社会人1年目:地方支店配属時代のお話〜後編②〜

後編①で、私が課せられた目標達成に向けて、具体的にどのようなアプローチを取ったかを紹介しました。後編②では、お客様とリレーション構築をしたうえで、どのように売上をあげたのか、紹介したいと思います。

後編①で紹介したように、私はお客様から「便利屋」と思ってもらえるよう、自社のビジネスに直結しないような内容であったとしても、有益な情報を得てはお客様に提供することを意識し、とにかくフットワーク良くお客様を訪問し続けていました。
その結果、お客様から徐々に信頼されるようになり、お客様が感じている課題感などを相談いただけるようになりました。3ヶ月かけ、やっと自社サービスを売るためのチャンスをお客様からいただけるようになったのです。

初めて相談いただいた時のことは今でもよく覚えています。時間をかけやっと得られたチャンスです。「やってやろう!」という気持ちで、自社に帰りまずは自分なりに提案内容を練り上げ、上司と先輩に相談しました。すると上司から他社の提案状況はどうなんだ?と聞かれました。「...」私は何も答えることができません。上司は呆れていました。

後編①の記事で、下記①〜③を意識して取り組んだと書きましたが、1つ重要なことが抜けていました。それは「④ライバル(競合他社)を知る」ことでした。

<意識して取り組んだこと>
①売るもの(サービス)を知る
②売り方を知る
③売る相手を知る
※④ライバル(競合他社)を知る

何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、私はライバル達からお客様を奪おうとしていたにも関わらず、ライバル達がどのように動いているか、お客様から情報を何も得られていませんでした。とにかく「提案機会」を創り出すことに必死だったのです。

もちろん現状利用している他社サービスについての課題は得られていました。ただ、その課題は当然サービスを提供しているライバル会社にも伝えられており、ライバル達もその課題の解決策を提案するはずです。むしろ既存でサービスを提供しているライバル会社の方が、お客様との信頼や持っている情報も多いことが想定されます。圧倒的に私の方が不利な状況なのです。少しでもライバル達の情報を得て、その上でどう提案するか考える必要があったのです。

具体的に必要なライバル達の情報は主に下記2点です。どのようなサービスをいくらで提供するのか。ライバルの出方を知っているか、知らないかでは、こちらの提案内容も変わり、お客様への刺さり方も変わってきます。

<必要なライバル達の情報>
①提案サービス内容
②金額

結論から申し上げると、初めて提案チャンスをいただいたお客様の案件は失注しました。折角チャンスを得たのに、そのチャンスを十分に活かしきれず敗北です。相当悔しかったことを覚えています。ただ、もちろんこのまま終わるわけにはいきません。この失敗経験から学びを得た私はライバル達のことを強く意識しながら、提案機会の創出に励み、別の数社のお客様からチャンスをいただけることになりました。

自社のライバルは複数社いましたが、特に強力なライバルは2社いました。品質は二の次で圧倒的なコストパフォーマンスで攻めるA社、自社と似たような技術品質・価格のB社。

結果的に、私はその後の2社の提案で、続けてA社に負けることになります。理由はやはり金額でした。A社の提案価格が、なんと自社の半値以下だったこともあります。ただ、私はA社のように価格で戦うことは選択肢から外すことにしました。中にはとにかく「売上」を上げるために、利益は度外視して赤字でも売る会社(や人)もいます。また別の記事で触れようと思いますが、自社にもそのような営業がいました。(組織のKPIが売上のみにフォーカスされており、収益がKPIになっていないような組織にありがちです。)
最終的に黒字化できるような計画性があっての赤字提案なら良いと思いますが、ただ自分自身の数字を上げるためだけに赤字でもいいから提案する、という選択肢は私にはありませんでした。

ただ、金額というのは当然お客様にとっては大切なことでもあるので、A社を引き合いに提案金額をとことん下げてくることを要求してくるお客様も中にはいました。品質は、A社よりも自社の方が良いことはお客様も把握していたので、同じような価格で品質も良くなるなら、という考えもあったと思います。つまり金額をA社レベルに下げて提案すれば、売上を上げることはできました。

ただ、私は前述の通り価格を下げる対応はしませんでした。今でも私の考えは変わっていませんが、自社の首を絞めてまで自分の成績を上げようとは思いません。自身の成長と成果の先に、会社の成長と成果がある。結果的にコスト勝負を避ける選択をしたことが、私をさらに成長させたと思います。

コスト以外の点で勝負することを決めた私は、「付加価値」で勝負することを意識しました。A社にはコストでは勝てません。またB社とはコスト・技術品質の両面で大差がない状況です。私は差があるとすれば、それは「人の質」だと考えました。改善案を提案するまでの人の質と、実際にサービスを提供した後の人の質です。前者は営業担当者の質、後者はアフターフォロー担当者の質です。アフターフォロー担当者の質については、実際にサービス利用後にならないと分からない部分もあります。となると、サービスを提案するまでの質で、お客様はある程度その会社が提供するサービスの「人の質」についても判断するのではないかと考えました。

「営業は会社の顔」と言う言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。これは実際にお客様から伺った話ですが、A社の担当には少し不安があるとの声がありました。問合せのレスポンスが遅かったり、雑である、と。この話を聞いた時に、「活路はここだ」と当時の私は考えたのです。誠心誠意、お客様に対応することが会社の信頼にも繋がる。当たり前のことではありますが、ビジネスの現場でその「当たり前のこと」を実現することは、簡単なことではないのです。

よくよく考えれば分かるのですが、A社の担当者は提供価格を半値に下げて受注する場合、仮に目標値がもし私と大差ない数値であるとすると、目標達成のためには私の倍の数を受注する必要があるのです。つまり1社辺りにかけられる労力も半減します。そして当時の私が付加価値として生み出せたものは、以前にも述べた「フットワークの軽さ」でした。お客様からの要望があればすぐに対応する。要望がなくても有益だと思われる情報などはすぐに伝える。当時の私にはこれしかできませんでした。これしか出来なかった私ですが、結果的にその後の4社の提案で全て受注を勝ち取ることができました。

その中のある1社のお客様の部長に言われた言葉が、私の心に今でも残っています。そして私の社会人としての成功の原点として、今でも行き詰まった時には思い出して当時を振り返るようにしています。

そのお客様は私の支店地域の中ではある程度規模の大きなお客様であり、このお客様の案件規模は私の年間目標額の倍はありました。つまりこの1件だけでも受注すれば、私の目標は達成されるという案件です。それほど大きな案件であったため、もちろん新人の私1人で対応できるものではなく、先輩、上司含め社内の多くの方にサポートいただき対応した案件です。そのお客様の部長様に、サービス納品後の宴会の席で次のように仰っていただきました。

「なぜ、うちが御社に決めたか分かりますか?それは担当者が〇〇さん(私の名前)だったからです。価格は1番高かった。A社は破格だったこともあり、社内にもA社でいいのではという声もありました。しかし、何か困った時や頼りたい時に、常に1番に対応してくれたのは〇〇さんでした。〇〇さんは信頼できる。この価格をお支払いする価値はあると、そう社内で考えが一致したからです。ありがとうございました。これからも宜しくお願いします。」

この言葉を聞いた私は家に帰ってから泣きました。その場で泣きそうにはなりましたが、、、耐えました。笑
あの時感じた嬉しさ、達成感は本当に言葉にできないものでした。今でも社会人人生の中で1番嬉しい言葉でした。

営業は数字のプレッシャーもあり、肉体的、精神的にももの凄く大変な職種ではあります。ただしんどい分、乗り越えた時の達成感や喜びは言葉にできないほどのものがあります。目標数字を達成した時のやりきった感、達成感。そして誠心誠意に対応した先にあるお客様からの感謝の言葉や、お客様との絆は、何にも変えがたい喜びとなって返ってきます。

いくつもの挫折により、私も心折れかけたことも何度もありました。正直、営業はもうやりたくないと思ったこともあります。ただ、営業という職種にも大きな魅力があるということを身を持って体感することができました。また、私の当初の希望通り、営業を経験することでビジネスの最前線を経験することができました。ビジネスとはいえ、やはり人間同士の関係がその基本にはあることを、私は1年目にして学ぶことができました。

結果として、挫折もありながらも、私は年間の目標を達成することができました。ただ目標を達成できた要因が私の営業力だと言うつもりはないです。多くの先輩、上司達の多大なるサポートがあったからこそですし、高品質の自社サービスがあったが故の結果です。営業としての力が影響するところは微々たるものです。ただ、そこを疎かにしてはならないこともまた事実なのです。

さて、目標を達成した私もいよいよ社会人2年目になりました。私の次なる行き先が決まります。それは兼ねてから希望していた、「海外」でした。ただ駐在国はかねてから希望していた国とは違いました。憧れの、そして希望通りの海外駐在でしたが、異国の地に降り立った私の先に待っていたのは、文字通り『地獄』の日々でした。

次回以降は、社会人2年目としての海外駐在の経験を紹介させていただきます。


続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?