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私は大学生に向いていない


大学生になってから、自分にしっくりきた感覚をもてたことがない。高校生までの自分の方が好きだったといつも思っている。今日はこのモヤモヤについて書いてみる。最後までモヤモヤのままだけど、とにかく書いてみる。


しっくりきてない今の自分

今私は大学3年で、普段はバイトとサークルにほとんどの時間を費やしている。授業は週5日で入れているけれど、行っているのは出欠確認がある授業2つと週2コマのゼミだけ。大学に行かない日はフルタイムでバイトを入れるか、友達とランチするか、夜飲みに行くか、1人でフラフラ買い物に行くか、家で寝ている。

遊びにもよく行く。運転できる友達に車を出してもらって江ノ島までドライブに行ったり、オールでカラオケしたり、仲のいい友達とふらっと旅行に行ったり、一人暮らしの子の家でパーティーしたり、フェスに行ったり、映画見たり、色々。

俗に言うヒマな大学生として、人生の夏休みを謳歌している。周りの大人には「大学生って感じだねぇ」「楽しそうでいいねぇ」と言われる。確かに楽しい。

でも、これが私がしっくりきていない現状。今の自分はあまり好きではない。

周りの友達の中には、ずっと大学生でいたい!バカなことして遊んでたい!と言っている子がたくさんいる。そういう人たちは、人生の夏休みをちゃんと楽しんでいる人たちだと思う。真面目に授業に出て勉強したり、外部の活動に取り組んだりしている人ももちろんいる。そういう人たちも、ちゃんと大学生活を充実させているように見える。

そんな中、私は今の生活に充実感をあまり覚えられない。なぜだろう。それは多分、特に辛いこともなく、のうのうと生きられてしまっている自分を好きになれないからだ。


高校生までのキラキラしていた私

こうなってしまったのは、大学に入ってからである。それより前は毎日が充実していたし、自分のこともそれなりに好きだった。

高校生までの私は、いわゆる真面目な優等生だった。小学校からずっと、学校に遅刻したことは一度もないし、風邪以外で休んだこともない。宿題も課題もちゃんと一生懸命やって、授業は死ぬほど眠かったけど耐えながら頑張って聞いていた。授業中にケータイを触ったことなんてなかったし、お菓子も持って行かなかった。それが当たり前だったから、窮屈だと感じたことはなかった。

部活は演劇部に入っていて、中高5年間思いきり打ち込んだ。高2の時は部長になって、自分なりに色々考えて部内の制度を変えてみたりもした。結構辛いと思った時期もあったけど、それでも楽しさとか充実感の方がはるかに上回っていた。部活を辞めたいと思ったことは一度だって無かった。

私は、その頃の自分が今までの人生で一番輝いていたなあといつも思う。あの頃の自分を思い出すと、毎日頑張ってて偉いねと頭をよしよししてあげたくなる。


大学に入って受けた衝撃

大学に入っても、これまでみたいに打ち込めることを見つけて、全力で何かをやろうと思っていた。あと、授業はちゃんと出ようと思っていた。というか、授業に出るのは当たり前だと思っていた。昼間は授業に出て、夕方からはサークル活動したりバイトしたりして、毎日忙しく過ごそうと思っていた。

ところが、大学に入ると、授業に出ないのが当たり前な風潮があったのだ。私はそれにとてつもない衝撃を受けた。

大学の講義は、予想はしていたが、やはり退屈だった。でもそれは覚悟の上だったし、お偉い教授の話なんだから何かしら得るものはあるだろうと思って、眠気と戦いながらもちゃんと出席していた。

しかし、友達はほとんど授業には来なかった。逆に、授業行ってるなんて真面目だねと言われることばかりだった。私は、みんな授業に出ないで何をやっているんだろう?ととても不思議だった。サークルや外部の活動が忙しいのかな、みんなやることあってすごいな、なんて思っていた。

ある日、いつも授業に来ない友達に、授業に出ないで何をしているのか聞いてみた。すると、その子はこう言った。

「お家帰ってるよ。お家帰って寝てる。」

びっくりした。そんなのあり?と思った。それじゃ大学行ってる意味ないじゃん。なんていうか不真面目だし、時間とお金がもったいないじゃんと思った。

でも、少し考えてすぐに気づいた。私の方がよっぽど時間を無駄にしていると。私は、講義には真面目に出席してはいたものの、眠くて眠くてほとんど内容は頭に入ってこず、ノートにもミミズみたいなメモばかり残していた。高校までと違って、大学の講義は出席を取らないことがほとんどだったので、ただ授業に出ているだけでは単位に何も影響しなかった。

これじゃ、授業に出ていないのと何も変わらない。むしろ、家に帰って昼寝する方が、教室で睡魔と戦いながら苦しい90分間を過ごすよりよっぽど有意義な時間の使い方なのではと思った。

そう気づいてしまってから、私は授業に行かなくなった。


何をしてもいい時間の辛さ

授業に行かなくなると、途端に日常の中のフリータイムが増えた。

サークルはそれなりに忙しかったが、活動は不定期で、個人作業が多かった。だから、毎日の行動ルーティーンみたいなものは作れなくて、ポツポツと何か作業をしては、時間を持て余すばかりだった。

せっかくの大学生なんだから今しかできないことをしようと思い、外部の学生団体やボランティアを調べてみたりもした。でもどれも興味を持てず、飛び込む気にはなれなかった。じゃあ旅に出よう!海外旅行だ!と思って海外旅行のハウツー本を買ってみたりもしたが、そもそも私は海外に興味がなく、全然行きたいと思えなかった、

やりたいことがなくて、やらなきゃいけないこともなくて、ただただ時間が有り余っていた。私はそれがすごく辛かった。

周りの友達は、やることを見つけて毎日活動的に動いているか、そうでないなら暇な時間を存分に楽しんでいるかのどちらかだった。私と同じように時間を持て余している人はたくさんいたけれど、そういう人たちは、遊び呆けられる時間をちゃんと楽しんでいた。

私はまだ高校生の頃の感覚が残っていて、遊ぶだけなんてダメだ、何かしなくては、という焦りにかられていた。でも何も行動に移せなかった。結果的に、誰よりも無駄な時間を過ごしてしまった。


怠けることへの慣れ

そんな私も、次第に大学生の生活リズムに慣れてしまった。

きっかけは1年生の秋、本当に授業に行く暇がないほど、サークルの仕事が忙しい時期があった。会議をしたり企画書を書いたり、とにかく仕事に追われて、大学に通うことの優先順位が一気に下がった。

そして、年末ごろまでその忙しさが続いたせいで、1月の授業が始まる頃には、授業を切ることへの罪悪感や後ろめたさをほとんど感じなくなっていた。サークルのピークが過ぎて時間に余裕ができても、授業には行かず友達とランチに行った。そういうのは良くないと思う真面目な自分は姿を消し、「単位さえ取れれば授業なんて行かなくていいや」という考えが、自分の中での当たり前になった。私は変わってしまったと思った。


楽しみ切ることすらできない弱さ

そして今に至るのだが、最初に書いた通り、今の生活は私にはしっくりこない。

毎日好きなように時間を使って、面倒臭いことはほとんどなくて、楽しいだけの毎日。きっと将来の自分から見れば、なんて羨ましい生活と思うだろう。

でもやっぱり、楽しみきれない自分がいる。毎日必死に頑張っていた高校生の頃に戻りたいと思ってしまう瞬間がある。

だったら何かやればいい。学生団体でも長期インターンでも、やれることは無限大にある。朝から夜まで毎日忙しくしようと思えば手段はいくらでもある。それはわかっているのに、動けていない。とことんだらけて楽しむことができないのなら動くしかないのに、悶々としながら何も行動できていない

ここまできてようやく分かったが、結局私は自分に甘く、何をするにも覚悟がない。環境に身を任せて、流されるままに生きてきた、意志の弱い人間。

高校生までは真面目で優等生だった。それは一見自分に厳しくしているように見えるけれど、本当は違う。置かれた環境の枠にはまって、良い子ちゃんでいることは、結局のところ一番楽なのだ。言われたことを言われた通りにやり、こうあるべきという像に向かって自分を持っていく。指針が決められているから、迷うことも悩むこともない。がむしゃらに進み続ければいいだけだった。

だからずっと気づかなかったけれど、大学に入って、本当に自由な環境に放り出されて、初めて自分の意志のなさを知った。遊び呆けているだけの時間を心から楽しめない私は、きっと行動的に何かをしていたいタイプなのだと思う。でも、何をしたらいいかわからない。何をしたいかもわからない。とことん遊ぶ尽くすことすらできない。意志も、決断力も、行動力も、私にはまだ全然無いのだ。


早く社会人になってしまいたい

何の解決にもならないまとめに入ってしまうが、今の私のモヤモヤは、社会人になれば消えると思う。会社に勤めれば、朝から夜まで仕事があって、本当にやりたいことってなんだろうなど考える暇もなくなるからだ。だから私は、早く大学生なんて終わりにして、社会人になってしまいたいと思う。

毎日同じルーティーンを繰り返して、現状に疑問を持つことをせず、ひたすらに時間が過ぎてゆく。結局そういう生き方が一番楽だと思う。それなりにやりがいを感じられる仕事に就ければ、もう言うことは無い。

私に足りない意志、決断力、行動力は、これから養わなくてはいけないと思う。もっと強い、自立した大人になりたいとは思うから。そのための何かは考えなくてはならない。考えてみようとは思う。でも、多分そんなすぐには変われない。社会に出てから少しずつ変わっていけたらそれでいい。

だから、私は社会人になりたい。自由すぎる時間は私には扱えない。逃げな考えであることはわかっているけれど、やっぱり私は大学生に向いていない。