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【短編小説】らっぽやん #2  夕日のらっぽやん

 昭和20年8月15日に
戦争は終わったらしい。
 
 らしいというのは、
奥三河の親戚の家へ
一人で疎開していたミノルには、
その日ラジオから聞こえてきた
天皇陛下の玉音放送が、
何を言っているのか
まったくわからなかったからだ。
 ただその時の大人たちの様子から、
どうやら戦争に負けたらしい、
と、何となくわかったのだ。
 
 疎開先から名古屋の下町へ帰った
ミノルを待っていたのは、
一面の焼け野原だった。
 そもそも借家だったミノルの家も
跡形もなく焼け落ちていた。
 
 帰ったその日、父の戦死公報が、
白木の箱と一緒に届いた。

 なすすべを失ったミノルと母は、
電車と木炭バスを乗り継ぎ、
ミノルが疎開していた奥三河の、
母方の親戚の家へ、
しばらく身を寄せることになった。
 
 そして、ミノルは9月から再び
疎開先の分校に通うことになった。

 まだミンミンゼミが
夏の名残のように響く分校では、
疎開していたころの友人たちが
快く迎えてくれた。
 でも、その中に、
魚とりやトンボとりを教えてくれた
一番の友達、タケシの姿がなかった。
  
 その日の帰り、
ミノルはタケシを探して、
西日を追いかけるように、
集落の西の入り口の方へ歩いた。
 
 集落の果ての峠まで来たとき、
切通しの上から、
かすかに口笛の音が聞こえた。
よく見ると切り株に座った少年が
口笛を吹いている。
 
 これは確か「ラバウル小唄」
とかいう軍歌では・・・。
 ミノルは切通しの崖をよじ登った。

 峠の切通しの上からは、
三河から尾張へと続く山々が
ずっと見渡せた。
 
 切通しを登ってきたミノルに
気づいているのかいないのか、
切り株に座っている少年は、
西日が眩しい空を見つめながら
口笛をやめなかった。

 ミノルはその音色に合わせて、
口笛を一緒に吹きながら、
少年の後ろに立った。

 少年は口笛をやめ、
振り返らずにつぶやいた。
 
 「ミノル、かえってきたんか?」
 
 「うん。名古屋の家は
  空襲で焼けてまった。
  父ちゃんも戦死して、
  母ちゃんと二人で越してきた。」
 
 「ほっか。」

 「ゼロ戦乗りのタケシの兄ちゃんは
  帰ってきたんか?」
 
 「まだじゃ。
  でも絶対帰ってくる!」

 「そうだね、タケシの兄ちゃんは
  撃墜王だもんね!」


 右腕でゴシゴシ目をこすったタケシは
初めてミノルの方を振り向き、
笑顔で言った。

「ミノル、らっぽとるぞ!」

 足許のタモをつかんだタケシが
ミノルを連れてきたのは、
山道が少し開けた場所だった。
 
 ミノルやタケシの
ちょうど目の高さぐらいのところを、
一匹の腰の細いヤンマが
行ったり来たりしている。

「こいつはヤブヤンマじゃ。 
 動きは素早いけど、一瞬、
 飛びながら空中で止まる。 
 その時がチャンスだに。」

「すごい!こいつ、
 一瞬で向きを変えとる!」

「ミノル、腕が上がったかどうか
 見たるわ!」

 タケシからタモを受け取ると、
ミノルはヤンマの動きを目で追った。
すると、空中停止するタイミングが
だんだん分かってきた。

「ここだ!」

素早くタモを振った中に、
見事にヤブヤンマが入った。

「らっぽやーん!」

タケシは嬉しそうに叫んだ。
 ミノルのタモの中から
タケシは二本の指で羽を挟んで
大きなヤブヤンマを取り出し、
夕日にかざした。

「このヤンマ、カッコいいなー!」

「ゼロ戦もこんな風に飛べたら、
 絶対日本は負けんかったのに!」

 
 ヤブヤンマは、どんな飛行機よりも
美しく輝いて見えた。

 タケシの目にいつの間にか
涙がたまっていた。
  
 「ミノル、逃がしてもええか?」
 
 「うん!」
  
 タケシは思い切り手を上に伸ばすと
夕日に向かって指を離した。

 ヤブヤンマは、
羽根をオレンジ色に輝かせながら、
ヒュンと飛び去って行った。
 
 その姿をじっと見つめる
二人の少年の影が、
山道に長く長く伸びていた。



作:増田達彦(水澄げんごろう)
初出:2021年9月 名古屋市水辺研究会会報
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