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総合商社からBIOTOPEへ──私が「システムのデザイン」に魅了されるまで

はじめまして。今年8月からBIOTOPEに参画し、戦略デザイナーとして働いている山田和雅です。

ご挨拶もかねて、この記事では僕がどうして総合商社からデザインコンサルに転職したのかをご紹介したいと思います。

僕がキャリアチェンジを志したプロセスをご紹介することで、もしかしたら僕が見ているデザインの可能性を少しご紹介できるかもしれない、と思い筆を執りました。よろしければお付き合いください。

僕の商社でのお仕事

僕は大手総合商社で約10年ほどインフラ関連の仕事をさせていただきました。入社以来7年間担当した仕事は、インドネシア最大級の民間発電所に関わる仕事です。規模の大きな仕事で、その発電所だけで1000万人以上の人の電力を賄っている、そんなインドネシアの経済の発展と人の暮らしになくてはならないような仕事で、やりがいがありました。

特に僕自身が携わった仕事は、M&Aを仕掛けて事業の筆頭株主となったり、ハンズオン型で経営を進めながら、財務基盤を強化するために数千億円規模のプロジェクトボンドを発行したり、更には、最後の二年間はインドネシア現地の事業会社に経営陣の末席として出向させていただいて、現場の経営改革の結節点として仕事をさせてもらいました。

このインドネシアの仕事の中でも、現場での事業経営が僕の職業人としての原体験になっているので少しだけ深掘りしてご紹介します。

自分主語が最後の拠り所

ある日僕は当時の上司に会議室に呼ばれ、「現地に出向してほしい」という辞令を受け取りました。そしてそのときに言われたのが、「期限は2年間。それまでに、企業価値を買収時の倍にするつもりでやってこい」ということ。

「倍にする」は喩えだとしても、要は線形の成長ではなく、非線形の成長を実現せよ、ということだと僕は理解しました。そして非線形の成長を実現するということは、これまでやっていたことの強化ではなし得ず、一面ではこれまでのやり方を否定し、新たなやり方を生み出す、スクラップ&ビルド(破壊と構築)型のアプローチが必要になるのだろう、と直感しました。

出向先のインドネシアの発電所現場の宿舎前のバス停で一息

出向生活は、社長・本部長職の上司と三人でスタートしました。共に、経営の真っ只中に放り込まれ、Day-1からの全力疾走での経営改革でした。

僕が師として私淑する事業会社の当時の事業会社の社長が取ったアプローチは、「理念ドリブンで会社を変えていこう」というもの。これは正攻法ですが、言うは易し行うは難しの長期に亘るプロセスです(と、後になって肌身に染みて分かっていきました…)。

理念ドリブンの起点は、事業会社のビジョン・ミッション・バリュー(MVV)を見直すこと。特にこれを現場からのボトムアップ型で作っていくことが、僕らの基本アプローチとなりました。

なぜ変革なのにボトムアップだったのか。これは、長らく前株主の意向を伺い、トップダウン型の経営モードで仕事に臨んできた現地の従業員のマインドセットを、「自分が会社の◯◯というゴールを共に実現するために何を自分がやるべきか」というモードに変えていく必要があったためです。

組織のオーガニックグロースを実現していくのに、圧倒的リーダーシップで組織を引き上げる手法は一つあると思います。ですが、僕たち総合商社は発電所運営のプロではありません。上から下に落としていけるベストプラクティスやノウハウのようなものは殆どありません。

そんな「持たざる存在」がどのようにして「勝ち筋」を作るか。それは、持てる者(現地メンバー)に最大の力を発揮してもらうこと、(僕の言葉にすれば)自由にやりたいことをやってもらって現場の力を爆発させて暴れてもらうこと、これしかなかったわけです。

タスクフォースチームの仲間達と

とはいえ、骨の髄まで染み付いた組織のメンタルモデルをアップデートしていく、そして、新たなモードで理念(MVV)を考えてもらう(しかも、第二言語(英語)同士ののやりとり)、というのは至難のわざでした。

そこで、僕らは現地メンバーの発案から、LEGOを使ったワークショップをすることにしました。そう、言葉ではなく手を使いながらならば共通言語(カタチ・モノ=LEGO)で考えられるでしょ、というわけです。これは「当たり」でした。

それぞれがビジョンをレゴで表現し、それを文字通り統合し、大きな街のようなレゴを作り、平易な言葉にしていく。そしてその過程で造形を見て笑い合ったり、こだわりを共有し合ったり、腹を割って会話をしていき、じわりじわりとメンタルモデルの奥底に眠っていた「何か」が表に出てきているように感じました。

その後も議論は数ヶ月続き長丁場となりましたが、LEGOを基点として、最終的に自分達の納得のいく言葉を紡ぎ、新たな経営理念MVVが形になりました。

そこから、ビジョンを共有したメンバーがチームを作り、10個以上の変革タスクフォースを同時並行で走らせました。僕自身はこの変革タスクフォースの車輪が止まらぬよう、熱を吹き込みつつ、現場ー経営陣ー株主の間を行き来し、ステークホルダーのBuy-in(支持)を獲得しつつ、経営資源を獲得して投入することに奔走しました。

と、こうして書くと何か戦略的・計画的にやっていたような感じがしますが、現実は行き当たりばったりの部分もいっぱいあって、とにかく駆け出してみて目の前に壁や落とし穴があることが普通で、無数の問題と格闘するなかで、「もうダメか」と諦めそうになる時に自分達を最後のところで支えてくれたのは「自分達自身でやると決めたことだから」といった自分主語の思いだったように思います(BIOTOPEではこれを「内発的動機」と呼び、ビジョン思考の根幹概念としてとても大切にしています)。

デザイン思考との出会いと迷い

同じ頃、僕はBIOTOPE代表・佐宗の著書『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』に出会いました。

佐宗の本には、戦略・論理・左脳思考と対比して、デザイン・創造・右脳思考の重要性が語られ、特に「手を動かして考える」というメッセージが特に心に響きました。まさに自分自身がインドネシアの仕事のなかで実感として味わったことと重なったからです。

とはいえ、当時は「へえ、そういうもんか」ぐらいの気持ちでしかありませんでした。

ですが、その後、インドネシアから帰国し、東京本社で事業開発のプロジェクトマネージャーとして新たな事業創造系の仕事を拝命し取り組んでいくと、この佐宗のメッセージが繰り返し僕の頭の中でエコーすることになります。

というのも戦略的思考で事業創造をしようとすると、どうしても「何が課題か」「どう強化するか、改善するか」という方向で考えがちになってしまう(無論これも素晴らしいアプローチです)。

その一方で、本当に新しいモデルを事業の形を考えようとすると、「どうしたいか」「社会や人がどうあって欲しいか」という風に考え出し、そこに自分達が「何ができるか」を考えていく必要がある。

これは、だいぶ違う思考回路が求められる気がしました。その「だいぶ違う」ことをするヒントが佐宗の言う「デザイン」だと感じたわけです。

当時キャリアはまもなく10年目が見えてきていました。そのまま総合商社パーソンとして、これまでの放物線の先で頑張るか、自分の心に何かざらざらと引っかかる今までの反対側の世界で全く新たなケイパビリティを身につけるか、僕は迷い始めていました。

システムをデザインする

結論、僕はイリノイ工科大学デザインスクール(以後、IIT ID。佐宗も同スクール卒業)で広義のデザイン・デザイン思考を学ぶため、会社を休職・私費留学の道を選びました。

留学先のIIT IDでは「Aha!」の連続でした。過去僕が実務の中で経験した成功体験や失敗体験がデザインやデザイン思考、或いはシステム思考のレンズで見ると、「そういうことだったのか!」ということがいっぱいあり、さらにそれを理論やフレームワークで補強していくことができました。

特に僕自身のIIT IDの学びの最大のTake away(持ち帰り)は、「システムをデザインする」という視点でした。

少しだけステップバックすると、デザインスクールの講義で習う超基礎の基礎として、デザインの射程の広がりの話があります。カーネギーメロン大の元デザインスクール長のリチャード・ブキャナン先生によると、デザインは4つの次元で広がってきているそうです。すなわち、

  • シンボルのデザイン(グラフィック、ビジュアルを含む)

  • モノのデザイン

  • 行為のデザイン(モノと人のインタラクション、UIを含む)

  • システムのデザイン

です(*1)。

デザインスクールでは無論この全てを教育しますが、学生の関心の拠り所によってどのオーダーを深掘りするかのある程度の自由度が確保されています。僕自身は最後の「システムのデザイン」に比重を置きました。

IIT IDの同級生の仲間達、先生方と

「システムをデザインする」とはどういうことか? 

色々な解釈があり得ますが、一つの説明としては、「個別の問題や個別の要素に着目するのではなく、その問題や要素が絡み合って作り出す問題の構造を掴むこと」、そして「その構造や形を変えることで本質的な問題解決を試みるもの」と言えるのではないかと思います。

IIT IDではこの「構造や形を変える作業(=システムのリデザイン)」こそ、デザインの仕事の領分だ、と教えます。

というのも、システムを構成するいちばん大事なアクターは誰かと考えた時、それは摩訶不思議な存在である「人」です。人自体をデザインすることは無論できませんが、「人」が活動・行動する前提となる「インフラストラクチャー(インフラ)」(広義のインフラ=有形・無形のインフラ)はデザインできる筈、そしてインフラをリデザインできるから、システムをリデザインできる、人の行動やその様式もまたリデザインできるというわけです。

ちなみに、このシステムデザインの関連では、IIT IDでは、4つの次元(レベル)を意識して統合的にデザインすることを徹底して叩き込まれます。すなわち、

  • マクロ:理念・規範等のレベル(例:ウェルビーイングx脱炭素)

  • メゾ:(サービス)プラットフォームのレベル(例:自転車を中心にした街)

  • ミクロ:モノ・単一サービス等のレベル(例:自転車シェアリングサービス)

  • ナノ:部品・パーツ、データ等のレベル(例:乗り心地の良い安全な自転車)

というものです(*2)。

僕のようなビジネス実務ばかりやっていた人間は、とかく単一ソリューションや個別のモノとしての価値提案、ミクロレベルから思考を出発させてしまいがちです。が、それをシステム全体で捉えたときに、どんなプラットフォームの一部で、結果、理念レイヤーではどんな意義を実現するのか(あるいは逆に阻害してしまうのか)をまずは統合的に考えよ、というわけです。

こうしたアプローチがなぜ有効かと言えば、理念と事業の連結がESGの観点でよろしいというだけでなく、個人的には、ニーズ・課題ドリブンではなく、理念・ビジョン起点だからこそ、新たな意味づけの中で事業と価値提案を考え直すことができ、結果としてイノベーションが生まれてくる、という方に魅力を感じます(実務家の視点として)。


4つのシステム次元を同心円状のフレームワークで表現し、システムを輪切り(!!!)で表現した図。野菜じゃないんだからサ…と思いましたが、とてもデザインスクールらしい整理だと感じました。*3

理念・ビジョンがイノベーションを喚ぶ、という話は、別の言い方をすれば強く気高い制約があるからこそ、豊かな発想が生まれてくるとも言えます。IIT IDではそうしたデザイナーとして大事にすべき価値観・デザイン原則(=強く気高い事業の前提・制約)もまた培ってくれました。

2020 IIT ID Report, Lead with Purposeより。人間中心デザインからパーパスドリブンデザインへ、というメッセージを表したもの。Inclusive, Sustainable, Justがデザイン原則に加わった

こうした「システムのデザイン」の考えに触れながら「やばい、面白すぎる!」「これはビジネスの現場ですぐにでも実装したい!」と感じるようになりました。シカゴの教室にいながら、ビジネスの現場が、すごく恋しくなりました。そしてできることなら、さまざまなシステムのコンテクストに触れながら変革をお手伝いするような仕事をしたい、という思いが強くなっていきました。

ごく自然な流れとして、僕はこうしたことを仕事の真ん中に据えている会社を探し始めました。BIOTOPEとのコミュニケーションが始まったのはそんな経緯からでした。

可能性を育み合うシステムに、収益のフローを流す

BIOTOPEに入社後、僕が携わっている案件は、日本を代表するエスタブリッシュメント企業の事業ビジョン並びに経営理念のデザインから、急成長中の営利企業との案件、学校の長期ビジョンデザインまで、さまざまです。

それぞれの案件は、直接的にはシステムデザインとは言えないでしょう。ですが、実際にはそれぞれの組織の「意味の生態系」、すなわちシステムをまずは広い視点で捉え(As is)、その上で変化の方向性を共に描き出し(To be)、そのために何をすべきか、どの部分のデザインを変えていくのか(戦略・戦術)を共に考える、という意味で実は「システムのデザイン」なのでは、と勝手ながら感じたりしています。

そのデザインの過程で僕は僕のユニークさを意識するようになりました。それは、総合商社の商売の現場で培った「スキーム構想力」のようなものだ、と感じています。

僕自身、総合商社OBとしてのかすかな矜持は、特定の技術も製品も持たず、自分達の構想力勝負で、まさに「空に絵を描くような」感じで仕事を生み出してきた総合商社の仕事の仕方を学んできた点です。構想に、資源(ヒト・モノ・カネ・ネットワーク)を投じ、豊かなキャッシュフローのある仕事の形とする。この実務で培った「スキーム構想力」で、クライアントの皆さまのシステムを「豊かな形でリデザイン」していきたい、それが今僕がやりたい仕事です。

その仕事の射程は、

  • 事業ビジョン・戦略構想

  • 脱炭素・サステナビリティ・サーキュラーシステムのデザイン

  • 街づくり・場のビジョン構想

  • 経営理念(MVV)構築・浸透

  • 経営統合・組織変革

  • シビック(公共、市民社会)のデザイン

(上記全て営利・非営利問わず)

などに広がるのではと手前味噌ながら感じ、一人でわくわくしている次第です。

終わりに

上述の通り、インドネシアの事業会社で「手を使って(理念を)考える」ということからデザインに出会い、デザインの可能性の射程が形あるものから「システム」という広い世界へと広がっていくことを知りながら、僕自身もキャリアをピボットしました。そして、その中心にはいつも「自分がやりたいこと=内発的動機」を大事にしたい、という思いがあったように思います。

もし僕の人生の回り道のお話を通じて、デザインの持つ可能性と面白さを少しでも身近に感じていただけたら幸いです。そして、僕たちが力になれることがあればいつでもご連絡ください。

*1: 武山政直著「サービスデザインの教科書」P.74-を参照
*2: PeterJoore, HanBrezet “A Multilevel Design Model”理論を参照しつつ、Carlos Teixeira教授のRethinking Systems講義をヒントにしながら筆者にて意訳。例示も筆者解釈。
*3: Nogueira  A.,. Teixeira C, Ashton W. ”Anatomy of Systems: A tool for ethnography of infrastructures”を参照。

text by Kazumasa Yamada
edit by Ryutaro Ishihara

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