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【書評】『絶対悲観主義』を読んで

前回、『朝日新聞政治部』の書評を書いてから、数人の方に本の書評を頼まれました。「とてもとても……」とお断りしたのですが、この本はどうしても気になったので、書かせていただくことになりました。
はて、どうなるか・笑。


絶対悲観主義』(楠木健著、講談社、2022年6月22日)とは、挑発的なタイトルである。

人間、ポジティブがいいに決まっている。

「悲観」なんてネガティブな発想で、成果が出せる訳がない。

そもそも気持ちも暗くなる。

しかし、本書は「悲観せよ」という。著者は、現在、注目度上昇中の経営学者、楠木健(くすのき・けん)さん。これはぜひ読みたいと思った。



楠木さんは、一橋大学大学院経営管理研究科教授という「カタイ肩書」を持ちながらも異色の人だ。

ひげ面におしゃれメガネという「イカツイ風貌」と「センスよい服」。渋谷や恵比寿あたりに本社を構えた起業家というイメージである。ロックバンド「Bluedogs(ブルードッグス)」のベース&ボーカルとしてライブ活動なども行っていて、なおさら大学教授っぽくない。


(株式会社ディープビジョン研究所 webページより)


しかし、経済産業省産業構造審議会委員を務め、ユニクロやGUなどを展開するファーストリテイリングなど有力企業数社の経営に参画するなど、経営学者としての公的な活動はハナバナシイ。いったいどんな人物だ?

講演がおもしろくて説得力があるという話は、前からよく聞いていた。しかも「嫌ならやめろ」「物事は好き嫌いで決めろ」「努力はするな」「頑張るな」などと、世間一般の常識を覆す、人を食った挑発的なことを言うそうである。

そんな著者の新刊。果たして、どんな内容か──。


◆絶対悲観主義とは──GRIT無用の心理的構え


楠木さんの言う「絶対悲観主義」とは、「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世にはひとつもない」という前提にたって行動せよという、ポジティブシンキングとは真逆の考え方である。

「フツーの人にとってベストだと思っている仕事への構え」「フツーの人向きの実用的な仕事の哲学」と楠木さんは言うが、ビジネスだけにとどまらず、生き方そのものに関わる内容だろう。


本の帯にあるGRITグリット)は、TEDスーパープレゼンテーションでも人気のアンジェラ・リー・ダックワースさん(ペンシルバニア大学教授・心理学者)が提唱する「粘り強くやりぬく力」のことで、次の 4つの心理的要素の頭文字をとったもの。

Guts(度胸):困難なことに立ち向かう
Resilience(復元力):失敗しても諦めずに続ける
Initiative(自発性):自分で目標を見据える
Tenacity(執念):最後までやり遂げる

GRITは現在、「成功する人」の心理的特性として、ビジネス界や教育界で注目を集めている。


「為せば成る……?」(О-DANのフリー素材)


楠木さんは、このGRITを「呪縛」と否定する。

「うまくやろう」「成功しなければならない」という思い込みが、困難と逆境を生む。そんな考え方から解放されれば、困難も逆境もないと説き、それどころか、「そもそも『うまくやろう』とするのが間違い」とまで言うのである。

なぜなら、「うまくいく」あるいは「うまくいかない」という事前の期待と、「うまくいった」「うまくいかなかった」という事後の結果を組み合わせて考えれば、

・事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらうまくいった
・事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらやっぱりうまくいかなかった

この2つがいいに決まっていて、「事前にうまくいくと思っていて、やってみたらうまくいかなかった」という組み合わせが最悪である。だから、「うまくいかないだろう」と悲観的に構えておこうと説くのである。ちょっと、ずるいが、納得はさせられる。


◆松岡修造vs楠木健──やればできる/うまくいかない


読んでいる最中、何度も松岡修造さんが頭に浮かんだ。心の中の天使vs悪魔ならぬ、頭の中の松岡 vs 楠木である。


松岡修造オフィシャルWEBページ ※松岡さんの考えも一つの真実とは思う)


この本の「うまくいかないという前提にたとう」という考え方は、今の省エネ時代にとてもマッチしている。常に「ポジティブシンキング」と「最大限の努力」を強いられて苦しんでいる若者のなかには、「こういう言葉を待っていた!」と思う人も多いはずである。日々の仕事で四苦八苦して折れそうな人は、ぜひ読んでみて欲しい。


楠木さんは刊行時点で58歳である。私はそれより一回り以上下。だが、40歳を超えれば、分かる。「やればできる!」は、嘘である。いや、嘘は言い過ぎだが、「やってもできない」ことの方が圧倒的に多い。

「努力は報われる」も、かなりの嘘を含む。努力してもダメなものはダメ。これが、ある程度の大人なら分かる真実である。

しかし通常、大人は「やってもできない」「努力は無駄になることも多い」とは言わない。なぜなら、「やらなきゃできない」「努力しないと成果は出ない」も真実だからである。


ただし、「頑張らなくていいよ、無理する必要はないよ、自分を大切にしてゆっくり楽に生きよう」などと、無責任に言う人も多いが、これは十数年後のその人の結果を無視した放言だろう。

この本は、そういうたぐいのものではない。

一見、「ゆるい生き方のすすめ」のように読めるが、徹頭徹尾、戦略の本である。さすが、競争戦略の専門家だ。

Webブログのような語り口で読みやすいのだが、ひと通り読めば一つの行動戦略が身に付くだろう(元々は日立Webマガジンでの連載を再構成したもの)。


楠木さんが提唱するのは、無駄な期待や圧力を排除して「気楽に取り組み、淡々と続ける」ことだ。そんな構えなのに結果が出るということは、楠木さん自身が証明している。

アクティブな投資は長期的にペイしない、一次的な成功は幸福の源泉にはならない、ベースラインこそ大事という、合理的で冷徹な分析に基づく「脱力系」の本である。


◆楠木流「自分経営術」


本書には、楠木さん自身のエピソードもふんだんに盛り込まれているのだが、人物像をすっかり誤解していたに気づく。

学者としての華やかな活動、頻繁なマスコミ登場、おしゃれな装い、ロックバンド活動などのせいで、派手な外向的な人をイメージしていたが、実像は全く違った。とても非社交的で、内向的な人のようだ。



それどころではない。集団行動が大の苦手で、友達が少なく、人に会うのが嫌い。一番、幸せな時間は、家で柿ピーを食べながら、本を読んだり、音楽を聴いたりする「室内文化活動」だという。

お酒は飲まず、会食が嫌いで、スポーツもしない。音楽活動以外は無趣味で、私的に出かけるのは月に1、2回だそうだ。

学生時代から「セルフ発表」が好きで、部屋で自分に向けて一人で講義をしたり(声に出して)、洋楽に合わせて口で伴奏したり、誰にも見せることのない文章を一人で書いていたりして過ごしたという。とても意外である。

だが確かに、文章中にそういう気質を思わせる記述が散見される。

「寝っ転がって考えたりするのが一番幸せだから、消去法で学者を選んだ」などはまさにそう。そういえば、どこか別の楠木さんの文章で、「将来はのんびりしながら考える貴族になりたいと思っていた」と読んだ記憶がある。この世代にはめずらしい脱力系だ。


セルフ」は、楠木さんのキーワードのように思う。徹底的に「セルフ発想」である。言い換えれば、良い意味での「自己中心」。相手の都合に巻き込まれない。徹底したマイペース。

「締め切りを約束する必要のある本の仕事は受けない。いつ頃仕上がるのかと聞かれた場合は、機が熟した時と答える」などは、その最たる例だろう。

ただし、これは本に限った話で、それ以外の原稿は必ず締切前に仕上げる、必ず約束は守るという。締切や約束を守れない人は「嘘つきと言っているようなもの」と手厳しい。


このように「絶対悲観主義」は、決して甘えたゆるい考え方ではない。主導権を自分で握る、想定外を起さないというセルフコントロール、つまり楠木さん流の「自分経営術」といえる。

前述の「努力はするな」という言葉の裏には、「努力が必要な時点で向いていない。好きなことだったら“凝る”になるはずだ。戦略的にそういう道を選べ」という意味がある。

「悲観から楽観が生まれる」「悲観から入ることはリスク耐性になる」などの本書の言葉どおり、「絶対悲観主義」は合理的で、ある意味、ポジティブな人生戦略なのである。


◆動じない、求めない、期待しない


本書は、エッセイの集合体のようなもので、「絶対悲観主義」の解説本ではない。読んでいくうちに、楠木さん流の「自分経営術」が身に染みてくるというスタイルだ。


長年、様々な企業の経営に関わってきただけに、エピソードが豊富である。チーム論の部分では、「自然発生的な分業が起こるのが理想のチーム」などの記述は、納得である。

著名な経営者や経営学者のエピソードも興味深い、ファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正さん、元ソニー会長の出井伸之さん、経営コンサルタントの大前研一さん、本田技研工業のナンバーツーだった藤沢武夫さん、経営学者で一橋大学名誉教授の米倉誠一郎さんなど、錚々たるメンバーの印象、行動、名言が登場する。楠木さんの「人間のオーラ」についての考察も、興味深い。


楠木さんが最も私淑するという昭和の大女優、高峰秀子さんの「動じない、求めない、期待しない、振り返らない」という生き方こそ、「絶対悲観主義」の理想なのかもしれない。帯には「レジリエンス不要」とあるが、これこそ本来のレジリエンスの考え方である。

『二十四の瞳』や『銀座カンカン娘』などで知られる高峰秀子は、スター女優時代は監督の道具に徹し、結婚後は女優の仕事をどんどんと減らして自ら引退し、人生の後半はエッセイストとして、自分の思い通りに生きて尊敬を集めた。厳しい時代を生きた昭和のスター女優としては、めずらしいタイプである。


(『高峰秀子おしゃれの流儀』高峰秀子・斎藤明美著、筑摩書房、2020年)


「嫌ならやめろ」「物事は好き嫌いで決めろ」「努力はするな」「頑張るな」などと、10年前、20年前に言ったら、大ブーイングである。

しかし、楠木さんの過去の発言や著書などを見ると、以前から同様のことを述べている。バブル期に育ったアラ還世代にしてはめずしい考え方だが、非常に「今っぽい」。楠木さんが最近、特に注目を集めているのは、時代が楠木さんに追いついたということだろうか。


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読書感想文

ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛