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対談【伊藤直子×近藤良平】 シンプルに「やる」ことしか頭になかった(伊藤直子/セッションハウスプログラムディレクター、マドモアゼル・シネマ)

神楽坂にある小劇場「セッションハウス」が設立されたのは1991年。コンテンポラリーダンスのスクールとして、また、沢山のダンス企画の上演会場として、多くのダンサーや観客を迎え入れ、ダンスによる豊かな時間を育んできました。2021年に30周年をむかえたセッションハウス。この場所がダンスに捧げる情熱は、これからも人々の身体と心を刺激し続けるでしょう。この対談では、セッションハウスプログラムディレクターの伊藤直子(マドモアゼル・シネマ)と、セッションハウスで長く活動する近藤良平(コンドルズ)をお招きし、二人の交流や活動を振り返りつつ、30年という時間や、この場所に関することをお聞きしました。【前編】


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近藤良平 リンゴ企画 百年作戦『昨日・今日・明日』ニューアレンジバージョン
2021年7月@セッションハウス


▼辞めることは一切考えず、とことんやろう▼

ーーセッションハウスは創立30周年、マドモアゼルシネマが28年目、コンドルズが25周年。これらについて、お二人の雑感を聞かせて下さい。

伊藤 30年も続くと思ってなかったけれど、そもそも「続く/続かない」という発想自体がなかったです。「続けよう」という気持ちもなくて、シンプルに「やる」ことしか頭になかった。30年という時間をどう捉えるか? は、その人の年齢によって意味合いが変わるでしょうし、私は長いと思いません。まだまだ続くと考えています。実は私、2020年のお正月、次代を担う皆さんに集まっていただいて、今後の活動と発展について話し合いをしたのです。世代交代も考えながら、どこかでプログラムディレクターを辞めるつもりでした。でもコロナがあり……。

ーーえっ!?

伊藤 これからのセッションハウスの在り方を考える会議を1月にしたばっかりで。

近藤 やりましたね、会議。

伊藤 2020年2月頃からコロナのニュースが増え始めて、1月に決めたことは霧の彼方へ。

ーーコロナの影響で未来が分岐した?

伊藤 とても辞められる状況じゃなくなり、だったら辞めることは一切考えず、とことんやろうと。

近藤 セッションハウス自体が30年で、コンドルズが25周年。その数年前から付き合いはありましたが、当時は正にその日暮しで、「この場所を育てよう」とか、そういう考えは全くなかった。ただ男の子感覚で「基地やアジトができそうだ、しめしめ」みたいな気持ちはありました。

伊藤 面白い人達が集まって来てワイワイしていました。最初の3年間は、私が全レッスンを受けるというレッスン三昧の日々を送っていて、その頃から「集まってくる人達が面白いので、何かできそうだな」と。それで「沢山の人を集めて公演をやるから、良平さん出て最後に締めて」とお願いすると、良平さんが締めてくれる。これはもう、どんどん開放するスタンスで良いのだな、と思いました。


コンドルズ公演(1997年)@セッションハウス
左から、藤田善宏、近藤良平、石渕聡、鎌倉道彦


▼踊らないのに踊りがある。一体どういうことだろう?▼

ーーお二人が出会った頃の思い出話が聞きたいです。

伊藤 最初は、良平さんが燈子ちゃんの作品に出ていて。

近藤 僕の嫁です。

伊藤 その作品自体も面白かった。良平さんと井手ちゃん(井手茂太/イデビアン・クルー)が全身レオタードの動物になって。二人ともすごく面白くて、それぞれやりたいことがありそうで。良平さんの初めてのソロはずっと楽器を弾きながら歌っていて、そのまま三面鏡の上にドンッと飛び乗った。たったそれだけで、私の中で見たことのないダンスが生まれました。そして最後に皆をまとめて貰ったのですが、普通だったら踊らせるでしょう? そうじゃなくて、みんな笛を吹きながらついて歩くだけ。それだけで見たことのない風景が見えてきて、すごく新鮮な感覚があった。踊らないのに踊りがある。一体どういうことだろう? と。最初から自分の表現があり、どう見てもらおう、どう見てもらいたい、そこから入っていない。それがすごく新しかったのだと思います。

近藤 いい加減だったんですよ(笑)。決めないでやるのが得意というか、完全に決めてやるよりも、大体こんな感じでしょ!? という。何かを表現するイメージではなく、笛を吹いたらついてきて、とか、それくらい。そういう時間が楽しいという感覚は、とてもよく覚えています。


マドモアゼル・シネマの美術を作った近藤良平


▼「猫をくれた人だ」みたいな▼

ーー伊藤さんにまつわる思い出はどうですか?

近藤 僕はこの頃早稲田に住んでいて、神楽坂との距離感が重要。とにかく近いんです。ある日、セッションハウスの駐車場に捨て猫がいて、細かく覚えてないけれど、その子猫を僕が預かることになり、すごくすっ飛ばすと、その猫をきっかけにうちのかみさんと結婚しました。始まりは駐車場にいた猫、それを教えてくれたのが直子さん。だから「猫をくれた人だ」みたいな。

伊藤 レッスンに来た人が「子猫が捨てられている」と知らせてくれて、私が預かってお風呂に入れて、1週間位お世話したのだけれど、飼うことを反対され、結果良平さんが連れて帰ってくれた。私はその後一人でボロボロ泣いて。でも、後に出演したんですよ、その猫が。

近藤 ありましたねー。

伊藤 鎌倉(道彦/コンドルズ)くんに黒いレオタードを着させて、猫と鎌倉くんを紐でくっつけて、猫が離れると紐がシュッと伸びるという、それだけなんですけど。

ーー(笑)。本当に良いエピソードの宝庫ですね。僕はその場に立ち会ってないけれど、お話を聞いているだけで、めちゃくちゃいい時間と分かります。その輪の中に入りたかった。


セッションハウス 5周年記念公演(1995年)@セッションハウス
コンドルズ結成の原点となった作品


▼リンゴ企画は忘れられないものばかり▼

ーーお二人の関連公演で「あれは忘れられない!」という公演を思いつく範囲で教えて下さい。

伊藤 (近藤さんの)リンゴ企画は忘れられないものばかり。12日間連続公演をやった時は、平日のレッスンが終わった後にピャーッと片付けて。

近藤 夜の9時45分に開演。

伊藤 お客さんに、リンゴの木にシールを貼ってもらい、1ステで100人以上来たから、1200以上のリンゴの実がなった。

近藤 当時のダンス公演は、あまり長い期間やってなくて。

伊藤 それが一番忘れられない。あとは男ばっかりの「男リンゴ」とか、(笠井)瑞丈さんとの公演も良平さんらしかったし、(黒田)育世さんとか、(野和田)恵里花さんとか……、こんな風にどんどん出てくる。やはりデュエットはすごくいいですよね。


セッションハウス 5周年記念公演(1995年)@セッションハウス
中央に野和田恵里花


▼セッションという言葉が後に影響している▼

近藤 コンドルズと恵里花さんの企画は何企画でしたっけ?

伊藤 「牡牛の行動、牝牛の実態」かな? 5周年の頃は「良平さんと恵里花さんはセッションハウスの顔だね」と打ち出していて、それで二人のデュエットを。

近藤 恵里花さんと創ったデュエットは長く上演していて、『踊りに行くぜ!!』という企画で日本中にもっていったんですよ。その大元はセッションハウスで創った。あれはこの場所でしか創れなかったと思います。その後の黒田育世や笠井瑞丈とのデュエットも、その流れでここで創りました。いま思い出したけど、セッションハウスという名前から影響されたのかも。音楽のセッションみたいに「一緒にやる」という意味合いが強かった。

伊藤 孝さん(伊藤孝/セッションハウス)はジャズが大好きで、当初はダンスと音楽がセッションする企画を意識して名付けました。先日も「それはできなかった」としょんぼりしていたけど、オープン時にやりたかったことはそれですね。

近藤 でもセッションという言葉が後に影響している気が。結局ここで出会った人達が何かを創る場所だし。ここで出会って、ここで創る。僕は大学でダンスを始めたのですが、大学でダンスをやっても卒業すると完全に終わっちゃうんですよ。どうしてもダンスを繋げていきたい人は、大学に残るしかない。でも、こういう場所がふっと生まれて、「集まろう」と言うとスッと人が集まる。一番多い時は出演者が100人以上いました。

伊藤 あれは凄かったね〜。

近藤 フロアのことを考えずに人を集めて。

伊藤 大劇場じゃないんだから! と思うけど、最終的にそれだけの人数が同時に踊る。あの狭い空間でどうしてそんなことができたのか(笑)。

近藤 大学生レベルでものを言うと、大学では広い場所で踊るよう指導されちゃっているので、狭い場所で踊れること自体がかなりアバンギャルド。そうして人が集まってくると、ちゃんと次の世代に繋がって、大学が違ってもそれぞれ交流したり、指導し合ったりするんですよ。これが結構大きかった。


マドモアゼル・シネマ作品で踊る近藤良平


▼「ここに来れば安心」という感覚が強かった▼

ーーセッションハウスから育ったコンテンポラリーダンスの若手も多かった?

伊藤 そうですね、Nibrollとか、水と油とか。

近藤 イデビアンとか。

ーー近年のセッションハウスを語る代名詞に「日本のコンテンポラリーダンスの聖地」という言葉があります。

近藤 これ、上手く伝わるか分からないけれど、それを打ち出してやってきた訳じゃないんですよ。それよりも「ここに来れば安心」という感覚が強かった。人と人の繋がりで集まってきている感じ。その当時、僕も含めてガサツな人が多かったから、トイレをきれいに掃除しないと直子さんに目で叱られる、とか。そういうのが大きかった。

伊藤 みんな掃除させられたもんね。

近藤 それが重要だった。大学生の稽古場とかどんどん汚れていくじゃないですか。でもここは、大人に見張られている感が。


マドモアゼル・シネマ『Tokyo Train -Stopover-』(2002年)@セッションハウス
この作品で、フランスのパリ、ブルガリアのソフィア、ドイツのヴッパタールをツアー


▼初期のマドモアゼルは好き勝手やっていた▼

ーー伊藤さん関連の公演はどうですか?

近藤 これはマドモアゼル・シネマに限らない話だけど、僕は女性の現代舞踊を観るのがあまり得意ではなく、個人的に目撃したくないという気持ちがあるんですよ。でもマドモアゼルはつい見ちゃう。

ーー目で追いかけてしまう存在?

近藤 そうですね。なんか、上手く言えないけど、女性が密かに生肉とか食ってたら嫌じゃないですか。

ーー生肉?

近藤 いや、そういう雰囲気があるんです。肌の露出の仕方とか、さらけ出す感じとか。身体だけじゃなく、自分が思っていることをさらけ出す。それが僕には「決意」とか「挑戦」に見えて、そういう実験的な活動をしている印象があります。女性が集まった秘密結社、みたいな。

ーーそのイメージは初期から現在も変わらず?

近藤 なんやかんやでずっと貫いている気がする。野和田恵里花さんとか、独特にさらけ出すのが上手い人達がいて、それを目撃したり、学んだ場所がセッションハウス。そうすると変な話だけれど、他所できれいキレイな踊りを観ても、心が動かなくなるんです。やっぱり初期のマドモアゼルは好き勝手やっていたと思う。それなら我々コンドルズもやりたい放題やろう! と、無理やりメンバーの肩を組ませた感があります。


ピナ・バウシュ舞踊団のジャン・サスポータスと踊る野和田恵里花
闘病中の病院から抜け出してきた恵里花さんを励ます観客。舞台・客席がひとつになって、祈り、踊りましたが、その3か月後に恵里花さんは旅立ちました。(伊藤直子:談)


▼どのように見せるか? について、すごく思考した▼

伊藤 (近藤さんのコメントを聞いて)それは確かに、そうだろうなぁと。この世界は全て男目線ですから。若い時は若いように男達から見られ、年をとればとったように見られる。それは変わらないような気がするんだけど、私は女家族に育っているので、それをあまり気にしていないです。男目線もちょっと利用しているところもある。もちろん悪く利用するんじゃなくて、脱ぐんだったら自分の意思で脱ぐ。これはいつも言っていることだけど、脱がされてから泣いちゃダメだよって。自分で決めて脱げば何の問題も起きない。対等であるならば全部自分で処理できる訳で、その責任を負えるか? ということ。そのことで嫌われることはあるけれど、それはもうしょうがない。だって、自分がそうしたいのだから。私が女性のダンスで好きじゃないのは、他の目線があることを知った上で、見せ方を媚びてしまうこと。さらされ続けていると、こうすればこう見られると本能的に知っている。それを使うのはここぞ! という時だけで、定型で使っても面白いダンスにならないんですよ。

近藤 男性から見ると「合わせにきている」のが分かる。

伊藤 そう受け取られてもいいと考えるか、そう受け取られないように創るか、そこは自分達でしっかり考えないといけない。「露出が多い」と受け取られることはいいと思っていて、だって女性は肌が見えた方が綺麗だから。私は好きでやっていたけれど、初期の頃は「地下でこんなことをやっていると知られたら…」と心配でした(※セッションハウスは地下に上演フロアがある)。

近藤 地下アイドルのいない時代ですから。

伊藤 そうなの。見つかったらえらいことになるぞと。その頃はヘンな人もいっぱい来たので、危ないことはしっかり意識しつつ、どのように見せるか? についてものすごく思考しましたね。その頃の恵里花さんとか、とにかく強いから。[後編へ続く]


伊藤直子
いとうなおこ○鹿児島県出身。振付家、演出家、ダンサー、セッションハウス プログラムディレクター、マドモアゼル・シネマ主宰。1991年、神楽坂にダンスの為の小劇場「セッションハウス 」を設立。1993年にダンスカンパニー「マドモアゼル・シネマ」を結成し、以降全作品で振付・演出を手掛ける。
[次回予定]マドモアゼル・シネマ『彼女の椅子』2022/3/12〜13◎セッションハウス

近藤良平
こんどうりょうへい○東京都出身、南米育ち。振付家、ダンサー、コンドルズ主宰。1996年にダンスカンパニー「コンドルズ」を旗揚げし、以降全作品の構成・演出・振付を手掛ける。2022年4月より彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就任予定。
[次回予定]リンゴ企画 近藤良平 百年大作戦『正直者は笑い死に』2022/1/15〜16◎セッションハウス  コンドルズ25周年記念スペシャル公演『ONE VISION』2022/2/4◎高知県立県民文化ホール、2/6◎藍住町総合文化ホール

[構成・文]園田喬し
[撮影]伊藤孝(舞台)

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