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「ふるさと」を思う場所。室生犀星のかなしみ。

室生犀星の原作による『蜜のあわれ』を映画で観て、面白かったので文庫本を探して読んだ。会話文だけで構成されている小説だった。前衛的な作品だなと思って調べてみると、地の文がなくカギカッコの会話だけで構成された小説は「対話体小説」というらしい。

対話体小説は『蜘蛛女のキス』で有名なマヌエル・プイグがよく使う手法であり、日本では江戸川乱歩の『指輪』などがある。ちなみにどちらも読んだことがない。『蜘蛛女のキス』が映画化されていることは知っていたが、まだ観たことがない。対話体小説については、別にあらためて考察してみたいと思う。

そもそも室生犀星のことを、まったく知らなかった。知っていたのは「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という一文だけだ。

いま新潮文庫の福永武彦編による『室生犀星詩集』を手に入れて読んでいる。有名な一文は『小景慕情』の「その二」の冒頭ということが分かった。その部分を引用してみたい。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて地上の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさと思ひて涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

『室生犀星詩集 福永武彦編』新潮文庫、P.17

この詩を知ったのがいつだったのか覚えていない。しかし「東京の都会にいて、ふるさとを思う詩」だと思い込んでいた。室生犀星のふるさとは石川県金沢市だから、東京にいて金沢に思いを馳せる詩ということになる。

ところが、インターネットで検索して調べたところ「ふるさと金沢にて、東京で思っていたふるさとに対する違和感を詠んだ詩」という解釈があった。その考え方に惹かれた。リアルな詩の世界が立ち上がってくるのを感じた。

信時哲郎氏の論文が非常に詳しく丁寧である。まず、その論考から分かったことを簡単にまとめたい。

『小景慕情』「その二」が望郷の詩であるという一般的な解釈は、萩原朔太郎が「室生犀星の詩」で述べているそうだ。一方、その解釈を「誤伝」として、金沢で書いた詩だからこそ意義があると主張したのは、久保忠夫という人物らしい。

久保忠夫のプロフィールを探すと「1926年群馬県生まれ。東北大学文学部国文学科卒業。東北学院大学教授。」とあった。室生犀星と同時代に生きた人であり、室生犀星に問いただした上で次のような文章を書いている。

「この詩はどこでお作りになったのですか」というわたしの問に犀星は「このごろ中学校の教科書にのっているので、先生方からよくそういった質問が来る。ある人には『東京で』と答え、またある人には『金沢で』と答えてしまった。芭蕉の『閑さや岩にしみ入蝉の声』の『蝉』と同じで、その人がこれぞと思う方をとればいいんですね……」と答えてくれた。それはそれでいいのだが、わたしは諒承しない。朔太郎はこの詩を契機に「解説」という名の自らの詩をうたったのであり、犀星のことばは明らかに思わくがからんでいる。だからわたしは、鑑賞の領域から両者の発言を除外する。そして、この詩を金沢で「みやこへ」の気持ちを述べたものとうけとれない人達と、ともに詩を語ろうとは思わない。

「ふるさと」はどこにあるか ――室生犀星「小景異情(その2)」を考える――

ちゃらんぽらんともいえる室生犀星に対して、かなり強引に金沢説をとなえる。萩原朔太郎に対しては、勝手に意訳すれば「あんたは室生犀星の詩を使って、自分の詩情を吐露しただけじゃねえか」みたいなことを言って批判しているのだ。言い方は丁寧ではあるが、過激な人である。

しかし個人的には萩原朔太郎が解釈したような、ありきたりの望郷の詩という解釈は、いかにも優等生的で気に入らない。そう、詩情を感じないのである。端的にいってしまえば、つまらない。むしろ、ふるさとに佇んで詠んだ詩であるという久保忠夫説を全面的に推したい。なぜなら、地方出身者であり、もはや東京在住期間のほうが長くなった自分には、痛いほどにその心境が伝わるからだ。

いま書いているこのエッセイは大学の卒論ではないので、研究者たちの考察は割愛する。アカデミックなみなさんには反論があるだろうが、ここからは、ひとりの読者として、室生犀星の詩を読んでいきたい。

個人的には、詩人の室生犀星がどこで『小景慕情』を詠んだかはどうでもいいことである(本人もそう言っている)。読者としてこの詩をどう解釈するか、という読みを深めることにつきる。そこで深読みしていこう。

解釈を突き詰めていくと、詠んだ場所がどちらかという二項対立の問題を超越して「東京にも金沢にも、わたしのいる場所はどこにもない。あるのは空想、思いというこころのなかにあるふるさとだけだ」という絶望、かなしみに辿り着く。要するに、ダブルバインド(二重拘束)のうちに求めていた両方を失ってしまうような、壮絶な悲哀が描かれている。

この観点から拙い国語力と自分なりの勝手な解釈を駆使して、室生犀星の詩を現代語の散文に「超訳」してみよう。次のように書いてみた。

ふるさとは距離を隔てて思うときがいちばんであり、悲しい気持ちを詩にうたうときに存在するものです。

しょんぼり沈み込んで、貧しさのあまり他人から金銭、物、あるいは慰めを恵んでもらう生活を送っているわたしには、もう帰る場所がない。夕暮れに佇み、ふるさとを思って泣きたい。泣きたい気持ちを堪えて、この文章を綴っています。

わたしのふるさとはふたつ。ひとつは幼い頃から過ごした地方、もうひとつは夢を追いかけて上京した東京です。かなしみを鞄に詰め込んで帰りたい。帰りたいけれど、どちらのふるさとにも帰れないんです。なぜなら街は変わり、自分も変わってしまったから。

だから、かなしい。ふるさとは遠く離れて思うだけ。それでも現実世界に戻ろう。このかなしみを抱えつつ、いまを生きていこう。

Bwオリジナル

家屋や土地は人間を縛る。そして家族や血縁も縛る。あるいは経済に縛られることもあるだろうし、仕事に縛られることもある。若い頃なら何とかなるものだが、年を取ってしまうと呪縛の引力から逃れるパワーが失われる。体力は弱り、簡単には動き出せない。そうして、ふるさとの存在は現実から遠のき、想像の世界で思うだけのものになっていく。物理的な距離感から、こころのなかの距離感に移ろう。

それでも、空想の中に生きていくことはできない。いまここにある痛みを存分に感じながら、生きていくこと。それ以外に生きるすべはない。

室生犀星は祝福されない私生児として誕生し、ふたりの母を持ち、貧困のために若くして地方裁判所の給仕として働きながら詩を書いた。俳句や詩の文章の世界で名を成すことを夢見て上京、小説の分野でも有名になった。しかし晩年には、やぶれかぶれのうちに肺がんに苦しんで亡くなる。絶筆となった『老いたるえびのうた』は次のような詩だ。

けふはえびのように悲しい
角やらひげやら
とげやら一杯生やしてゐるが
どれが悲しがつてゐるのか判らない。

ひげにたづねて見れば
おれではないといふ。
尖つたとげに聞いて見たら
わしでもないといふ。
それでは一体誰が悲しがつてゐるのか
誰に聞いてみても
さつぱり判らない。

生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。
からだじゅうが悲しいのだ。

『蜜のあわれ・われはうたえども やぶれかぶれ』室生犀星、講談社文芸文庫、P.283

室生犀星の詩は、かなしい。それは場所を特定できるかなしみではなく、どこにも行けない、帰る場所のないかなしみである。こころという空間に浮遊する埃のようなかなしみが、行き場を失って途方に暮れている。

2024.10.27 Bw