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ドーサはバラモンの罪


日本で生まれたインド人としてはインドのインド料理はなかなかに辛かった覚えがある。幼い頃にインドを訪れていた時はトーストやホットチョコレートなどしか食べられなかったような気がするし、レストランで出されるような料理は辛くて食べられないのが多かったような気がする。

西インドで食べられているような家庭料理は家でも食べていたのでそこそこ食べられたが、外食は苦手であった。その感じは学生時代をインドで過ごすようになっても変わらなかった。

人目を盗んではインド料理以外を食べようとしていたような気がする。私が過ごしたインドの学生時代は全寮制ということもあり、朝・昼・晩とインド料理である。厳しかったせいか、インド料理以外を食べることに少し後ろめたさを感じていた。なぜかタイ人が結構いたので彼らには専属のシェフがいたことからタイ料理が振舞われていた。それをたまに少しもらっていたりした。ちょっと悪いことをしている感じがした。この「ちょっと悪い感じ」がなぜだか知らないが料理をいつもより美味しく感じさせていたような気がする。

美味しさももちろんだが、なんだかわからないが、「ちょっと悪いこと」が千篇一律の日常の料理に光を与えてくれるのかもしれない。学校帰りの買い食い。深夜に食べるラーメン。

厳しさが濃ければ濃いほどにちょっと悪いことの光の輝きや明るさは増すようだ。

南インドはカルナータカ州のウドゥピという町がある。古くからヒンズー寺院を中心に構成されている町で、ここで作られているヒンズー教の神々に捧げる料理が発展して現在でも人気の「ミールス」と呼ばれる南インドの定食になったといわれている。神々に捧げる料理なので使って良いものと使ってはいけないものが厳しく決まっていた。興奮させるようなニンニク、玉ねぎなどはもちろん人参なども使ってはいけない食材だったといわれている。そして何よりお酒は禁止であった。お酒を作ることができる発酵料理も禁止されていたらしい。私はインドに発酵食品が少なく、味付けの大部分を塩に頼っている所以はこんなところにあるのではないかと妄想している。

神に捧げる料理はヒンズー教徒でも司祭階級のバラモンが作る。厳しい戒律を守りながら神のために美味しい料理を作り、その分け前を人々がいただくのである。
しかし厳しさが濃ければ濃いほどにちょっと悪いことは明るく見えるのかもしれない。悪ければ悪いいほど異彩を放っているのであろう。

ココナッツを発酵させたトディというお酒があるのでそれに倣ってちょっとお酒を飲みたくなったバラモンが米と豆を発酵させてお酒が作れないかと試みた。それぞれを十分な水につけ、柔らかくなったらペーストにして一晩発酵させるのである。隠れて作ったバラモンもウキウキとしながら翌朝の米と豆の様子を見に行く。全然お酒になっていないのである。がっかりしたバラモンをそれらを鉄板で焼いてみた。

そしたら美味しいクレープが焼きあがったのである。

「悪い事」や罪をサンスクリットの言葉でdoshaというらしくバラモンが生んだこの美味しいクレープは「ドーサ」と名付けられた。厳しい戒律の中で生まれた罪の味「ドーサ」。

ちょっと悪い事やいたずら心は美味しい料理の隠し味なのかもしれない。

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