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実はドラッカーが語っていたオウム真理教の問題と日本の非営利セクター発展への期待~NPO法人ドラッカー学会オンラインイベント「任意団体からNPO法人へ―われわれが向かう先はどこか」に参加して

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒すために」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

さて、今回は、2024年8月17日の夜に、NPO法人ドラッカー学会の会員向けのオンラインイベント「任意団体からNPO法人へ―われわれが向かう先はどこか」があり、そこで初めて知ったことに衝撃を受けましたので、その記録として残しておきます。

なお、NPO法人ドラッカー学会は9月に会員ではなくても参加できる大会を予定しています。開催はオンラインもありますが、リアルでは九州大学の糸島キャンパスで開催されますので、ご紹介しておきます。

今回、衝撃を受けた、というのは、NPO法人ドラッカー学会の共同代表である佐藤等先生が紹介されたある書籍の文章で、私自身、持ってはいたのですが、ノーマークな部分であり、そこにそんなお宝が!と衝撃を受けたのでした。

その書籍はこちら。

こちらはドラッカーというよりは非営利セクターを支援するためのドラッカー財団が1993年に刊行したもので、日本語版は1995年に出ています。

その日本語版刊行に際してドラッカーが書き下ろした前文「日本の非営利セクターへの期待」にこういう記述があります。

最近、日本で、狂信的かつ暴力的な反社会的宗教団体が現われて、極めて有能で高学歴の若者を引きつけたのは、コミュニティの混乱と社会のアノミーを知らせる不吉な兆候である。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.5

この「狂信的かつ暴力的な反社会的宗教団体」というのは、もちろん、オウム真理教のことです。この事件についてあまり詳しく知らない、という方のために、一応、Wikipediaへのリンクを貼っておきます。

ドラッカーはもうひとつ、日本での大きなエポックメイキング的な出来事にも触れており、それが阪神大震災です。こちらも一応、Wikipediaへのリンクを貼っておきます。

ドラッカーの文章を長めに引用してみます。

多くの日本の友人と違って、阪神大震災に際しての政府の対応の不適切さに、私は驚きもしなかったし、またショックも受けなかった。どんな政府でも大災害には対応できないのだ。(中略)政府は前例に従って事を運ばなければならない。政府は決められたルールに従って手続きをふまなければならない。また政府機関はあらかじめ決められた範囲内に留まり、他の領域を犯すようなことがあってはならない。しかし自然災害は前例には無頓着で、また守るべき規則もなく、あらゆる既存の区分や境界にもお構いなしに起こる。こうして、大きな自然災害が発生すると、どんな政府も官僚もあわてふためくものだ。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.1

さらっと読んでしまいそうですが、ここの部分の前提として、下記の記事でも紹介したドラッカーのある考えを念頭においておくと、理解しやすいです。

過去四〇年間、政府自らが実行者となって社会的な問題を解決しようとしたアメリカの政府プログラムのうち、意味ある成果を生み出したものは一つもない。これに対しNPOはめざましい成果をもたらしている。

P.F.ドラッカー『ポスト資本主義社会』P.216

このアメリカの状況に対する見立てのように、日本の阪神大震災についても、日本の非営利セクターが機能した、とドラッカーは書いています。

阪神大震災でたいへん興味深かったのは、非営利組織のすばやい、そして効果的な対応だった。(中略)また特記すべきことは、ボランティアグループや非営利組織が阪神地区に自然発生的に集まってきたことである。もちろん、彼らが既に受けた被害をなかったものとしたり、失われた命を取り戻したり、また崩壊した家を復元することができたわけではない。しかし彼らは信じられないような短期間のうちに、街を人間の住める場所として蘇らせたのだ。彼らは人々を絶望から救い、希望を与えた。彼らがコミュニティを復興したのだ。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.1

ここでドラッカーが書いていることは、下記の記事の中でも紹介しているドラッカーのある考えの証明でもあります。

「政府は…ルールを定め、それを守らせる。企業は見返りを期待して財やサービスを提供する。そして社会セクターの組織は、”人間そのものを変える”ことを目指している」

『ドラッカーはなぜ、マネジメントを発明したのか』P.273

ちなみに、今でこそ、日本でもNPOというと、ああ、なんかいいことしようとしている団体なのかな、という印象があるかもしれませんが、阪神・淡路大震災の1995年には未だ法律で何かルールが定められていたわけではなく、実際には、この震災でのボランティアの活動状況を元に、1998年に法制化されたものです。まさに政府が前例に基づき、後追いでルールを定めたわけですね。

大事なので成立経緯を引用しておきましょう。

制定経緯

1995年の阪神・淡路大震災を契機に市民活動団体、ボランティア団体等で法人格の必要性がクローズアップされた。

市民活動団体の法人格取得を容易にするための国会への法案提出はまず、新進党案として、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案が、平成7年11月7日に第134回国会で衆議院に提出されたが、第137回国会まで継続審議となり、衆議院解散で廃案になった。

第139回国会において、新進党が、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案を、1996年11月29日に再提出し、自民・社民・さきがけ連立与党は、市民活動促進法案を1996年11月29日に提出した。

この2法案は、第140回国会まで継続審査となり、この国会で、共産党案として、非営利団体に対する法人格の付与等に関する法律案が、1997年3月14日に提出された。

与野党提出の3法案は、1997年6月6日の本会議において、新進党案及び共産党案が否決され、自民・社民・さきがけ連立与党案の市民活動促進法案に民主党の修正を加えたものが、衆議院本会議で可決された。

参議院においては、第142回国会まで継続審議となり、参議院自民党が「市民」の語への反発から「市民活動」を「特定非営利活動」にするなどの修正要求を行い、これを与党が受け入れ、1998年3月4日の参議院本会議で、賛成票 217、反対票 2(新社会党)のほぼ全会一致で可決された。

1998年3月19日に、この参議院修正を衆議院が全回一致で同意し、法案は成立した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自民党は最後まで「市民」の語への反発があり、「市民活動」を認めたくなかったのですね。おそらく自民党には暗黙的に「市民」に圧政を強いている自覚があるんでしょうね。ここに現在の日本の与党の闇を感じますが、そもそも、長期政権の与党とはそういうものかもしれません。これはまた別の機会に記事化することにします。

さて、ドラッカーも注目しているのは、そもそも、法的整備より前の段階で、多くの日本人がなぜ、率先してボランティア活動や募金活動に従事したのか、ということです。これをドラッカーは、日本人が自分たちで気づいていない日本社会の特殊性のため、というようなことを書いています。

以下、その特殊性についてドラッカーは列挙するのですが、長いので、箇条書きでまとめてみます。

・日本は公立と非公立の病院がある世界で2つの国うちの1つ
・日本は非政府非営利の大学が中心的な存在である3つの国のうちの1つ
・地域社会でクラブ的なボランティア組織が重要な役割を果たしている
  例)中産階級の女性が属している旅行会、無尽講
・日本には商工業関係の団体が多く影響力を持っている
・日本の農協の存在

ドラッカーの目線のメッシュの細かさには驚かされますが、これらを例に挙げて、ドラッカーは、

実は、地域ボランティア組織は日本の風土に深く根付いたものなのである。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.2

と結論づけ、そのエビデンスを歴史に求めています。こちらも長いので箇条書きで紹介します。

・江戸時代末期には、神社や村祭りのための組織がどの地域にもあった(例として祇園祭り)
・江戸時代の横丁は職人組合によって占められていた
・日本の芸術界は「流派」というボランタリーな非政府の自治組織のもとにある(画家、陶芸家、歌舞伎役者)
・明治時代の代表的な人物は非営利の学校で教育を受けている
・ボランティア組織としての消防団は日本に最初にできたのは江戸時代の初期

こうしてみると、ドラッカーの指摘はあくまでも江戸時代以降ですが、日本の場合、それ以前にもありそうです。この辺は他の研究を参照したいところですが、ここでは深堀しないことにします。

個人的に面白かったのは、このドラッカー学会のオンラインイベントに集まった方は割と年配の、というか、昭和の高度成長を支えたんであろう年齢の男性の方が多かったのですが、どうもこの「地域ボランティア組織」にピンと来ていないご様子でした。おそらくあなたの奥さんが、地域の子どものスポーツ活動や通学の安全確保とか、お祭りのお手伝いとか、PTA活動とか、地域清掃のお手伝いとか、回覧板を回したりとか、マンションの管理組合活動とか、全部、されていたんじゃないですかねーと思ったのですが、まあ、指摘はしませんでした。

確かに、自分の子ども時代からのことを振り返っても、小学生の集団登校とか緊急連絡網とかを考えても、特に子ども関係から始まり、「地域ボランティア組織」というのはごくごく自然に関わっているのが日本人だなーと思ったのでした。

ところが、ドラッカー曰く、日本にはそういう基盤がありながらも、時代とともにそれが薄れていき、その代替として、社会セクターが発展していくだろう、とこの時点(1995年)にて、予測しています。

ちょっとここからは元文の話が飛んでわかりにくいので、背景を補足しながら読んでいきます。

日本の高度成長は、地方の若者を工場に集めてくるところからスタートしました。いわゆる集団就職です。

この記事によると、戦後復興から経済が安定する1960年代までの間、地方の中卒の若者が、ガバメントセクターも関わる形で都市部に集められ、この人口増加が高度成長を支えた、ということになります。その後、池田内閣の所得倍増計画によって高等教育の重要性が指摘され、高卒までは地域に留まる、という状況になった、ということですが、当然のように、大学や就職となると都市部に、という動きはこの流れの延長戦上にありそうです。

ちなみに所得倍増計画、と言っても、私も含めて今の豊かな日本人にはピンと来ないかと思いますが、こちらもWikipediaから引用してみます。

池田内閣の時代に日本で初めての原子力発電が成功し、東海道新幹線が開業、海外旅行が自由化された。それまでは海外渡航は商用や国費留学などに限られていた。国民の所得水準はその想定を上回るテンポで向上し、人々の暮らしぶりも大きく変貌した。当時「三種の神器 (電化製品)」と言われて、一般家庭には高嶺(値)の花だったテレビ洗濯機冷蔵庫が、驚異的な勢いで普及したのは池田政権の時代だった。電話の普及は「所得倍増計画」以降といわれる。

最初は本当に「所得倍増計画」が実現するかどうか、国民は疑心暗鬼だったが、"投資が投資を呼ぶ"(1961年『経済白書』)好景気と消費ブームが起きた。通貨量の増大は中小企業や小売の投資拡大を支え、総合スーパーのフランチャイズが本格化し、またスーパーマーケットの設立も増加して「流通革命」という言葉も生まれた。既製服インスタント食品の販路も急速に拡大した。消費の大型化・高級化・多様化が進み、国民の生活も大きく変えていった。"レジャー"という新しい言葉が日常の暮らしの中で使われはじめたのもこの頃からで、"レジャーブーム"という和製英語も流行した。旅行会社やゴルフスキーボウリング、広告代理店・クレジット業界などもこの時期伸びた。

Wikipedia/太字は筆者

太字にしたもの、つまりはこの時代前には普及していなかったわけで、いかにこの時代に一気に生活がレベルアップ、、、というか変わっていったのかがよくわかります。

この歴史認識を踏まえて、ドラッカーの文章をまた引用してみます。

私が最初に日本を訪れた40年前には、人口の5分の3ーこれはちょうど60%だがーは地方の農村に住んでいた。今日では、ほんの4ないし5%である。(中略)日本の大規模雇用者は、政府機関であれ、大企業であれ、それ自身をひとつの新しい「コミュニティ」にしようと試み、めざましい成功をおさめた。40年前私は、田舎の小さな村という域を脱して、工業化され都市化が進んだ世界において日本の「企業社会」はコミュニティ再構築のモデルになるだろうと確信した。しかし、日本においてさえ、この「企業社会」はブルーカラー労働者のためだけのものになりつつある。(中略)が、製造業におけるブルーカラー労働者は急速に減少し、まもなく、日本においても、全被雇用者の6分の1以下になってしまうだろう。(中略)一方、にわかに労働力の主流となったグループ、最大のグループが知識労働者層である。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』PP.3-4

一旦、ここで区切ります。ドラッカーの理論にこの現実を合わせると、つまり、集団就職に代表されるようなブルーカラーの大量就職の時代は、簡単に言うと上の記事の集団就職の時代、中卒の地方の若者というか、少年少女ですね。彼らが新しいコミュニティとしての企業組織に集められる、と。地方から出てきますので、当然のように寮生活でしょう。まさに大家族的な組織であり、イエ型の組織と言えます。

ちなみに別記事ですが、働き方改革で言っていた「江戸時代の武家屋敷をモデルとした組織風土」というのもこの組織を想定しているのだと思います。一応、紹介しておきます。

しかし、先ほどの池田内閣の所得倍増計画以降、話は少し変わってきます。高卒で、もうこれは青年と言っていいでしょう。彼らが自分の意思で就職先を選択するようになります。さらに時代が進めば、大卒が当たり前の時代になってきます。こうなると、どうなるか?

ドラッカーの文章の続きです。

一方、にわかに労働力の主流となったグループ、最大のグループが知識労働者層である。彼らにとって組織内のコミュニティは、絆というよりもむしろ束縛と感じられるようになってきている。(中略)この傾向に対して、日本の伝統的な経営者層は不服なようだが、これは知識というものの性格からくる、抵抗しがたく避けがたいなりゆきなのだ。知識というものは本来流動的であり、本来組織に対してよりも自分の知識基盤を有する人々との間に共通性を見出すものなのだ。自分が雇用される組織を、そこで生活する場所というよりも、単に働く場所として見なす傾向はだんだんと強くなってきている。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.4

ドラッカーが自分のコンセプトモデルに寄せて書いているので少し読み解きにくいですが、よく考えると当たり前のことを書いています。

先ほどの話の続きですが、いわゆる日本の新卒採用モデルですが、これは企業が採用する人材を選ぶのと同様に、採用される人材も自らが所属する組織を選ぶわけです。これが転職となったらなおさらです。

転職できる、ということは、組織を離れて活用できる、なんらかのスキルやノウハウが個人にある、ということを意味しています。シンプルに言えば、これがドラッカーの言っている「知識労働者層」であり、その純度が高まっていけばいくほど、ジョブ型でありスペシャリスト型になっていくわけです。

よく冗談で、大企業出身の方が転職先で、「何ができますか?」と訊かれて「部長ができます」と言ったというジョークがありますが、これはどちらかというと組織を離れては活用できないポジションの話です。こういう人材から、「前職では〇〇という分野で、××という成果を出しました」という人材になっていく、これがブルーカラーから知識労働者になる、ということであり、移動可能性が増えていく、つまり自由を手に入れることになります。

別な記事の表現で紹介すると、これは、下記の記事で紹介している「人的資本」を高めている状態ですね。

再びドラッカーの文章を引用します。

明日の日本は、世界の他の国とは大きく異なっているだろう。日本はこれまで、自身の文化的なアイデンティティをしっかり保持し続けてきたし、それは今後も変わらないだろう。しかし、明日の日本の知識労働者はーおそらくこれから20年後にはー組織のために働くのではなく、組織で働くようになっているだろう。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.4

繰り返しになりますが、この文章が書かれたのは1995年です。ですので、それから20年後は2015年。ちょうど2016年に大ヒットした映画「シン・ゴジラ」では、既存組織が新しい危機に対応できず、寄せ集めの個性あふれるチームが問題解決に当たる、というストーリーが描かれていました。あそこで活躍したメンバー達は、シン・ゴジラ亡き後、どこでどんな境遇を過ごしているのでしょうか?(庵野監督に誰かインタビューしてください。)

ドラッカーは20年かけて、日本の組織に属する知識労働者の意識が変容していく、と予測しています。

彼もしくは彼女が働く場所は、コミュニティのうちのひとつにすぎず、ここしかない、というものではなくなっているだろう。(中略)このような現象は15年ほど前、1980年頃から米国の若者たちの間に見られたし、最近のヨーロッパの若者たちの間でも急速にそうなりつつある。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.4

最初に紹介したオウム真理教は、実は、この20年かけて意識が変化していった途中で、これまでのコミュニティに代わるものとして現れたのだ、というのが、ドラッカーの懸念でした。そういう時代の仇花ではない存在として、非営利組織が受け皿になったらどうですか、というのがドラッカーの提案となります。

しかし、人々はコミュニティを必要としている。(中略)巨大で急速な社会変容の時代は、同時に巨大で急速な社会的断絶の時代でもある。人々を住み慣れた場所から離し、その生活を変えてしまうのだ。だからこそ、どこか帰属感のもてるコミュニティ組織が必要なのだ。それがボランティア組織である。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』PP.4‐5

個人的な意見では、ちょっと最後の結論には違和感を覚えますが、これはもしかすると翻訳の問題かもしれません。「ボランティア組織」というと、ボランティアによる労力提供を強要される組織のようなイメージがありますが、おそらくドラッカーが言いたいのはそういうことではなく、自助的な活動によって成り立つ組織、ということかと思います。ということで、続けてドラッカーはこう書いています。

もし、このニーズが正統的でかつ生産的な目的をもった組織によって満たされないと、陰謀や徒党のたぐいによって満たされることになるだろう。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.5

この後、「陰謀」の例として、ドラッカーはオウム真理教を挙げているのですが、「徒党」に関しては、これは今の日本に大量に溢れているような気がしています。いわゆるファンコミュニティ、オンラインサロンの類、自己啓発系の団体、APEXや荒野行動などのネトゲのコミュニティ、もしかしたらホストにハマる女性やP活系の詐欺にハマる男性まで、こういうニーズが断片的に満たされてる例は枚挙にいとまがないかもしれません。

再び紹介しておきますが、つまりは、下記の3つの資本のうち、社会資本に対するニーズですね。ここにいくらのお金や時間を投入するのか、ということの正当性が問題だ、とドラッカーは言っているように思います。

だから、すべての先進国で、人々の社会的、心理的ニーズを満たし、人々を建設的な目的にむかって結びつけるボランタリーな非営利組織が必要とされ、そのニーズはますます大きくなりつつあるのだ。しかし、ニーズは組織なら何でもよいというのではない。なにごとかを成し遂げる効果的な組織、つまり焦点の定まった使命と明確な目的をもった組織が求められているのだ。非営利組織は、よき意図をもってよいことをしたいというだけでは十分ではない。成果を上げ、この世に変化をもたらすために存在しているのだ。

P.F.ドラッカー『非営利組織の成果重視マネジメント』P.5

この後の文章は、ドラッカーのマネジメントに関する体系が非営利組織にも活用でき、そのチェックのための本がこの本ですよ、という話になっていくのですが、ここまでの話について、ちょっと補足しておきたいことがあります。

ドラッカー教授の言っていることは、まさにその通りだと思うのですが、どうもお話の中で、ドラッカー自身も明確に区別していながら一緒に話していることがあるな、と思うことがあります。

それが、社会的活動と、文化的活動の話です。

例えば、自分自身の例で言えば、今、こういう麻雀に関する活動をしています。これは実は、いわゆる評価と競争が正当としている社会に対するアンチテーゼとしての活動です。これは社会的活動ではなく、文化的活動です。

ドラッカー自身も、別な書籍で、下記のように書いています。

1993年の『ポスト資本主義社会』では、第9章「社会セクターによる市民性の回復」に、社会的なニーズの2つの分野が書かれています。端的に言うと「救済サービス」と「社会サービス」とがあり、ドラッカーは後者のニーズが高まる、と言っています。そこでは、「社会サービスは、救済サービスと異なり、コミュニティを変革し人間を変革する」(P.215)と書いています。

下記記事より

この話は、詳しくは下記の記事で書いています。

言葉がややこしいですが、この「社会サービス」には、文化的活動も含まれるのではないか、というのが私の考えです。

もっとわかりやすくするために、下記では4つ目のセクターを設定してみました。

つまり、私の今の考えを図にするとこうなります。

筆者作成

文化的活動がないと社会は変わらないんじゃないか、という話はこちらをご参照ください。(こちらはきちんと研究レポートとして、大学の紀要に掲載する予定です。)

ということで、非営利活動=社会の救済サービスではない、という認識を前提にして、ドラッカーの言う「社会サービス」というものが、「陰謀や徒党」によって満たされるべきではなく、「なにごとかを成し遂げる効果的な組織、つまり焦点の定まった使命と明確な目的をもった組織」によって満たされるべき、なので「非営利組織にまっとうなマネジメントを!」と言っているんだな、と思えば、この文章をドラッカーの意図通りに理解したことになるのかな、と思ったのです。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。

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