和食は削ぎ落としていくように作っていくのに対して洋食は積み上げていくように作っていくと和食と洋食の違いを説明する人の話を聞いて、なるほど。と頷いたことがる。確かに余計なものを省いて作る美学が和食にはあるような気がする。インド料理を見てみると香りを重ねていくように作っているので和食の美学とは対にあるようなものである。 春も過ぎ、梅の実がたわわになってくるとカレーをスパイスから作りたい人が増えるのか料理教室や講座を開催することが増えてくる。 料理教室や講座の中でも長くやってい
日本で生まれたインド人としてはインドのインド料理はなかなかに辛かった覚えがある。幼い頃にインドを訪れていた時はトーストやホットチョコレートなどしか食べられなかったような気がするし、レストランで出されるような料理は辛くて食べられないのが多かったような気がする。 西インドで食べられているような家庭料理は家でも食べていたのでそこそこ食べられたが、外食は苦手であった。その感じは学生時代をインドで過ごすようになっても変わらなかった。 人目を盗んではインド料理以外を食べようとしていた
テーブルの上にバナナの葉っぱが敷かれ次々と料理がサーブされていく。カラフルな野菜をココナッツなどで炒めたものや豆と一緒にたくさんの野菜も一緒に煮込んだサンバル。酸味が効いたラッサムやふわっとしたご飯。さっぱりしたチャツネにピリッと辛いアチャールなどが盛られていく。それらをご飯と一緒に混ぜながら次々と口に運んでいく。パリッとしたパパドを割りながら混ぜて食べても美味しい。それぞれが美味しいがお米を潰すように混ぜて食べると尚、美味しい。 南インド、特にタミルナドゥ州でよく食べられ
綿花や宝石、シルク、白檀やスパイスなど遥か昔から様々な人々がインドのものに魅了され自分たちの土地へ持って帰ろうとしてきた。しかし7000年前からインドの人々に重宝され、薬や肥料、食料として使われてきたものを彼らは見つけることができなかった。 それは「神秘の木」とも呼ばれている「ニーム」の木である。インドのいたるところに植わっているニームの木は20メートル近くに成長する。夏は激しい日差しから人々を守ってくれる、早朝のニームの木の下はオゾンがあるともいわれ、時には旅人が休息
広大な土地に延々と植わっているバナナ。収穫しても収穫しても積みげられていくバナナ。終わらない。積み上がっていくバナナ、重いバナナを担ぎながら終わらない労働に励む。もう日暮れだ。今日も帰れない。仕方がないからラムでも飲もう。朝日が見えてきた。バナナの収穫は終わらない。 仕方がないからラムでも飲もう。 1950年代のグアテマラのバナナ農家の惨状を歌ったものらしい。同じものをたくさん栽培することによって生産性を高め、利益をさらに生み出そうとた結果労働者にしわ寄せがやってきた。当
クラブと呼ばれたり倶楽部と呼ばれたりするが、英語の club の語源は cleave からきているらしく「執着」する「団結」するという意味からきているといわれている。団結していたり、固まっている様がゴルフクラブの先端にも似ていることからクラブとつけられたともいわれている。日本では当初「苦楽部」と書かれていたが倶(とも)に楽しんでいく倶楽部が後々使われるようにあったのだとか。 クラブハウスサンドイッチにクラブソーダなど団体とは別のクラブも多々ある中で「スパイスクラブ」なるもの
沖縄の北部「やんばる」に行くのは恒例となりつつある。言葉は同じでも世界が違うような場所で現地の素材をスパイスで様々に仕上げていくのは楽しくて仕方がない。カレーやサブジ、アチャールをたくさん作った後はやんばる巡りが旅の醍醐味でもある。今では沖縄独特の気候を活かしてスパイスの栽培も少しずつではあるが広がっているようだ。緩やかな山の頂上らへんにスパイスを育てている農家がある。少量多品目でその季節にできる様々な野菜を育てる傍ら色々なスパイスの栽培にもチャレンジしているそうである。オス
葡萄の栽培からワインの醸造まで一貫してその土地、もしくは国内で作るワインを「日本ワイン」と呼ぶらしい。そんな日本ワインだけを紹介、販売する店が近所にできたというので行ってみると作り手の顔や、作られている土地の情景が浮かぶようなワインの味わいに、今まで少し遠くに感じていたワインの世界がぐっと身近に感じられるようになった。 新しい世界の扉が開いたような気がしたので、スパイスとワインを組み合わせて何かをやってみたいと思い、先日第一回「スパイスつまみの会」を開催した。 スパイスを多
未だかつてないほどの土地を支配していたアレキサンダー大王がインドに攻めてきたのは2500年前のことである。幾度となく攻めてきたが、都度インドの兵士達によって打ち返されていたらしい。当時はマウリア朝の時代、かのアショーカ王が繁栄をもたらせた王国がインダス川を中心にインドの大半を支配していた。 アレキサンダー大王の軍勢は強く、世界各地を侵略していったが、インドは侵略されることはなかった。当時の記述によるとマウリアの屈強な戦士達に追い返され、遂には攻め返され、アレキサンダー大王率
世の中には色々な人がいる。様々なことに挑戦するときに入念に準備を済ませてから挑むものもあれば、準備そこそこに挑戦していき、実践の過程で成長したりするものもある。 カッチはどちらかというとゆったりとしている。様々なものを観察しているが、はたから見ているとボーッとしているようにもみえる。何もしていないようで見ているものや起こっていることを我が身に吸収している。 パッキは常に動いている。はたから見ていると忙しそうにしている。何をやるにも様々な準備をしているし、いつも仕事をしてい
春の訪れが近いと喜びと命に溢れるのかインドでも様々なお祭りが開かれる。春の訪れや、繁栄や幸福を祈る色のお祭り「ホーリー」が各地で開かれたり、「偉大なシヴァの夜」という意味を持ち13夜14日お祈りをし続けることでも知られている、無知と暗黒からの夜明けを祝う「マハシヴラトリ」がインド各地で祝われている。シヴァ神のお祭りは毎月開催されているが毎年2月か3月に祝われる春の祭りはその中でも一番大事なものであるらしい。この日にシヴァ神がパールヴァティー神と結婚したともいわれているし、シヴ
久々に「パンダラ・ラッサ」というカレーを作ってみた。約10年前に友達を引き連れ西インドを旅したあと、一緒に行ったイラストレーターの山崎杉夫さんが思い出を絵にして個展を開いた際に作ったカレーである。我々が旅をしたのはグジャラート州のスーラットという町を中心にその近辺だが、この「パンダラ・ラッサ」は西インドでもムンバイよりもっと南のコラプールという町のご当地カレーである。赤いのと白いのがあるが白いココナッツが入ったチキンカレーは独特の香りとコクがあり多くの人たちに喜ばれた。
強めの風が吹くと春を運んできてくれるような気がする。 新しい命がそこかしこに芽生え、豊かな色がそこかしこに現れる。 毎月行う料理教室の買い物をしに野菜の市場を見渡すと鮮やかな色の野菜たちが気持ちをウキウキさせてくれる。自然と作るものも色鮮やかになっていくので、料理をする時も春を感じることが多い。またスパイスを使うことによって野菜や食材に色をつけている感じもどこか春を撒いているような気分になる。 春になるとインドでは色のお祭りがそこかしこで開かれる。「HOLI(ホーリー)
3回目の尾道マサラフィッシュクラブを因島で開催してきた。インド料理やスパイス料理が好きな人たちが集い「スパイス」と「フィッシュ」をテーマに一緒に調理するクラブ活動だ。色々なものを作る中で様々なサブジやアチャールなどカレーや魚料理でないものも作る。ふと市場で見かけた里芋の親玉みたいな大きな里芋を衝動買いしたので、茹でてアジョワンとチャートマサラで炒めてサブジみたいにした。あまりの大きさに量も多かったのでペースト状にしたのを団子にしてベッサン(ひよこ豆の粉)であげてみた。インドは
ワインは葡萄ではない。 そしてギーもミルクではない。 結婚式や様々な儀式で焚いてある火にギーを少したらす。繁栄や潤い、幸福を祈ってすることらしい。ワインも様々な儀式などで使われていることを思えばギーとワインは似ているのではないだろうか。 ギー(Ghee)とはインドを中心にアフリカや南アジア、中東などで広く使われている油の一種で原料は牛や水牛のミルクである。バターともよく似ているがバターと違うところは含まれている水分をより無くしていることで上質な脂質とタンパク質が残り、体や
年末から年始にかけて食べ過ぎたせいなのか、2月くらいになるとあっさりとしたものが食べたいというような感じになる。季節のせいなのか体調のせいなのかはわからないが何かしら体の変化があるのであろう。 豆でいうとあっさりとしたものはムング(緑豆)であったり、トゥールダールであったりする。ムングダールで作ったカレーやダールタドゥカはあまり胃腸に負担をかけずに食べているような気がする。トゥールダールを使ったサンバルやラッサムなど南インドでよく食べられている料理は比較的あっさりしているよ