ニーチェ曰く「歴史は学問ではない」、ならば趣味と呼ぶしかない
本題に入るまでにクッソ長くなってしまったので、目次を設ける。絶望的に暇を持て余している方以外は、本題だけ読まれることをお勧めする。
完全な蛇足・何故こうも長くなったのかの説明
執筆中に頻繁に編集画面を閉じては他のサイトやアプリを開く、ということをやっているので、自動保存機能がおかしくなって、数時間かけて書いていた記事の9割が消えてしまった。
多分スマホのブラウザで書いているとあるあるなんだろうな、と思うのでちゃんとパソコンのキーボードを叩くべきなのだろうが、どうにも手軽さを手放せない(スマホ中毒)。
先程消えたばかりだが、書いていた記事の復元は不可能である。
的確な例え話から主題に着地させる、というような帰納法は苦手で、クッソ適当な自分語りから唐突に「なのにこの社会は!」と飛躍する、構文力皆無の出たとこ任せ乱文しか書けない。
なので、「こういうこと書いてたよな」と極力忠実に再現していても、それを読みながら途中で「あ、これならこれも書こ」と、元記事とは全然関係ない話に飛ぶのが目に見えている。
元の文章を一字一句暗記しているわけでもないので、論旨は同じでも微妙に語彙やニュアンスが異なっていく、というのも気にかかる。こういうのクッソ気になる。
結局、頑張って最初から全く新しい話を出たとこ任せで捻り出すことにした。どうせいつもの自分語りだし。
端書きという蛇足・何を書くかの説明
例によって、根暗に嫌いなものの話を書いていたので(要は根本的に自分以外嫌いなのだ)、今度は頑張って好きなものの話をしよう。
その前に余談じみたお断り、元々ゲーム日記のつもりで始めたこのブログ、それは断念したが(そんなに面白いゲームじゃなかったし)、自身の主観メモとしての方向性も思ったより疲れる。
何らかのヒラメキであったり、ある概念に対する自分なりの言い回しができた時に書き留める癖は元々あって、それに有象無象の枝葉を広げて記事にするというスタイルで始めたが、その枝葉を制御するのが割りと面倒。
やはり構文力の欠如を痛感している。
枝葉をつける前にTwitterに投下して満足することもあるし、これだけでは長続きしないな、という雰囲気を薄々感じている。元来、筋金入りの三日坊主でもある。
そんなわけで、もう一つ二つ、記事を書くテーマを増やしていこうかなと思っている。完全な方針転換ではなく、文体やスタンスなんかは変わらない、客観的にはどうでもいい自分語りだけど。
要は、趣味の話である。
僕自身を主体として、主観を構成するエレメントとしての趣味を語るのではなく、ちゃんと「その趣味の世界」を主体において書きたい。
主観は客観の解釈から生まれる。「その趣味の世界」という客観を、「僕はこう解釈しています」という自分語りである。
よって、厳密な専門用語の扱いや学術的事実とは齟齬が多くなる。客観を客観的に説明/紹介するものではないことに注意されたい。
ここから本題
履歴書の趣味欄に書く内容は、「読書、ゲーム、映画鑑賞」である。これは生まれてこの方変わっていない。
「要はどこにでもいるインドアオタクだと印象してもらって差し支えないですよ」というのは自覚している。
僕に関係することの中では極めて珍しい、主観と客観が一致している事柄である。
しかし、履歴書や自己紹介に書いたことはないが、もう一つ、アウトドア寄りの趣味と言えないこともないものが、あるにはある(何とまだるっこしい)。
漠然と好きなだけで、趣味だと胸を張れるほど突きつめていないし、極める気もないので余り公言していないのだが、少し前から「言うてもこれは趣味と呼ぶしかないわなあ」という気になっているもの。
史跡・遺跡巡りである。古い町並みなどの、歴史的文化スポットも含める。
趣味として言うなら、歴史文化観光としてもいい。
生まれ育った家庭環境の影響が大分あるのだが、日本史が好物である。しかし、大好物ではない。大好物なのはあくまでも歴史を物語り、今に伝えている主体である史跡や文化財の方である。
他の多くの歴史愛好家もそうだと思うが、「歴史が好き」という感情の本質を的確に表現することは難しい。
先人達が紡いできたそのストーリーが好きなのか、史学が扱う膨大な叙事的知識/雑学的教養を自己の中に蓄積することに、知的向上心の充足を覚えるのか。
いずれも僕に適合することではあるが、本質とはなり得ない。僕にとっての歴史の本質は、先述したように「史跡や文化財に付随し、あるいは補足する叙事的な事柄」でしかない。
主体性の逆転とでも言おうか、任意の歴史を知るためにその歴史が遺した史跡を訪れるのではなく、偶発的に訪れた史跡を理解するためのバックボーンとなる教養として、歴史を学ぶのである。
有り体に言えば、ツアー旅行の文化観光の延長である。フランス革命を知るためにパリの凱旋門を訪れる一般人はほぼ居ない、パリ観光の一環で寄った凱旋門で、ガイドからフランス革命について説明を受けるのである。
僕の史跡巡りはガイドのいない個人的な趣味なので、自分で調べていくうちに自然と歴史が好きになったというわけだ。
もう一つ国内で例えると、姫路城という日本を代表する城/史跡があるが、この姫路城全体を理解するには、その一環として当然この城に纏わる歴史に触れなければならない。
戦国時代初期に赤松氏の一族が築城し、代々赤松家臣が守っていただけの名もなき小城の歴史が、突如日本史体系の本流に組み込まれるまでに飛躍し、今ある巨城へと変貌する契機ともなったのは、織田信長による播州征伐/羽柴秀吉による三木合戦という、日本史本流における事象である。
つまり姫路城を知るには、播州征伐とは何か/三木合戦とは何か、そも織田政権とはどういうものか……といった本流の史学的教養がバックボーンとして不可欠なのである。
そしてそれを更に、そも織田政権が生まれた戦国時代とは何か、戦国大名とは何か、その領地や家臣統治の実態は……と掘り下げれば、日本史本流ではない本来の姫路城の歴史、播磨国の一小城の成り立ちにも回帰しているのである。
ここで初めて、姫路城の歴史を包括的に理解しうる、と言える。
以上縷々述べたのは、「歴史が好きだから/歴史の証拠だから」史跡が好き、なのではなく、「史跡が好きだから/史跡に付随する概念だから」歴史が好き、という確認である。しつこいが。
つまり、「ではなぜ史跡が好きなのか」は、カケラも書いていない。
上記したように家庭環境から(要は親の仕事から)、基礎教育的素養として刷り込まれていたというのは大きい。
しかし、長じてからはツアー旅行の一環の感覚、気晴らしのドライブのついでに何か変な所に寄るうちに病みつきになってドライブの目的化した、という動機の実態があると思う。
ちなみにそれまではドライブ自体も趣味と言えていたのかもしれないが、今では車は史跡や文化財を巡るための足でしかなく、無目的に転がして運転を楽しむ、というのはなくなった。
僕の琴線に触れる何か変な「所」、歴史的/文化的な「所」というのが重要なので、同じ史料や文化財であっても土器や石器等の遺物、仏像を始めとする歴史的工芸品/美術品等の「物品」には驚くほど興味が無い。
僕が趣味の対象として巡っている「文化財」とは、寺社仏閣や城郭建造物、古い町並み等の「建造物」のことだと理解してもらって差し支えない。
これも、僕が「歴史ではなく史跡の方が好き」である証拠の一つである。
人間は、形あるものがどれだけ壊れやすいかを知っている。また、自らがどれだけ新しいモノ好きであるのかも知っている。
だからこそ、例えごく一部であろうと壊れずに遺ったものや、奇跡的にほぼ全体が壊れずに永い時間を経た古いものに畏敬を感じ、価値を覚える。
「それ」が何の施設であったのか、この石組は何なのか、この土盛りは……その成り立ちの歴史を、本質を知る術などなくとも、ただ「古い」というだけで保存し、さらに未来の時間まで、その価値を含めて残そうとする。
史跡や文化財は、ただ在るだけで機械的に歴史を伝えるものではない。それが本来の機能を失った後もそれを保存し、一見ただの土くれや石組でしかないそれを「史跡」や「文化財」たらしめた人々の確固たる意思によって残された価値観、その中に含まれる歴史を読み取ることが、「歴史を伝える/歴史が伝わる」ということなのである。
どうしようもなく長くなったので、具体的な巡り方とか巡るモノの嗜好とか個別に巡ったモノとかについては、次回以降に分けよう。
ただ、「この日はこの神社に行ってきました〜、この神社は社伝によれば〜」のような、個人的観光記録ブログみたいなのにする気はない。
あくまでこの「史跡・文化財巡り」という趣味を僕がどう考えているか、という範疇で書いていこうと思っている。
フォローとサポートの違い理解してなくて、調べてみてビビる