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短編小説「国境線上の蟻」#5



 君は宿泊先のモーテルに戻ろうと歩く。貧民街となった路地で、ひとりの破綻者を始末して、やはり薄暗い漁港を過ぎて、ヒトの気配のない海岸線を歩いてきた。アスファルトを蹴る足音が響く。しかし、それはすぐに穏やかな波音に消されてしまう。瀬戸内海、だっけか。昼間に見たときは、あぶくと漂着物だらけの、汚れた海だった。水平線を眺むれば、そこには大小様々な島の影が見てとれた。頭上には、打ち上げられた小魚を狙うカモメが周遊していた。堕ちた鳥を狙う犬がよだれを垂らし、物陰から猫が横取りを狙っていた。そんな色々な生き物たちを狙っているのがヒトだった。
 遥か高く。鳥たちは声もなく。見下ろしながら旋回だけを続けていた。
 すでにこの国は崩壊している。
 新たな核戦争を経て、分断した経済区を他国が占有権を争ったのだ。すでに弱体化し、資源のない国ではあったが、しかし、幸か不幸か、アメリカと中国、朝鮮半島と、ロシアとアメリカの対立軸、対立線上に浮かぶ国土は、ただ、それが陸地として有るだけで、充分な必要性をもたらした。
 ずいぶんと減少し、文明退化すら起きてはいたが、その国のヒトは従順で、戦闘意欲がなく、労働力として扱いやすかった。端的に言えば、奴隷として扱うに最適だったのだ。
 地上の最下に這う蟻は、昨日と同じ任務を遂行している。踏み潰されてしまっても、次の個体が躊躇うことなく、列を続けていた。
 国家が存続していたころからすでに、多くの移民たちを受け入れていたことから、他文化の流入になれ、支配されることにも慣れてしまっていた。順応性が高いわけではない。諦めることに慣れた、弱い民族だっただけのことだ。
 労働者として入国させた外国人が実権を握り企業を乗っ取る、暴力によって力関係が変わる、純血種は早々に祖国を捨て、他人種からの新支配体系を受け入れた。そんなことが続き、シヨウワ、ヘイセイと続いたワホウという新しい時代は二十年を待たずに消失し、西暦を数えるのみとなった。そのころ、国の実権を握っていた者たちの行く末は誰も知らない。誰も知りたいと思わない。
 やがて、その国の歴史は侵略者たちのものとなり、残り少なくなった日本人は部外者として、傍観に暮れるに至った。
 鳥と、蟻。その中間。
 空でもなく、地上そのものでもない、そこに立つ、人々。彼らは犬を、猫を、猿を、侮蔑の対象にする。しかし、動物たちはヒトになにを思うだろう。なにも思っていないに違いない。
 君は自らの出自を知らない。日本人ではない。似ているが顔が違う。背丈は変わらないが骨格に違いを感じる。多くの日本人のように華奢ではなかった。
 君はリャンミンと呼ばれて育った。元はオオサカと呼ばれていたが、そのころ、すでに地名を失って、ある都市の廃ビル群と地下道にナワバリをつくった台湾系のマフィアに拾われた。彼らはそもそも、戦時下だったこの国へ、武器と麻薬を売りに来た、言うまでもなく反社会的組織だった。しかし、そのころ、いや、いまも、反社会的勢力も合法的組織も大差はない。組織か個人か、になるわけだが、個人が生きられるほど牧歌的な時代なんて、もはや一世紀以上は前のことだ、一匹狼を気取る背後には組織がその影から黒い手を伸ばしている。その手のひらの中心には渦があって、どう生きたところで、やがて、深淵へ飲み込まれる。そう知っていた。君は憶えている。兄と、母と呼び、慕った、正式名称を持たない人々は、さらに下層の、貧しい人々の手によって倒れた。民族間交配を繰り返せば、数世代先には新しい人種、民族がうまれる。その最初の世代が君だった。
 そして、君や、君たちの父はワン・イーゼンと呼ばれる、武器商の首領だった。

 ヒトだって、同じだ。ここに死んでしまえば、犬に、猫に、そして鳥に、腹をつつかれ、そこに蟻や蝿がたかり、腐肉と化す。それでいいのだ。君はそのことを知っている。それを見てきたのだ。ヒトもそうなればいいと知っている。
 冬の気配に君は思う。氷河期になればいいと、懐のピストルの冷たさと硬さを確認した。

つづく。
photograph and words by billy.


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