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コピーライターとして生きると決めた日。

10年、20年先の社会に
現在就いている職種が残っている保証なんてない。
そんなことが叫ばれる時代の中で

ボク自身には
コピーライターは辞めないと
決めた日があった。

その日は
仕事で成功体験をした日でもなければ
くやしい体験をした日でもない。

ボクが30歳くらいで、こどもが2歳のときかな
こどもの定期検診のとき。

ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)
の疑いがあります。

と伝えられた日だった。

※ここではASDについて
詳しくはふれませんので下記参照くださいね

その検診の日、専門医を紹介され
後日、紹介先の病院の診察室に入るや否や
専門のお医者さんからは

「あ、ASDですねぇ」

と瞬間で伝えられた。
もう何万と例を見ているから
息子が診察室に入ってくる姿でわかったらしいのだ。

嫁さんは、落ち込んだ。
自分の育て方がまちがっていたのか。
遺伝子が悪いのか。悩んでいた。
(実際はそんなことに起因しない)

でもボク自身は、そこまで落ち込まなかった。

(不謹慎かもしれないが)
コピーライターとして
曲がりなりにも仕事にしてきたのは
このためだったのかもしれない。

そんな風に宿命を感じたのだ。

息子は、言葉、文字が弱かった。
そして、場の空気を読めなかった。
興味ない人への関心が極端に薄かったから。
アタマの薄い人を見たら、聞こえる感じで
「なんでハゲてるの?」と
ボクら親に聞いたりもしていた。

いっぽうで、暗記力はやたらと強かった。
30分アニメを2回くらい見たら
セリフをすぐに覚えて、ごっこをしたりしていた。
そして、LEGOなどのブロックを組ませたら
それはそれは大そうな建物をつくっていた。
30を超える大人でも、本当にそれは感心した。

他にも、苦手なこと、得意なことの差はくっきり
いろいろあったけども、

単純にボクにつきつけられた命題は

この子が大人になるまでに伝えたい
人としての大切なことの「伝え方」を
考えないといかんなぁということだった。

幸いにもボクには「コピー」という武器があった。
そこまで経験は5年ほどだったが、
学んだことを子育てに活かそうと考えた。

とくに、お友だちとの付き合い方。
お友だちが、よろこぶこと。
悲しむこと。痛いこと。
あの手この手で伝えにゃいかんと思った。

伝え方は、コピーを考えるのとおなじ。
コピーのように文字にはならないけど、

この子に、どうやったら伝わるか、だ。
複数じゃなく「この子に!」だ。

言葉の受け取り方が、
ボクが考えるのと少し異なることが多い中
その差をどう埋めるかを考え続ける毎日だった。

でもまったくもって、
その時間は苦痛じゃなかった。
愛息子だから。
「どうしたらわかってくれるんだぁ」って
息子といっしょに考えていたように思う。

そんなこんなで7年。
順調かどうかもわからないけれど
やさしい子には育っている。

きっと、これからも
アタマを悩ますことは多いんだろうけど
「伝え方」を考えることは楽しい。

なぜ、楽しいか。

伝わると、成長が目に見えるからだ。
これ以上の喜びはない。

話がズレたかもしれないが、戻すと

コピーライターとして生きていこうと決めたのは
息子の教育に活かそうと思ったから。

あんな視点、こんな視点、
いろいろな視点で
モノゴトを見れる大人に成長してほしいと思ってる。

そして息子から学んだのは
「伝える」の一番の醍醐味は
「伝わった」ではちょっと不足があって
「伝わって成長した」までを見ることだ。

ボクらの仕事は、伝えて終わりじゃない。
伝わった後に、おっきなご褒美がある。

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