8時間労働で褒められる世界
働き改革とかよくわからないが、今僕が感じるのはなぜか8時間働いたら頑張ってて偉いとなる風習。
これはいったいなんなのだろうか。
頑張る=8時間働くこと
もっと言うと
頑張る=8時間出社することになっている。
朝6時〜7時に起きて
満員電車に揺られて9時に出勤する。
17時に退勤して
満員電車に揺られて帰る。
これをやっている人は皆平等に偉い!凄い!頑張ってる!
となる風習が疑問でしかない。
あなたはどう思うだろうか。
頑張っているという評価そのものは正しいと思う。
頑張っていない人なんていない。
評価されることはいい。
問題だと思うのは、これをやっていない人は悪だ!!みたいな常識である。
あまりにも想像力が低すぎて失望してしまう。
そんなことが日常的に多すぎて記事にさせてもらった。
働くとはなんなのか。
仕事とはなんなのか。
お金を稼ぐとは??
9時〜17時まで会社にいるだけでお金をもらえてしまう。
これを仕事というんだろうか。と僕はそーゆう人に問いかけたい。
何もやる事がないのに、大事な1時間を会社にいようとする人間が大量にいる。
その1時間で多くお金をもらおうとするわけだ。
長く会社にいた人が偉く、そうではない人は頑張っていない。
バカにも程がある。
1時間で終わる作業に6時間かけて、仕事しましたみたいな奴が評価されて
1時間で終わる作業を30分で終わらせた人が評価されず損をする社会。
もらうお金も得られる評価も後者の人が少なく残酷である。
この謎の評価軸はいつまで続くのだろうか。
誰もこの謎謎に挑もうとしない。
奴隷のように飼い慣らされていく。
もっと幅広く評価できる人間が増えてほしい。
こんなにも周りの声が気になる人が多い国なのに、評価する人までバカだったらもう頑張る人がいなくなってしまうんじゃないか。
声を気にしない人しか頑張る事ができない国になってしまう。
いや、もうすでにそうなのかもしれないな。
僕が、こんなこと言えるのも、そうやってきたからで声を気にしていたら頑張れずにいたもんな。
これじゃ僕のような人間しか得しなくなる世界になるよ。
これを変えるには、一人一人が意識的に声を気にせずに頑張れるようになるか、人の評価基準を変えるしかないと思う。
後者なら誰でもすぐに変えられると思わないか。
声を気にせずに頑張ることは楽じゃないし、続けるのは困難なことではある。
でも、人の見方は今すぐにでも変えられる。
そうした時に
お金よりも時間を大切にする人が増えるんじゃないだろうか。
生活のためよりも人生のため自分ために生きる人が増えるんじゃないか?
大多数側が1つ何かを変えることで、それは大きな力になるんじゃないかと思う。
無駄に労働するのもうやめましょうよ。
それをせずに
好きな事がない
やりたい事が見つからない
なんて当たり前じゃないですか。
探せるわけないです。
見つけられるわけないですよ。
そーゆう人間を暇人扱いしちゃってますから。
僕らはいつか必ず死にます。
死ぬ時に、必ず後悔が出てくるはずです。
その後悔の中に
もっと働いておけばよかった。
なんて後悔は人はしないんですよ。
家族にもっと会えばよかった。
奥さんとの時間を大事にすればよかった。
友達ともっと遊べばよかった。
もっと好きなことをやればよかった。
死ぬ時に多くの後悔はこれです。
もっと生産的に生きないと。
あなたが正しく評価されることを願ってます。
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