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やる気スイッチの入れ方

某塾のCMでしたっけ、やる気スイッチという言葉が広まったのは。今でもついつい使ってしまうほど、秀逸なフレーズです。実際、やる気スイッチの押しかたは、誰もが知りたい永遠のテーマかもしれません。夏休みの宿題を、どうしたら7月に終えられるか。嫌な仕事を進められるか。プライベートなシチュエーションでも、やる気スイッチを押したい瞬間は多いでしょう。ということで、今回はやる気スイッチの入れかたを考察してみました。

まず、経験的にやる気スイッチを入れる最も効果的な方法は、「とりあえずやってみる」ことだと思います。やりたくないと思っていたこと、めんどくさいなと思ってることでも、一度やり始めることで、意外とスイスイ進むものです。どうやら脳科学的にも研究が進んでいるようで、一度作業を始めると、やる気が湧いてくることを「作業興奮」と言い、脳の中の側坐核という部位がそれを司っているそうです。

とはいえ、その「やり始める」のが難しいんだというのが正直なところ。側坐核を好きなように刺激できたら苦労しないのですが、じゃあどうしたら「やり始められるか」を考えてみると、やはり基本的には「飴と鞭」でしょうか。如何に自分にご褒美を与え、そして罰を与えるか。

これをやり切ったら、大好きなケーキを食べるんだ、なんかが典型ですね。言い方が違いますが、これをやり切るまでは〇〇しない!みたいなのも近い発想でしょうか。一方罰については、これをやらなかったらお金を失うとか、絶食するとか、そういう設定を自分に課すのはなかなか難しいものです。

僕が罰の派生だと思っているのが、「やることを宣言する」というもの。このタスクをいつまでにやります!と、とりあえず宣言するのです。仕事の場合は、それに合わせて上司のチェックやレビューの場を設定してしまう、という行為もセットかもしれません。宣言すること自体が、自分自身に責任感を持たせ、「やらなかった場合、自分への信頼が下がるのでは」という恐怖や罰を生み出すので、これは「鞭」の派生でしょう。

一方で「誰かと一緒にやってみる」という飴と鞭の合いの子のような派生もあります。これは、誰かと一緒にやることで「やなことやってるのは自分だけではないのだ」という安心、もしくは、「この人もやってるんだから、やらなきゃ」という連帯感が生まれます。
また、「あるタスクを行う」という作業が「誰かと何かをする」という別の意味を帯びることで、捉え方が変わる効果があるのかもしれません。ごはんを一人で食べるときと、誰かと食べるときでは、ごはんを食べることの意味が「誰かと同じ時間を過ごす」ことにシフトするのと同じ感じです。

他にも、現実多くの人が取る手段として、「時間を置いてみる」がありそうです。時間を置いてみることの意味はいくつかありそうですが、一つは時間を置くことで、そのやるべきことの納期や期限までの時間が短くなり、相対的に危機感(罰の意識)が高まり、行動に移るというものでしょうか。もしくは、そのやるべき事に向き合うタイミングを変えることに意味があるのかもしれません。タイミングを変えると、その時その時点での、もっと全体的に自分の肉体的、精神的コンディションが違ってくるのでしょう。

つまり、どういう流れで、物事に取り組むのかも重要ということかもしれません。
大好きなことをした後にする、もっと嫌いなことをした後にする、リラックスしたあとにする…時と場合ですが、それぞれいろんな影響がありそうです。

…取り留めもないですが、こんなところで。さらなるスイッチの入れ方、皆さんのおすすめがあれば教えてください。

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