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メサイア:悲しみの人で、病を知っていた


ヘンデルのメサイア

クリスマスが近づくと、ヘンデルのメサイアが演奏される機会が増えてきます。

「ハレルヤコーラスの曲」として知っている人も多いかもしれません。

メサイアとはヘブル語「メシア」を英語読みしたもので、救世主を意味します。(ギリシャ語に訳すと「キリスト」)

それぞれ幾つもの曲からなる三つの部分(降誕、受難と復活、救いと永遠の命)から構成されており、聖書から取られた歌詞によって、それぞれの曲が歌い上げられていきます。

第2部より、「彼は侮られて人に捨てられ」

昨日は、そんなメサイアの第2部から「彼は侮られて人に捨てられ」という曲を聞きながら、病気や事故で入院している2人の友人のことを考えていました。

歌詞の前半は、この聖句が繰り返されます。

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。
(イザヤ53:3)

「悲しみ」と訳された言葉は、肉体的または精神的な痛みのことです。

「病」と訳された言葉は、第一に肉体的弱さのことですが、災難や患難を意味することもあります。

キリストは、私たちと同じ人間の姿になって、私たちが味わう悲しみや病、痛みや苦悩をよく知り、理解されました。

この次の曲は、この聖句で始まります。

まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。
(イザヤ53:4)

そして、福音書を読むと、この預言が次のように実現したことが書かれています。

イエスは・・病人をことごとくおいやしになった。これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。
(マタイ8:16-17)

イエスは、ただ私たちの弱さを理解するだけではなく、多くの人の体と心を癒してくださったし、今もそうしてくださいます。

メサイアができた背景

実はヘンデル自身も、「悲しみの人で病を知っていた」時期があります。

ドイツに生まれ、イギリスに渡ってオペラ作曲家としてかなりの成功を収めたヘンデルですが、40代後半になるとオペラが廃れ、興行が不調になりました。

またリウマチは悪化し、良き理解者であるキャロライン王妃が亡くなり、経済破綻に陥り、多くの人から批判を受け、仲間から捨てられるなど、試練の連続です。

きっと、必死に神に祈り続けたことでしょう。

そんなヘンデルのために、友人のチャールズ・ジェネンズは、聖書の言葉からなる素晴らしいオラトリオの台本を書き上げました。

(オラトリオは長編の声楽曲ですが、オペラとは違って、舞台装置や衣装、演技を伴いません。)

ヘンデルはその台本に感激したのでしょう、わずか24日間で、2時間半ほどに渡るこの大曲を完成させました。

彼が作曲しながら感動し、幾度も涙を流していたことが召使に目撃されています。

先ほどの「彼は侮られて人に捨てられ」という曲を書いた時もそうでした。

もしかすると、そこに自分の境遇を重ね、それをキリストが理解してくださると実感して、慰められたのかもしれません。

ハレルヤコーラス

受難についての曲が続く第2部ですが、夜明けの光が世界を明るく照らすようなハレルヤコーラスで終わり、救いを歌う第3部へと続きます。

ハレルヤコーラスも、ヘンデルは涙を流しながら作曲しており、それを見て心配した召使にこう答えています。

「天国が私の目の前に開かれ、偉大なる神ご自身の姿が見えたと思う!」

メサイアは好評を博し、ヘンデルは経済的にも精神的にも立ち直ることができました。

受難のパートにハレルヤコーラスの光が差したように、ヘンデルの最も辛く暗い時期にも光がもたらされたのです。

悲しみの人で病を知っていたキリストは、ヘンデルの悲しみと病を知り、その祈りに答えて、友人のジェネンズを通してこの台本を彼に送られたのだと思います。

私たちも、悲しみや病、痛みや苦悩を味わっている時には、悲しみの人で病を知っているイエス・キリストがすぐそばにいて、私たちを励まし、助けようとしておられることを信じましょう。


この大祭司[イエス]は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
(ヘブル4:15)
いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りてあわれむ
悩み悲しみに 沈める時も
祈りに答えて 慰めたまわん
(讃美歌312番 いつくしみ深き)

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