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連載小説「超獣ギガ(仮)」#20


第二十話「未来」

 昭和九十九年、十二月二十八日。
 国際宇宙ステーションひかり。その通信用モジュール、室内から。

「ハロー、マイフレンド」
 こちら、国際宇宙ステーション。こちら、ひかり。応答せよ、地球。応答せよ。つぶさに見つめた各計器は平常。異常なし。
「応答せよ。こちら、ひかり」
 窓の外に広がる、永遠の無音。拡大する永遠の暗黒。終わることのない永遠の孤独。一切の色を喪失した闇。すべてを静止が支配する宇宙空間。そこにぽつんと浮かぶ有人船。ステーションという名称とは別に、その容貌は、巣を張り中央に鎮座する蜘蛛を想起させた。
 ここから放つ光。地球上に届かないが、しかし、既に、そのひかりに取り込まれた人は地上へ応答を繰り返していた。
 いまだ目視には至らなかった。しかし、レーダーは高速で移動している船を捉えていた。
 光る。途絶えて、光る。そしてまた途絶えた。その連続だが、点滅のたびに跳躍するように移動していた。有人船ではないだろう。真空でのあの加速の重力に耐えられる人間はいない。一度、強制的に縮まされた脳は、頭蓋骨の破裂を伴って炸裂するだろう。加速を止めた瞬間、眼球は瞼を突き破って飛び出すだろう。いまだ、人は脆く、か弱い。地球での生存にしか適していないのだ。
「あれってよ」
 伝え聞かされていた、レールガン。射出されたのは、星屑8号というやつだろう。その星屑8号が何を目的として月面裏へ向かっているのか、何を搭載しているのか、それについては知らされていない。
 月の軌道上を定期巡回していた、国際宇宙ステーションひかり。その搭乗者、日本人技術者で、すでにベテランとなった宇宙飛行士の、日系アメリカ人、ケイイチ・エンドー(五十八才)は、その未確認飛行物体が何であるかも知らなかった。彼に伝えられていたのは、軌道上を高速移動する船、月の軌道へ乗る船を見つけたら報せてくれ、だけだった。
 この世界に生きる、くらす人々は、ほとんど何も知らずに生きるしかないのだ。
 なんだって関係ねえや。彼はそう思っている。このステーションが宇宙空間を航行できるシステムについても、ろくに知らない。おおよそは聞いたはずだが、とっくに忘れてしまった。憶えているのは、ステーションでの暮らし方や、ここでビールは飲めないこと、トイレの作法くらいだ。言ってしまえば、それくらいしかない。ほとんどは自動運転にて航行しているし、地球からの指令によって運用されてもいる。宇宙飛行士なんて言っても、テクノロジーが進化した時代では、もはや、計器の数値を確認するためのアルバイトみたいなものだ。昭和も九十九年になると、人の価値は、そこまで下落していたのだった。
「おーい。地球の、なんだっけ。影の政府さんよーい」
 ややな投げやりにケイイチ・エンドーは叫んだ。しかし、その視界が捉えたのは、細長い金色の線。人工衛星や、隕石ではない。
 え、これって、錯覚とか飛蚊症じゃねえよな。自分を訝り、思わず、目を擦ろうとして、ヘッドセットのバイザーに手を遮られ、宇宙服を着ていたことを忘れていた自分にやっぱり首を捻った。
 彼が見つけたのは、レールガンから射出され、超々高速移動を続けて月に向かう、無人運搬船、星屑8号の過去の痕跡だった。明日には、星屑8号は月の裏側へ到達する。
 その様子は流れ星のようであったと、後に彼は懐かしく述懐することになる。それはまだ遠い先のことだ。
 地球から約四百六十キロを航行している、国際宇宙ステーションひかり、その搭乗者たちは月に向かって走る光線を見つめていたのだ。

 同日、同時刻。
 神奈川県横須賀市。中華飯店、万福。

 陸上自衛隊の関東方面隊、その駐屯地の一つに数えられる、通称、横須賀基地。海自、空自の基地も同市内に存在しているこの土地は、アメリカ海軍基地も隣接し、日本国の防衛拠点の要所の一つに数えられている。
 国家公安維持機関・冥府とその実働部隊、隠密機動部隊、通称ケルベロスも非公開ながら。付近に基地と司令部を持ち、各自衛隊基地と密やかに連携していた。
「おっちゃーん! ビール生大三つや。それとやなー」
 威勢の良い関西弁が轟く。その大きな声に、そこにいる客たちが思わず箸を止めた。きらりと光るメガネの奥で、女は捕食者の眼光を浮かべていた。油に滑るメニュー表を躊躇なく掴み、火を点けんとばかり睨んでいた。
「しゅうまいを、えと、とりあえず十八人前。それから、餃子は焼きと揚げで、それも同じだけください。それから」
 まだ続くらしい。
 前髪の一部だけを金色にした、細身の女が挙手をしていた。鈴の音のように涼しげな声ながら、しかし、慣れた様子で常軌を逸した注文をしていた。さきほどの関西弁同様、参考書を睨む受験生よりも熱心な表情で、見慣れたはずのメニューの一語一句を拾い上げてゆく。
 どちらの女も、ほっそりとしてテーブル下の脚は長く、大食には見えない。二人はスウェットとジャージ。部屋着かそれ以下の身なりだったが、雑然とした中華料理店には不思議に馴染んでもいた。通い慣れた店に溶け込む親和性すら漂わせて、連れてこられた様子の男と大ジョッキを豪快に重ね合わせた。
 連れてこられた男。両手の、指先に包帯を巻き、足首にも負傷があるのか、松葉杖を立てかけている。顔色は良く、ビールも飲んでいるので、健康面に不安があるわけではなさそうだが、よく見れば、顔にも擦り傷やそれを覆う絆創膏がいくつか見られ、無精髭やぼさぼさの頭も相まって、火事場から逃げてきたばかりの泥棒のように不穏な風貌だった。
「ほんで、や」
 ビールを流し込んで体に水脈をつくり、ようやくの一息。最初に話し始めたのは、鳥谷りなだった。
「あんた、ビールなんか飲んでていいんかいな? さっきまで入院してたんやろ」
 心配している口調ではなかった。
「誘っておいて、なんなんだよ」
 大丈夫だよ、治療は終わってるから。初の戦闘後、骨折や筋肉の断裂など複数箇所を負傷していた波早風は、この日、ようやくの退院だった。 
 痛々しく痕跡は残っているが、当の本人は笑顔を浮かべていた。いくら、超人的な身体能力を持ち、その出力を瞬間的に増幅させる術を持っているにしても、やはり、四百キロの棍棒を振り回して、六百キロの巨体と争えば、人なんて脆い。この程度の怪我で済んだのは、常人ではないからこその証左でもあった。波早は大ジョッキを空けて、大きく息を吐く。
「でも良かった、元気そうで」
 花岡しゅりも笑顔を浮かべた。空になったジョッキの底を覗いて、小さなため息。
 ぼろぼろだけど。ぼろぼろでも、笑っていられるなら、ぼろぼろじゃない。
 あの時、私たちは死んでしまっていてもおかしくなかった。どうして生き延びることができたのだろう。何度も夢に見、自らに問いた。答えはいつも同じだった。
 みんながいたから、なんとかなった。
 能力や、その限界や、意志や、訓練だけじゃない。奇跡を起こせたのは、このチームだからこそ。私たちは負けなかった。勝てないまでも、負けなかった。これからも、その都度、負けない方法で生き延びたい。みんなに笑っていて欲しい。
「もう一杯、いっとこうや」
 空になったジョッキを示して、鳥谷りなも笑っていた。

 同日、同時刻。
 東京都千代田区。国会議事堂八階、機密ホール。

 佐々木一佐の叫び。その後。再び、参加者たちの疑念が速射砲のように吐き出され、撃ち放たれた。
 超獣ギガって何だ、そんな怪物、本当に存在するのか、いい加減な作り話でだまそうとしているんだろう、お前たちの本当の目的は何だ、影の政府なんか聞いとらんぞ、内閣府直属だとふざけるな、先住民族って何の話だ、お前たちレールガンなんて作っていたのか、条約には違反しないのか、米軍はこのことを知っているのか、いったい何が目的だ、それからそれから。
 人はその目に見たものしか信じない。しかし、同時に、自らに不都合そうな真実や、どこかで起きた現実は、記憶の外に追い出すこともできる。
「総理。あんた、こんなことに加担してるのか。S Fごっこに興じている場合じゃないだろう」
 音声のみで参加していた、警察庁長官、西木優の発言は、可視光線の青の点滅と共に含み笑いを呼び覚まして、下卑た笑い声がホールに沸く。呆れたような声色が本人不在でも伝わってきた。
 しかし、それが、ごっこであれば、誰かは死なずに済んだ。これから死ぬ誰かもいない。
「残念ながら」
 蓬莱ハルコは意を決し立ち上がった。振り返る。そこには発言者はいないが、追従者たちの笑う顔が並んでいた。歪んだ唇。笑われていた。
「彼の、文月氏の話していることは現実です。ここにいる私たちは、すでに一度、彼らに救われている」
 ここにいるのは、一様に、ハルコを笑い続けた人々だった。女性の時代、女性の社会参画、女性の政治参加、それもやはり詭弁。現実として、ハルコが内閣総理大臣に選出された日には、彼らは女性性を理由に打ち出した政策へ疑問だけを吐き出したのだ。よく憶えていた。この人たちは、危機になっても変わらない。目の前にあのモンスターが現れて、震え上がって、漏らしてしまってから、助命を救助を乞うのだろう。そのときには手遅れになっているというのに。
「蓬莱総理は」
 文月は再び口を開いた。
「勇敢にも、このVTRにあった東京埠頭の、あの戦場へやってきたんだ。自国民が謎のモンスターと交戦中だと知って。信じるか信じないか、俺たちはそんな話をしに来たんじゃない」
「認めたくないのなら、私への不信任決議を採択すればいい」
 目を閉じて、吸い込み、すべてを吐き出した。集まった視線を睨む。ハルコは告げた。
「戦う意志のない者は、ここから去りなさい」

つづく。
artwork and words by billy.

#創作大賞2023


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