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希望GIVERに保留はなるのだ2/230606

前編


38歳から社会人になり、世間の厳しさを沢山感じた。
経歴が無いことでの屈辱も、取り返せない苛立ちも沢山。

2年前まで人生を全て諦めて生活保護にまでなり、死ぬしか選択肢がなかったと思っていた。
まともな仕事もしたことがなく、社会も知らなければ、社会から見た自分の客観的な位置付けもわからず、ただただ理想と現実の圧倒的な差に立ち尽くす気分になっていた。

なんでこんな奴に従わないといけないのか、
尊敬できる人もいない、したい人もいない、
最低なことをいつも考えていた。

だけど、それも含めて全てが私の選択の結果で、実力だ。

そう認めるのは悔しかった。
だけどそんな屈辱的なことを認められる私なら、才能やスキルが足らなくても自分を信じる気持ちだけは強く深くできる気がした。

自分だけでも自分を信じよう。
本当の自分なんてどうでもいいから、無条件に自分だけは自分を信じてあげよう。

だってあの日々を生き抜いたんだから、と。

全ての背景を置いておいて、38歳から社会人になった私が、挫折や悔しさ、屈辱を経て誰もが知っている会社に派遣だけど入れた。
続くかどうかは置いておいて、入れた。
他にも正社員含めいくつもの選考が進んでいる。

社会的に認められた、という意味としては大きい。

社会での自分の立ち位置と、自分の思う自分の立ち位置がかなり狭まった感覚がある。
打てば響き、手応えも感じ、それは偶然や棚ぼたではないと思えている。

これは未だ光の見えない方々に少しは希望を感じられる結果ではなかろうかと思ったのだ。

38歳まで正社員経験もなく、
あるとすれば大学時代の週に一度のバイトのみ。
歳を重ねるほどに社会から置き去りとなり、
社会から「無い存在」となり、
果ては生活保護となり人生で最大の屈辱を味合わされた。

そんな自分でも、完璧にクローズでここまで来れた。
誰も挑戦したことが無いのなら、私がやろう。

「いつでもやり直せる」ということを体現し、人生をコンテンツとして表現していこう。

私が夢を叶えたら、それがまた誰かの夢となる。

希望を与えたい。
いや、そんな偉そうな話ではない。
誰でも希望は持っているのだ。
ただ、その具体的な感覚を感じられないだけ。
それを見つけるお手伝いをしたい。
だから心理学の資格もとった。

人生は捨てたもんじゃないよって、私が体現していきたいと最近ずっと思っていた。
それが私ができる恩返しで、命題なのだと本気で思っている。

大した存在でもない。
まだまだ病気も治らないし、おそらくこれは普通になることはない。
仕事も続くかわからない。

だけどその中でもやれることはあるということを示したいのだ。
人は皆、配られたカードで戦わざるを得ない。

身体のハンデ、
精神的なハンデ、
知能のハンデ、
社会生活のハンデ、
能力のハンデ、
家族のハンデ、
経済的なハンデ、

誰もがいずれかを抱えている。
そのカードの中でどうやって戦うか。
満たされるように工夫するか。

努力が必要なのはもちろん、療養中より社会は理解が無い。
だけどその中で生きていかねばならない。

私はどんな手を使ってでも理想を現実にする。

だってやっぱり、究極の理想主義者であり、究極の現実主義者だから。




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