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布団と腕時計。(母の日後記含む)

 叔母に毎年「母の日」はささやかなプレゼントを贈っている。実母はもうこの世に居ないし、幼稚園から母親役を受けてくれたお陰で、現在がある。本を読む習慣も教えてくれた。沢山の本を買ってくれた。「ごめん、大人しく留守番させるのに好都合だっただけよ」と叔母は笑うけど。
叔母は、根っからの商売人だ。不規則な生活の中、ボランティアで新聞配達をしたり、地道に生きている人。叔母の運転する車に乗って、ぶらりと街を走ったり、車が好きになったのは、絶対この記憶だとも思う。

「自分がどのような状況になっても、人を上下でみるような人にはなるな。自分を卑下するような人にもなるな。出来れば、自分以外にも優しくなれる人になりなさい」

この言葉は、深く吸収されている。
 まだまだだけど。

 20代の頃、仕事で行き詰まり資料をまとめながら、大久保界隈の公園で、道草を食ってた記憶がある。会社から渡された呼出しベルがひっきりなしに鳴るから、その度に飛び上がり、素早く止める、を繰り返して……ガサッと言う物音がした瞬間に、
暑い日だというのに、布団を背負った(まるでジャケットのように着用)ホームレスと互いに目が合った。植木があるから視界に入らなくて、存在にすら気づいていなかった。

驚きと緊迫の時間。ちょっと有名なホームレスだった。

 「あ…音うるさかったですか?す、すみません……」とその場を去ろうとしたら、そのホームレスの男性は、頭をボリボリ絵に描いたように掻きながら、無言で向かって来て、「音は別に、怖い顔してるなあ……とは思っていたけど」と。
(見られていた……)

 暑い為、自販機で冷たい飲み物をふたつ買って、どちらがいいか?聞いたら……
 「カフェインは健康に悪いから飲まない」と言って烏龍茶じゃなくて水を指差した。
(面白い人)
意識すると、妙に香ばしい匂いのするホームレスの男性は、オジサンだと思ってたら、意外と若い30代くらいだと分かった。
東北が出身であるのと、建設業の社長さんに可愛がられて、上京したが、その社長が急死して、自分も仕事中に怪我を負い、労災保険の手続きを放りだして、寮から逃げ出し、この大久保に流れて来たと言う。
 「最初の頃は、大変だった。縄張りやルールがこの世界にもあって、食べ物だけじゃない仁義なき闘いがある」

彼の、遠くなる視野の先を見つめている力を感じた。言葉以上に大変だろうと。

 聞けば、寝具も腕時計も身につけていなければ、すぐ失くなってしまうらしい。
そのあさ黒く焼けた筋張ってる手首に、高級時計のロレックスが、光と影のコントラストを浮かばせ、アンバランスに輝いていた。
亡き社長さんから貰った宝物だと、彼は瞼を見開き笑顔になった。

 彼は界隈で有名人だった。同僚が「今日も大久保通りで、布団さん(仮名)を見かけた」と軽口を言う。

 わたしもあった。ハンドルを握って、赤信号で停止中、石器時代のような裸の出立ちに、重い綿毛布団を肩に掛け、落ちないようにビニール紐で腰の辺りを無造作に結び、アフロヘアに片手に生活用品が入ったナイロン袋を持ち、高身長で真っ直ぐと伸びた脚と姿勢で、韓国料理街の雑多な深夜も眠らない灯が消えない歩道を、闊歩歩く。時々、脚が絡れながら。

清貧。プライド。悠然。どのような状況下でも、人が本来持っているものは変化しない。

 大久保の出張所の連絡先を要らない名刺の裏に速書きして渡したら、彼は興味無さそうに、それで鼻を拭って丸めてポイっと捨てた。軽やかに。それ以上は立ち入れない。なにかしたい。
ポケットに500円玉が一枚あったから、サッと渡した。
 「面白い時間をくれた気持ちなんで、情けとかじゃないです。今日は暑いし、飲み物代です」と、彼が拒絶反応する時間を与えないように。
 「どうも……」戸惑いながら手を振って別れた。

もうちょっと、自分も頑張ってみよう。一期一会で、貰った勇気。お元気でしょうか?わたしは踠きながらも歩いています。

 今日、大久保通りを通り過ぎていたら、そんな記憶が蘇る。
「星空のディスタンス」アルフィーが流れています、笑。
「ベイビー👶🏻❤️カムバック!!!✨✨✨」

 イエ〜イ!



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このニュースを読んで思い出しました。この方もまた放浪の旅に出たらしい。人には個人の生き方がある。(確かにイケメン)

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