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空と海だけ見えた夏(最終話)~四国お遍路ひとり旅~

早朝にホテルを出た私は、既に猛暑の1日を感じながらも、朝一特有の清々しい空気が流れる87番札所の長尾寺の境内に入りました。ゴールが見えてくると、途中、本堂と大師堂に1本のろうそく、3本の線香を立てて般若心経をそれぞれで唱えることに、どこか「こなしていく」感がありましたが、初心に戻ってひとつひとつに、何とも言い難い想いがあふれてくるのがわかりました。

参拝を終え、最後の札所へ向かおうとすると、散歩に来たような近所の方がベンチに座っていました。

「次は88番ですか?」
「はい、そうです」
「この先の長い山道はね、昔はみんな歩いてまわっていたでしょう。だから、命を落とす人がたくさんいたんですよ。そのくらい、お遍路は命がけのものだったんだよ。さっき、お線香を3本立てたでしょ?どんな意味か知ってる?」

………。

知らない。

最後の札所を前に、私は87箇所、一箇所で6本。つまり、522本の線香を立ててきたのにも関わらず、その意味を知らなかったんです。

「3本の線香は、過去、現在、未来を意味するんですよ。あと、88番札所を参ったら終わりじゃない。最初の1番札所に無事に終わったお礼参りに行くんだよ。その後、高野山に行けるならそこまで行った方がいい」

88番札所の後に高野山に行くつもりでいた私は、偶然知ることができた新情報にびっくりしました。この方に会わなかったら…本当に有難いと思いました。線香には諸説あるみたいですが、とにかく「ありがとうございます、そうします」と私は頭を下げました。

88番札所。大窪寺。
納経には「結願」とありました。
2023年、空海生誕1250年記念の年でした。

そして、もう一度徳島に戻り2週間前に訪れた1番札所へお礼参りをしました。お礼参りの納経は88番札所の後ろ、最後のページにありました。

「これには意味があるんだけど、話すと長くなるから…いいかな」

聞くこともできたのですが、なんとなく…そのお話はこの旅では聴けなかったんだなと私は思いながら、最後の聖地、高野山奥之院を目指しました。

奥之院は、空海が入定された聖地。一の橋から御廟までの約2㎞の道のりには、20万を超える大名の供養塔などが並んでいます。徳川家や豊臣家、上杉謙信、武田信玄、織田信長、石田光成といった武将だけでなく、浄土宗開祖・法然や浄土真宗開祖・親鸞まで。敵味方のない異宗派も受け入れる真言密教の思想があらわれています。御廟へ向かう参道の最後の橋が御廟橋。御廟橋を渡ると聖域に入ります。橋の前で身を正し、礼拝してから渡るのが参拝の作法。この先は撮影も禁止とされています。

弘法大師、空海。
御廟では、空海が今なお生きていて、世界平和と人々の幸せ、才能を活かし努めることを願い瞑想を続けていると信じられています。1日2回食事を届ける、1200年続けられている儀式です。お遍路最後の般若心経を唱えた私は、最後の納経を頂きに御供所へ。

奥之院はもはや観光地として人気が高く、特に生誕1250年記念だったせいか、海外の方、観光で来た若者、お遍路さんなどいろんな方々で賑わっていました。渡した200ページ近い納経帳をパラパラと最後まで目を通し、金剛杖を手にしている私を見ると、その方が一言だけ呟きました。

「満行ですね。おめでとうございます」

私はこの言葉を聴いた瞬間、一気に心と体が軽くなるのが分かりました。そして、自然と笑みがこぼれました。

「ありがとうございます」

奥之院の納経は、一番最初のページ、1番札所の前にありました。

偶然はじまった、四国お遍路ひとり旅。
四国をグルっと一周し、「結願」「満行」という言葉に出会えた旅。ここには書ききれない出会いやエピソードもたくさんあります。

いつだって、未来はずっと分からなかった。ずっとそうだったんだとあの時思い出しました。3年前も5年前も10年前も20年前も。
でも、未来には、その時思い描いてないような素晴らしい人や出来事が待っていたんです。

誰しも今日が最も若い。
そう言いながら朝起きると、毎日一番若い日が
続いて年をとらない気がしてきます笑。
だからこそ、空海は「空と海だけが見えた、それだけ」と教えて下さっているように思います。今、目の前にいる人、起きていること、そこに命を使うだけ。大切にするだけ。親切にするだけ。楽しむだけ。今、目の前。それだけ。どこの誰かもわからない、一度きりのご縁かもしれない私に仏心を下さった人たちのように。

2024年。過去でもなく未来でもなく現在。どんなこともスタイルは自由。誰かの前に自分。自分を労ること、優しさを忘れないこと、希望を持つことが大事なんだと。四国一周に広がり続けた空と海が、ずっと微笑んで包み込んでくれていたように改めて思います。

ああ、四国まで行かなければ、私は気づけなかったんです。お遍路という旅を通さなければ気づけなかったんです。当たり前にある「空」や「海」の有り難さを。それは、日常にある当たり前のいろんなこと。

生きている今を生きていくだけなんだと思いました。

生きているのだから。
今。
生きているのだから。
目の前が、今の全て。
目の前に全て、あるのだから。

2024年3月25日、春。

読んで頂き、誠にありがとうございました🙇‍♀️未来の地球を生きる方々に活かしていきたいと思います。時々、アイスカフェラテ代に使わせて頂きます。初めてサポートして下さった方が、そうおっしゃったので🤭🎶