背中や腰のあたりまで広がってしまった。

水疱になっている。
膿がつぶれて服に張り付くと
ものすごい痛みが襲った。

出勤を午後からにしてもらい
すがる思いで皮膚科を受診すると

『帯状疱疹』

と診断される。
初めて聴く病名だったが、不安や恐怖よりも
今まで悩んでいたことの名前が
存在したことに安心感を覚えた。


診断後、
午後から仕事だと伝えるとかなり驚いていて
通常だと離れの薬局でしか受け取れない塗り薬を
診察室まで持ってきてくれて
その場で看護師さんが塗ってくれた。

あとで自分で調べてわかったことだが
帯状疱疹は風邪と同じで、
発症したら安静にするのが普通らしい。


私が手の届かない背中のあたりまで
水疱は広がっていた。

仕事とはいえ、
水疱だらけのその箇所に
薬を塗ってもらうのが申し訳なかった。


そして
薬を塗りながら看護師さんが言った言葉に
これまでの自分を振り返り、涙が出た。


『もっと自分をいたわってあげてくださいね』


その時やっと自覚したが、
私は疲れていたのだ。

肌は最初から、私に警告していた。
誰かの些細なひと言で
心にダメージを受けると
赤信号のようなニキビが点灯する。

どこかで
『無理することは美しい』
と自分で美化していた。

今度、本気で無理をしたら
帯状疱疹では済まないかもしれない。


看護師さんが背中に薬を塗ってくれた
手の温度と、暖かい言葉は
自分を甘やかしても、
自分に優しくしても良いのだと教えてくれた。


西山爽気、在我襟袖。
柳宗元

〈意訳〉
小高い山の頂上に到着すると、一陣の涼やかな風が襟元や袖口から入り込み、身の内を通り抜けてゆきました。


***


ここ数日、職場での慌ただしい雰囲気に飲まれていたが所詮は井の中の蛙、暗闇しか見ていなかったのだ。

澄んだ空気、心救われる言葉によって
身体全体が清められたような
爽やかな気持ちがあることを、
それまで忘れていた、優しさを感じた言葉。

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