心の平安を失った時に思い出したい聖書の言葉
人生に困難はつきものであり、なかなか計算通りに行かないものです。
心は安心と平安を求めていても、人間関係、将来への不安、ストレス、孤独、失敗への恐れ、など、さまざまなことで思い煩い、悩み苦しんで、心の平静を失ってしまうことがあります。
そんな時に思い出したいのは、神は「愛と平和の神」であること(2コリント13:11)、そして人間は心の平和がないまま苦しみながら生きるように創造されたわけではないということです。
神やキリストが与える平安・平和について、聖書に多く書かれているのは、私たちが平安への道を見いだせるよう、神が願っておられるからです。
「わたしの平安」
これは、イエスが十字架にかけられる少し前に、弟子たちに語られた言葉です。
世が与える平安とは、満足できる状況や環境にある時に得られるものです。
たとえば、畑が豊作だったので新しく大きな倉を建て、「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ」と言った金持ちが持っていたような平安です。(ルカ12:15-21)
しかし、イエスが与える「わたしの平安」は、状況にも環境にも左右されません。
荒野で悪魔から誘惑を受けた時も、嵐の中で舟が沈みそうだった時も、敵からしつこく非難された時も、イエスは常に平安のうちにおられました。
私たちの心がキリストの平安・平和によって支配される時、不安や恐れなどのネガティブな感情によって支配されることはありません。
この平安は「御霊の実」の一つであり(ガラテヤ5:22)、神を愛して信頼し、聖霊に助けていただきながら、培っていくものです。
イエスは、さらに弟子たちにこう言われました。
「なやみ」と訳されたギリシャ語は「圧迫」を意味しており、「苦しみ」「苦難」「患難」などとも訳されています。
イエスも多くの苦難を経験しましたが、そのすべてに打ち勝たれました。
そして、私たちもキリストの平安によって、すべての「圧迫」に勝つことができるよう助けてくださるのです。
神の平安を得る秘訣
私たちを愛してやまない「愛と平和の神」と正しい関係にあり、心から神を信頼していることが、この平安を得るための第一の秘訣であり、それに関連して、以下のような点があげられます。
26章1節には、城壁と塁で守られた堅固な町が出てきますが、私たちの心は神に信頼することによって堅固にされ、平安のうちに守られます。
皆さんの心が、今日、そして毎日、主イエスの平安によって祝福されますように。