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「新しい」の定義とは

アーモンドの花が咲いた。
春がもうそこまでやってきている。

お稽古中、節を追うのに必死で深草の少将と小野小町のどちらにもなれなかった『通小町』は、先生の「表面的にはまあできていたのでいいでしょう」のお言葉とともに仮合格となった。深草の少将の百夜通いと執心は大変せつなかった。
次は全然違うものをいうことで、『田村』に入ることになった。


ところで、私が持っている謡本は、以前謡を習っていらっしゃった方々から譲り受けたものである。最近気づいたのだが、表紙にはその方々のハンコが押してあったり、名前が書いてあったりする。新しい曲に入るたび、これはマエダさんという方が使っていらっしゃったのだなあとか、この本は随分使い込んであるなあ、すごいなあと思いつつ、その方その方で異なる注意点の書き込みを見ながらありがたく使わせて頂いている。


お稽古中、『田村』の謡本を開いたら、古本屋さんで嗅いだような紙のにおいがした。
もしかするとかなり古いものなのだろうか。奥付を見ると「昭和38年10月10日発行」とある。

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「これは、昭和38年に発行された本だそうです!」

興奮してお稽古を中断した私に、先生は笑顔でおっしゃる。

「びわまめさんのは新しいんですね」

意味がわからず首をひねる私に、先生は続けておっしゃった。

「私が今見ている本は、昭和15年とあります」



そうか、お能の世界では、昭和38年発行の本は新しいのだ! 


確かに、能がたどってきた約650年という年月を考えると、昭和38年などほんのちょっと前のことなのかもしれない。私の中での「新しい」の概念が変わった瞬間であった。

その後も、はー!とかほー!とか言いながら、昭和38年の日本はどんなだったかな、本の持ち主はどんな方だったかな、どんな風に『田村』を謡っていらっしゃったのかなと思いを馳せた。この本の元持ち主も、数十年の時を越えて今この本が海を越えたとある町にあるとは想像されなかったかもしれないが。いずれにしても、今、手元にある数十冊の謡本は、飛行機移動中も手荷物として大事に持って帰ってきた宝物である。

そんなことを考えていたら、将来これらの謡本を他の方に譲ることがあったとしたら、その方は大変お困りになるではないかと急に焦り出した。私にしか読めない記号や書き込みでとんでもなくカラフルになったページを目の前にして。

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