ありふれた美しさを心でねじ伏せる
この人を見てどう思うだろうか?
海外の渋いおじさんか、何か歴史に残るような偉人か誰かと思う人もいるだろう。
俺も最初はそう思った。
決して馬鹿にするつもりで、この画像をここに載せているわけではない。
この人は19世紀のペルシャカザール王朝のお姫様だ。
現代の価値観では男性に見えてしまうかも知れないが、この人は女性だ。そして、この女性は145人からプロポーズをされるほどにモテモテだった。
さらに凄いのが、この女性の気を引くために13人の男性が自ら命を絶つほどにモテたのだ。
昔の外見への価値観と今の価値観は違うとは思うが、この人は男女同権を目指して尽力もしてて、内面も素晴らしい女性だったのだ。
このエピソードを知って、俺は本当の美しさは何かと考えた。
一番の理想を書くと、外見と内面の両方が美しい人が一番の理想だとは思う。
そして、外見も内面も美しい人は世の中にたくさんいる。
しかし、外見の美しさはいつか崩れるのだ。
それは加齢による容姿の衰えだ。表現は悪いかも知れないが、これは揺るぎない事実だ。
若い時の美しい容姿による吸引力で異性を引き寄せてても、それ以外で相手を魅了出来ないと、いつか愛する人は離れて行くかも知れない。
だから、優先すべきは内面の美しさであり、外見の美しさはその次だと思う。
しかし、今の世の中はまずは外見の美しさ優先だ。外見の美しさにばかり囚われ過ぎてて、中身が残念な人もいる。
必ず崩れてしまう光り輝く美しい宝石ばかりを一生懸命に大事にするがあまり、本当に大事にしなきゃならない人を雑に扱ってる人も多数見かける。
しかし、その気持ちは痛いほどよく分かる。
俺も外見の美しい女性に真っ先に心惹かれたことがあるからだ。外見ばかりを見て中身の心などまったく見ずにすぐに好意を持ち、外見が美しいから、きっと心も美しい人だろうと盲目的に思い込む。
いや、今思えば、そう信じたかっただけだ。
過去に俺が夜の街で出会った女性が井川遥にソックリで、俺はすぐに夢中になった。しかし、すぐにおかしいとは思った。メールの返事は早い時は早いが遅い時は3日後だったりする。その返事もなんだか抽象的な返答ばっかりだっだ。すごく愛くるしい返事をくれたかと思ったら途端に冷たくなる。
なんだ、この潮の満ち引きのような駆け引きは?
しかし、俺は彼女の外見の美しさによるマジックで、
「なんて魅惑的なんだ!俺への返事を考え過ぎて返事が遅くなってるのかな?それとも俺に甘えて、もっとアタイを追いかけて!そんなネーブルオレンジのような甘酸っぱい気持ちを隠すために、わざと俺に冷たくしてるのかも?」
今思えば、なんて馬鹿な思考なんだ。脳の前頭葉が木綿豆腐にすり替わったのではないかと思うほどに、俺は脳天気でアホだった。早い段階で離れるべき人だった。
しかし、彼女の外見の美しさは冷静な判断力を俺から奪っていく……
俺は彼女からの返信に素早く対応するために、携帯を枕元に置いて寝るようになり、彼女の悪いところはまったく見ないようにして、彼女のちょっとした良いところを彼女の全ての人格として俺の心の中に置き換えた。
なぜこんな都合の良い考えになるのか?
そうだよ、彼女の外見が美しいからだ。
彼女の外見が2トントラックに、はねられてもビクともしないようなツキノワグマのような、ふくよかな女性だったらどうだ?
彼女の顔面が日本海の潮風に吹かれながら家の軒下に2週間干された干し柿のような、くたびれた顔だったら最初から好意を持ったのか?
そんな特徴的な外見だったら、俺は美しい人と同じような態度で接したのか?
正直に言うと答えはノーだ。
もし、上記のような女性と夜の街で出会ってたとしたら俺はこんな言葉でお茶を濁してただろう。
「君は耳たぶの形が可愛いね。なんだか、勾玉みたいでツルツルだ。それに右の瞳のまつげの3番目がとにかくクルンとしてて可愛い。なんでだろう、君を見てると西川の布団のような包容力を感じるなぁ…」
女性を傷つけたくはないし、かと言って嘘は言いたくない。俺は精一杯の褒め言葉でその場を収めて、そっと夜の街から立ち去るだろう。
これが外見にだけ恋した男の薄っぺらい中身だ。
干し柿顔のツキノワグマ体型の女性の心の方が井川遥似の女性の心より素晴らしい可能性があるのに、その心を知ろうともしないで、外見だけで門前払いだ。
こんな男だから、俺は外見の美しい女性に振り回された挙げ句、全財産を失ったのだ。
でも、少しは成長した。
外見だけじゃなく、人の内面もちゃんと見ようと失敗から学んだ。例え美しい人の容姿が明日突然崩れたとしても、その人を変わらず大切に思えるか?この心が一番大事だと痛感した。
逆に外見が好みじゃなく特徴的でも、一緒にいて穏やかで優しい気持ちになれるのかも大事だ。
今の世の中は医療も発達し、化粧の技術も向上して、街には美しい人があふれてる。
美しさこそが正義であり、美しくないものは人にあらずのような風潮だ。
でも、そんな風潮を美しい心でねじ伏せねばならん。
だって、最後まで残る美しさとは、人に優しく、人を思いやり、穏やかで温かい心しかないからだ。
そんな心を目指したら、同じような心を持ってる人に見つけてもらえる可能性も高くなるのではないかな?
俺は見た目の美しさに惑わされ、その美しさを手に入れるためにお金を使い、そして全てを失った。
だから、今は分かるんだ。
優先すべきは外見の美しさからではなく、その人の心から見るのが大事なんだということを…
俺は美しい心の人に美しいと思ってもらうために、日々努力して心を磨いて生きていこうと思ってます。
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