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千葉県一周しながら憮然とする保留/230527



昨日まで文字通り、千葉県を一周した。

旅程はまた書くとして、千葉県を一周するという私にとっては関野先生(関野吉晴)ばりのグレイトジャーニーなのに、なぜか「保留の憮然とする良い絵(写真)を撮ること」がテーマになってしまった。

しかも私に至っては撮影場所の地名も全くわからない。

ことの始まりは前乗りして別のホテルから再集合した昨日の朝から始まる。
元々は釣りガチ勢の友達の旅に便乗しただけなので、私は「海で写真撮って〜、絵描いて〜、海で寝て〜」と一人で勝手に浪漫を抱いていた。

しかし朝時点のこの思惑は全くの間違いと後にわかることになる。
釣りはハードだとは全く知らなかった。

今回連れて行ってくれた友達は再集合の時点で下半身が海水漬けになっており、あろうことか私は前夜に親友と電話で夜更かししすぎて2時間しか寝ていなかった。

それもこれも「まぁ基本待機だろうから寝てりゃいいや」という甘い算段のせいだ。
朝の4時から活動している友達と睡眠時間2時間の寝起き風呂上がり(しかし展望風呂)のすっぴんの私ではだいぶテンションが違った。

別に恋人の前でもなし、眉間のでっけぇニキビだって気にしない。
すっぴんでも気にしない。
元々すっぴんのハードルはとても低いし。

そもそも突然決まった旅で、しかも千葉を一周するとは聞いていなかった。
泊まったのは館山、そこから釣りをしてUターン的なものだと思い込んでいたのだ。

40歳で睡眠2時間はきつい。
しかも最近、太陽の光にとても弱く、作る必要もないけれど、全くKAWIIが作れない。

とりあえず海に来たし、写真をお願いしたら2人とも仕上がりを見て吹き出した。

「いや、あまりにも憮然としてない?
 海、来たんだよね?
 海、好きだよね?」

気候の良い5月の海はとても綺麗で太陽も注いでいる。
空は突き抜けるように広く、自分のちっぽけさを教えてくれる。
それはまさに陽そのもので、なのに被写体が完全なる陰。
煮ても焼いても陰。

美大卒の我々はそのコントラストに取り憑かれてしまったらしい。
というか友達の方が乗ってしまった。

元々、創作の相談をするのはその友達で、ふつーに傷つくことも言われるのだけど説得力があるので聞かざるを得ない。
私が最近始めた「生々しいインスタ」の方も「そこまで誰も見てねーよ」と反論したくなることを言って、でも「合ってんだよな」と思わざるを得なくもある。

しかも私は釣りを誤解していた。

一ヶ所でやるのだと思い込んでいたのだ。
その時にやっと「え、移動すんの?」と言葉にしたら

「言ってなかったっけ?
 今日は千葉一周コース」

あ、決まってんのね。
移動しながらやたら「あ、鳥ちゃんが」「あー鳥ちゃーん!」と言うので最初は無視していた。
私は昨夜撮った写真の編集で忙しかったのだ。
あと車内の選曲と。
DJ保留。

あんまり「鳥ちゃん」がうるさいので聞くと、「鳥がつついてる場所(海)に獲物がいる」らしく「はよ言えよ」となった。

どうして男は結論しか言えないんだ。
たった今、なんなら昨日、いやそれより前からその愚痴を聞いていただろうきみは。

友達の獲物は、実は忘れた。
イカとかなんとか言ってたけど、その獲物を探すためにまず鳥ちゃん、その鳥ちゃんを探す旅に出たのだ。

そして我々は結局、何も釣らなかった。
ついでに釣りガチ勢の友達も昨日は一度しか竿を握っていなかった。

そう、我々は途中から半分以上「保留の憮然ツラのロケハン」になっていたのだ。
「もう釣りよりもロケーションが気になる」と言い始めた。

一応スポットを探して、その度に降りて沖を眺めて探してはいた。
私はそこらへんに座ったり(地面)写真を撮っていて、正直友達が何をしていたのかはよく知らない。

車で走る→鳥ちゃんがいるところで停まる→降りる→探す→車に乗る

このエンドレス。
しかし私は孤高の一人っ子なので退屈が存在しない。
協調性の無さはこういう時に便利らしく、相手がやりたいことをやっていたら自分もやりたいことをやればいいと思っている。

なので旅で大切にしているのは(ほぼ行ったことないけど当てもない外泊とか)「暇つぶしの準備」なのだ。
あと大体カメラがあれば事足りるので、よく探される。

最初の海の時点から釣り場所を探しながらロケハンもしていた。
くどいようだけど私の睡眠時間は2時間。
良い気候、良い日差し。

眠いのだ。

日頃から親友にも「いっつもなんもやる気ねぇ眠てぇ顔しやがって」と言われるほど「デフォルトで眠てぇ顔」な私らしく、おそらく昨日は通常の×10倍は眠てぇツラだったのだろう。

場所を重ねると車を降りると友達は走り

「ここ!ここね、ここ立って、早く」

なんの使命感?

「顔作るな、いつもの顔しろ」

いつもの顔=眠てぇツラ=憮然ということは、いつも憮然としている、ということになる。

「待って、これ面白いけどさ、つまり私っていっつも憮然としてるってこと?
 クソつまんねー顔してるってこと?
 今私楽しいんだよ?嬉しいんだよ?幸せなんだよ?」

友達は爆笑していたがこれは由々しき問題だ。
楽しいも嬉しいも幸せも、伝わってないのだとわかったから。

しかも写真が上手い。

「写真…笑 
 うまいね…笑」

「写真てのはいいよな、描かなくていいから」

いろいろと敵に回す発言だけど、所詮我々はそんなもんだ。
それと、雑談の冗談みたいな話なのに意図が完全に伝わっている。
この感覚は本当に嬉しい。

移動の車内でその話をしていた。
結論「18歳やそこらでプライドばきばきに折られるのが大切」という、美大の成績発表の「講評」の大切さということになった。
(講評:みんなの前で自分の作品の良いところ悪いところを言われる)

繊細な人が真剣に取り組めば取り組むほど講評での傷はでかい。
プライドなんて吹き飛ばされるので我々は精神的にふてぶてしくならざるを得ない。

別の美大の友達でもこうなのだから、おそらくどこでもそうなんだろうという結論になった。

写真の撮り方は性格が出る。

確かに友達の写真は本当に上手いし、このめんどくさい私も「撮り直しして」を言うことがなかった。

なのに友達は一枚しか撮らない。

私は心配性でもあるのでそういうシチュエーションとなるととにかく枚数を撮る。
その中から選べば良いと思っているのだ。
選択肢がいつも必要なのだ。
あればあるほど良い。

それを指摘すると「そんなの必要ない」みたいなことを言っていた。
正直、何を言っていたかの詳細はあんまり覚えていない。
ただ、友達が一途なことは知っている。
それ以上は言いたくない。

道の駅にも寄った。
どこの道の駅かはよくわからないけど、そこで両親にお土産を買っていると、横から「彼氏にも買ってやれよ」とボソッと言われた。
「わかってるよ」と言って、素知らぬ顔をして買いに戻った。
煮ても焼いても私はそういう奴だ。

とりあえず作品?は作れた。

「1000枚は必要だよそれだと。
 都心の方は親友に頼め。
 下手でも画角とか配置教えたらそれなりにはなるから」

大掛かりじゃないか。
でも面白そうだ。

結局、釣りはしなかった。
友達も30分も竿を持っていない。
後部座席が全て埋まった釣り用品に小さくなっていたのに、釣らなかった。

釣れよ。

憮然シリーズはとりあえず9枚。
あと991枚必要だけど、こちらにて公開しております。

instagram→ @zangyo66

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