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「飲み仲間、知っておくべき暗黙の十字架」

当たり前だが、酒は気のおけない仲間と屈託なく飲むのが一番楽しい。
「飲み仲間」という造語はいつ誕生したのかはわからないが、この関係の繋がりはまさに「飲む」に限定されているようだ。相手の仕事や立場も一切関係ないし、年齢も関係ない。大切なのは三つ。時間感覚、金銭感覚、ノリである。
この三種の感覚が飲み仲間の絶対条件であると常々僕は考えている。
時間感覚は、飲食における満足時間と言い換えてもいい。朝の早い人、酒の弱い人、奥さんが恐ろしい人などの夜は早い。「よし、もう一軒!」という人にとっては、この上なく相性が悪いだろう。始まりから上がりの時間までお互い無理せず気持ちよく合う者同士で飲みたいものだ。
金銭感覚は、飲食にどれだけ支払えるのかが大きな鍵を握る。
しかも、一軒では終わらず、三軒ほどハシゴをした時の平均支払額によって、そのコミュニティのイニシアチブが決定する。富豪と貧乏人は飲食において不平等であり、この組み合わせは決して対等に交わることはない。
最後はノリである。一見すると特に絶望的な乖離がなさそうに感じるが、実のところ三つの中でこれが一番厄介だと僕は思うのである。

例えばこんな話がある。店に三年ほど通ってくれている50代の男性S氏は、そんなに頻繁には来店しない。ひと月に一度あるかないかという程度で、来店時には必ず「ご無沙汰しちゃってます」と言うのが口癖だ。彼は世界を股にかけて活躍するビジネスマンだ。業界では諸外国に絶大な影響力を持つと言われている。来店時にはいつもお連れの相手がいて、そのほとんどが僕のような人間でも聞いたことのある会社のトップや有名人だ。彼はそんな人たちからも誠実で義理堅い男として名が通っている。ある日、彼は初めて一人で来店した。聞くと待ち合わせでもないと言う。
事情を聞くと一言「少し人に疲れた」と呟いた。
僕はその日、一切の仕事話を封印した。趣味の話、女性観、世界観、死生観、宗教観、本や映画、最後の晩餐に至るまで、話すことはいくらでもあった。彼は上機嫌で酒を何杯もお変わりしたし、僕も一緒にいただきながら話は尽きることはなかった。気がつくと朝になっており閉店時間がやってきた。しばらく日本から離れるという彼は、へべれけになりながら何度も僕にハグをして、「久しぶりにいい酒が飲めた」とお礼を言ってくれた。
ひと月後も彼は一人でやってきた。先月の楽しい酒が忘れられないと彼は言った。嬉しかった。そして前回のように仕事話を一切せずに酒を交わした。
スケールの大きい彼の話はさすがだった。世界各国の女性の話や、まだ日本に輸入されていない未知の酒のことなど、ワクワクする話ばかりだった。
酒のチョイスや金払いも素晴らしく、気分に合わせてシングルモルトやダークラム、フランスのアブサンを見事に飲み分けた。大金持ち特有のいわゆる、「無駄使い飲み」もやらなかった。そして、どんなに楽しく盛り上がっていようとも閉店時間が近づいてくる頃には、こっそりと腕時計に目を落としスマートに会計をした。
時間感覚も金銭感覚も最高に好きなタイプだ。
僕の中の好感度はうなぎ登りで、まさにS氏は理想の大人の男と呼ぶにふさわしかった。
「マスター、今度プライベートで酒を付き合ってくれないか?」
ある時、切り出されたS氏からのお誘いに舞い上がりつつも戸惑った。
僕はプライベートでは、あまりお客と付き合わない。個人的には酒は静かにやりたいタイプだが、お客との場合、相手のノリに合わせることが多い。当然のことながら気を使ってしまう。しかも、気を使っていることがバレてしまうと、相手は面白くないものである。せっかく店の外で酒を飲んでいるのに、仕事を忘れないつまらない男としてレッテルを貼られる。更に、そのレッテルを恐れ、精一杯に羽目を外したとしても、相手の好みの羽目外しでなかった場合、もう二度と来店してくれないのではという懸念が付き纏う。
だがS氏は、そんなリスクを冒してでもご一緒したいお相手だった。
僕は心を決めて「はい、喜んでお供いたします」と言った。
するとS氏は和かに目を垂らし、こう続けた。
「マスターち○ぽは出せますか?」
ん?と一瞬、耳を疑ったが、思わず頭を何度か前に動かした。
「ち○ぽってどういう意味ですか?」
出来るだけ冷静に切り返してみた。
すると、S氏は言った。「いやね、僕は羽目を外すと必ずち○ぽを出す癖があってね。それを仲間と共有したいんだよ。ち○ぽが出せないなら、最初から誘ったりはしないんだ」
微妙だった。ノリが違う。
今、目の前のお客が腹を割って自身の恥ずかしい癖を吐露している。それを聞かされて、バーテンダーとして、いや一人の男としてどう切り返せばいいのだろう。
本心は、局部を出すのは構わなかったが、何やら得体の知れない世界に連れていかれるような気もして怖かった。
僕は恐れながらも冒険の選択をした。
「面白そうですね、ち○ぽでもア○ルでも構いませんよ。出しましょう」
S氏は満足した表情で店を後にしていった。
金銭感覚、時間感覚、そしてノリ。
このノリだけは、出たとこ勝負なのである。

あれから数ヶ月が経った今、S氏は日本にはいないようで、まだ実現はしていない。しかし、心のどこかで、彼と飲み交わし、羽目を外し、ち○ぽを出し合ったその日、S氏と僕の蜜月が終わるのだろうと、どこかで確信している。



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