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エッセイ266. 我が家に勝るところなしという話

義母の形見としてもらってきた中に、この写真のものがあります。
5センチ×12センチぐらいの 軽い陶器のオーナメントで、
いつも台所に掛けてありましたので、
ここにあるのを見るとなんだか不思議な気分になります。

Be it ever so humble  の意味は、いつもよくわからなくて、
訊ける間に訊いておけばよかったとちょっと後悔していました。

今、夫に聞いてみたら、
「どんなにささやかなものであっても」
というような意味だそうです。
家だから、「狭いながらも」のような意訳がいいのかな。

で、この意味は

「立派でなくても・狭くても我が家に勝る場所はない」

ぐらいでしょうか。


ニュージーランド・オークランド市に生きて死んだ義父母には、
長く住んだ家が2軒あります。
新婚で建てた、「イーストコーストロード120」という家と、
年をとって手入れが大変になったので、この家を手放し、
ちょうどいい広さの家に引っ越した、「シェイクスピアロードの家」です。
どちらもよく手紙を送りましたので、今でもフルで暗記しています。

義母は、シェイクスピアロードの家で夫を見送り、
オークランド市内の老人施設に転居しましたが、
その6年後に目が見えなくなり、
直近2年ほどは個室からグループリビング棟に移り、
最後の最後は娘の家で1週間を過ごしました。

個室には、身内は3ヶ月までは泊まっていいという決まりがあり、
随分何回も帰省して、3週間ほどを過ごしました。
最近は、一緒に行けなかったけれども、
娘たちが一人で、また一緒に、訪ねて滞在していました。
これも、数年ですが、義母の思い出の詰まった住まいとなりました。

イーストコーストロードは、私が初めてNZに行き、義父母に会った家です。
結婚式の前の日に花嫁に会うのは縁起が悪いということで、
前日に、ブライズメイド(花嫁の付き添い)と、
一人だけ日本から来てくれた姉と3人で、
その家から少し離れたモテルに一泊しました。
私の両親は式に来ませんでしたので、シングルで出て行って、
人妻〜で戻って来たのは、この家ということになります。

結婚式から帰ってきて、二次会もそこで、
私も「涙の乗車券」をカラオケで熱唱しましたっけ。
度胸あるな自分。
その後、生まれたばかりの赤ん坊の長女、
続いて次女を連れての帰省も、ずっとそこでした。

次に引っ越したシェイクスピアロードの家は、ミルフォードの賑やかなところにあり、目の前の公園で子供たちを遊ばせたり、池の白鳥に餌をやったり、凧揚げをしたりもしました。次女がそこから、歩いてすぐの保育園に通ったりもしたのでした。
おっかなびっくり、一人で二人の娘を連れて長期滞在したのも、
この家でのことです。
40日間ぐらい滞在を、3回やりました。

その家に滞在していた時代の後期、どういうわけか、
帰りの飛行機の便がえらい早い時間で、
空港まで送ってもらうのも申し訳なく、
シャトルバスを予約して、迎えに来てもらっていました。

ある年のことですが、出発時間が早過ぎましたので、前の晩に
「明日は起こさないで出て行くから、これで今回はさよならね」
と言って、みんなでハグをしあってしっかりお別れをしました。
けれど、義父母は朝には起きてきて、
二人はナイトガウンのまま、みんなでコーヒーを飲んだのです。

この頃から私は、
(義父母も結構歳だし、まさかと思うけど、これが最後だったりするかも・・)
と思うようになっていました。

コーヒーを飲み終えたころ、とうとうシャトルバスが来ました。
すでに途中で乗り込んだ他のお客さんもいますから、
長々とお別れをしているわけにはいきません。
荷物が積み込まれてから、慌ただしくお別れを言いました。
子供たちは小さいので、何もわからずにはしゃいでいます。
バスはすぐに発車し、首を伸ばして見ているうちに、
二人が、家の前のランプの下に寄り添って立っているのが、
視野から、どんどん遠ざかっていきます。

そのランプは、ナルニア国物語の絵本に出てくる、
あのランプとそっくりでした。


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ドライブウェイから道に出てバスが右折するとき、
義父が手を上げて振っているのが本当に小さく見えました。
忘れられない私の人生の一駒です。
義父のナイトガウンはワインレッドでした。


日本に住んでいる私たちは、実は将来NZに移住する考えもあり、
住まいはいつも賃貸でした。
ところが、あまり知られていませんが、
NZは30年近くもひどい住宅インフレが続いていて、
もう少ししたら探し始めようと、毎年思っていても、
どんどん価格はあがるばかりでした。
今でも、「ニュージーランド人がニュージーランドに家を買えない」
と嘆かれています。
若者たちのルームシェアの伝統も、風前の灯火だそうです。
賃貸でさえ、びっくりするほど高いですので。

今年、3年ぶりに帰省したら、今までほとんど見なかった、斜面に、高速沿いに、同じ作りの新築の戸建やタウンハウスが並んでいる場所が目につきました。
海外の投資家がまとめてそのエリアの土地を買い占め、
そういうふうな家を建て始めているということです。
このごろやっと少し価格が下がり始めているということですが、
コロナによる大量の帰国者がいますので、
私たちに手の届く家は出てきそうもありません。

転勤による名古屋暮らしがいつか終わるとき、東京は、オークランドは、私たちが住む家を買ったりできる場所になっているでしょうか。
老後はどっちの国になるのか。
そう遠い将来ではありませんので、先が不透明なのはかなり不安があります。

でも、家は、「住む箱」ではなくて、
家族みんなが元気にご飯を食べ、遊び、話し、眠り、
喧嘩し、泣いて笑って仲直りもした、家族の物語のある場所だと思っています。

そう思うと私には、義父母の家を含め、転々としたアパートや借家の全部が、
我が家になって行くのでしょうね。



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