小説「エクステリアの園」④
ハヤカワアキラは仕事終わりの夜の時間帯を、夜景を見下ろせる自分の部屋で過ごしていた。
ふと、スマホのけたたましい呼び出し音が鳴った。
画面を見ると「早川秋」と書かれている。
早川明は眉をひそめ、一体何の用だと訝る。
「もしもし」
「明?お父さんが大変なの。今日、庭で突然倒れて。近々様子を見に帰って来られない?」
早川明は早川勤、早川秋の息子だった。とはいえ、22歳で大学を卒業してから1人暮らしを始め、以来1度も実家には帰っていなかった。
「そうなのか。今週末には帰れると思う」
早川明は、今週末に休みを取って父の見舞いに行くことに決めた。
結局、予定の日も変わらず仕事が詰まっており、父の入院している病院に行く時間までに日が暮れてしまった。
「赤字病院まで頼むよ」
秘書の運転する車で病院へ向かっている最中、早川明は自身の家族について色々なことを思い出していた。
厳格で真面目な父親。何をするにもいつも手本を示されているようで、それがどこかもどかしくて、大学を卒業すると同時に家を出た思い出。
ふと手元を見ると、高級な青のスーツに身を包んだ自分の身体があった。
今、早川明は軌道に乗っているベンチャー企業の社長だった。
思えば、自分は昔から人と違う選択を取ることが多かった。
小学校のレクリエーションで、1人だけハンカチ落としに手を挙げたこと。高校の選択科目で倫理を選んだら、選択者が少なかったこと。
とにかく「普通じゃない」ことを選びがちなところがある。そう思って生きてきた。
ベンチャー企業の社長として成功している今でも、その思いは消えていない。どこまで行っても自分は普通ではない。
大衆に馴染めない。もっと言うと、多くの人と同じ感覚や気持ちを分かち合えない。
「早川様、着きました」
黒いスーツに身を包んだ秘書が、微笑みながらこちらを向いている。
「ありがとう」
礼を言って車を降りる。この秘書も、ほとんどの人と同じだ。自分のことを成功者として見ている。
早川明の目が小さく揺れた。自分の中にあるコンプレックスが、孤独というベールに包まれていく感じがした。
受付で部屋番号を聞くと、重い足取りで階段を登った。201と書かれた札の下に、手書きで早川勤と書かれている部屋に着いた。
「よう、親父」
父親は白い病院用のパジャマ姿で、これまた白いベットに横になっていた。
「明か」
「まったく…。なんでまたこんなことになった?」
「脳卒中らしい。参ったよ」
「まぁ…安静にしてろよな」
何を話すともなく、ベットの脇の丸椅子に腰掛ける。沈黙が気まずかった。
「…俺はもう、死ぬかもな」
父親の口から出た言葉に反応し、父親の顔を見る。わずかに口角を上げ、笑っている。
「…なんでだよ。なんとかなるんだろ?」
「…いや、どうもレアなケースらしくてな。いかんせん手術代がバカにならないらしい」
「いくら?てか、いいよ。俺が出すから」
もともとそうするつもりだった。理由は自分でもよく分からなかった。恐らく、親孝行というものだろう。
父親は少し目を見開き、こちらをじっと見た。そして、ふっと微笑んだ。
「お前は昔から変わった奴だよ。こういう親孝行の仕方も、初めてアイスを買ってやったときの食べ方もな」
瞬間、自分の眉毛がハの字になっていくのを感じた。なにか込み上げてくるものがあった。
「どうした?」
父親が身を起こし、こちらを伺うように見ている。俺は、今までこんなに身近なところに居る理解者に気づかなかったのだ。
暖かみを持った何かが頬を流れていった。俺は、時間の許す限り父親と語り合った。
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