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【エッセイ】欠損もひとつくらいなら。

 あれはいつだったか。
 思い出す。それは一昨年十二月の半ば。ちょうど、ある表彰式を前に、歯の詰め物がぽろりと外れてしまって、しかし、そこは何度、詰めても、すぐにグラグラになってしまっていました。なぜか定着しない。他の箇所は虫歯を治して、何か知らないものを詰めて、それで問題なし。
 でも、その箇所は何度、治しても、補修しても、埋め立てても、数ヶ月でぐらぐらとしてしまう。ぐらぐらしたまま、補強をせずに、兵庫県から高知県へ移住してきて。

 以前、小さなころからお世話になってきた歯科医さんのこともよく思い出す。
 当時、会社勤めをしていた僕に、
「なぁ。いつまで会社勤めなんてしてるの? 君は芸術しか生きる道なんてないだろう?」
 意思を確認するように話してくれた。診察後、院長室に呼ばれて、コーヒーをいただいているときのことでした。
「合わない器に自分をあてこんでいる、いまの君を見てると……
 先生はひと息。
「このままじゃ、君の人生はずいぶん、中途半端なものになってしまうんじゃないか」
 遅くなんかない。もとの軌道に戻りなさい。正しい道を進みなさい。
 先生は、絵画や彫刻を愛し、たびたび、ニューヨークの近代美術館へ足を運んでいるような人。優れた小説や随筆集をすすめてくれることもあった(3行ほどしか読んでいません、ごめんなさい)
 とにかく。
 快く送り出してくれた、たくさんのことをよく思い出す。でも、里心がつかないよう、忘れようともしてきた。
 いまは思い出しても、帰りたいと思うようなことはなくなった。僕には、高知という悠然たる自然がある。

 話がそれましたね。
 で、高知にやってきて、初めての歯科へ。
 なかなか険しい表情の歯科医さんにレントゲンを撮るよう言われまして。
「ここって、ずいぶん長く詰め物をしてきたでしょう。根元がもうぐらぐらになっています」
 そういえば、中2からずっとここは銀歯が入っていた。
「もう使い物にならない」
 ひでぇこと言うじゃねぇか。じゃない。厳しいご意見ですね。

「どーすればいいんですか」
「次回、時間を取ってください。麻酔をして抜歯します」
 ぷぎゃー。とくんと鳴る心臓。だから僕は医者が怖いのだ。とんでもないことを平然と口にしやがる。じゃなく、おっしゃる。です。
 かくして。
 抜歯されて吹き出す血。すぐに止まるものの。激痛。一晩、痛みにうなされて目覚め……って、盛りすぎました。痛み止めがあったので、普段通り寝ていました。
 そして、入れ歯を。
 あの、入れ歯。やだなぁ。ポリデトとか買わなきゃならないのかな。ゼリーみたいなので歯をくっつけて、お煎餅をかじらなきゃならないのだろうか。そう思っていたら、一本だけなので他の歯と同じように磨いて、寝るときは外して水にでもつけておくように、とのこと。
 かくして、お年寄りの代名詞とも言える、入れ歯が一本、僕の口内に。
 なんですけど。別に、歯って一本くらいなくても何の問題もないんです。前歯じゃないから見えないし。すっかり、欠損箇所はそのままに、飲み食いしています。つける、外すが億劫。
 僕は、チキンなどを食べるとき、肉だけではなく、軟骨部分を噛み砕いて、かたまった血の部分まで齧るような獣なんですが(こんなこと書いて大丈夫かな)、変わらずに骨を噛み砕いて、食べられるから別にいいや。
 なんですが。
 三ヶ月に一度の定期検査のたびに、「〇〇、欠損」と言われるのは苦手なんです。自分の欠落を指摘されたような気になる。
 少しくらいなら欠損していても問題なく生きてはいられると思う。でも、定期的にその欠損に言及されるのは、決して嬉しいことではない。みなさんに限りましては、くれぐれも欠損のない人生をお過ごしくださいませ。
 それでは。ビリーでした。

photograph and words by billy.

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