この一枚 #12 『AVALON』 ロキシー・ミュージック(1982)
今やレコードマニアの間で伝説のエンジニアとなったボブ・クリアマウンテン。その彼が代表作として自負するのが、ロキシー・ミュージックが1982年にリリースした『AVALON』。英国チャートでは1位、アメリカでも初のプラチナを獲得。同年に発売されたドナルド・フェイゲンの「Nightfly」と並んで、デジタルレコーディング黎明期の名盤として知られる本作の録音の舞台裏を探る。
武道館で聴いたJealous Guy
1983年武道館のロキシー・ミュージック
1983年2月、ロキシー・ミュージック(RoxyMusic)は来日して日本武道館でLIVEを開催します。
既に40年前となり、ほとんどのLIVEが忘却の彼方ですが、このステージの光景と音像は今でも目に浮かびます。
武道館で観たライブでは最高の音響で、前年の1982年5月にリリースされた 『AVALON』の音像を極力LIVEで再現したのでした。
今回はまさにUK版AORの極みとも言える名盤『AVALON』について、当時を回想しつつリサーチしてみました。
ジョンレノンの死を悼んだJealous Guy
『AVALON』の前年の1981年にはジョン・レノンの死を悼んで、ロキシー・ミュージックはJealous Guyをカバー。
彼ら唯一の英国No.1ヒットとなったのです。
本シングルにはジョンの遺作「Double Fantasy」にも参加したドラマーAndy Newmark(アンディ・ニューマーク)も参加していました。
そしてJealous Guyは当日のライブではアンコールでフィナーレとして演奏され、ハイライトになったのです。観客たちはジョンの死を悼み涙腺は緩み、当時はそれ程人気はなかったこの曲の出来栄えを再認識しました。
スティーリー・ダン化したロキシー
前後しますが武道館のLIVEのオープニングは『AVALON』のB面最初のThe Main Thing。リズム主体のこの曲はYMOっぽさも感じるデジタルファンクで、グラムロックを期待していた我々の予想は裏切られ度肝を抜かれました。
一度は解散し、再度結成されたロキシーはバンドではなく、スティーリー・ダンのようなプロジェクト体制となっていたのです。
残ったメンバーはBryan Ferry、Phil Manzanera(Guitar)、Andy Mackay (Sax)の3人だけ。
残りは凄腕のセッションミュージシャン達が見事にサポートしていて、以前のグラムロック調は失せていました。
準メンバーとなっていたドラムのAndy Newmarkを筆頭にAlan Spenner( Bass)、Neil Hubbard(Guitar)、Guy Fletcher(Key)、Jimmy Maelen (Percussion)と言った面々。
コーラス隊は3人もいて、中には元CHICのFonzi Thorntonもいました。
当時レコードは最高のミュージシャンを揃えても、経済的な理由でライブはランクが落ちるミュージシャンを使うのが常でした。が、ダイアー・ストレイツにこの後加入する当時は駆け出しのGuy Fletcher以外はほぼレコーディングと同じメンバー。
特にAndy Newmarkのドラムのスネアやシンバルの響きはここが武道館なのか?という程素晴らしく、今も脳内で鳴り響きます。
当日はニール・ヤングのLike A Hurricaneも演奏されました。
AVALONに至る道
一度解散していたロキシー・ミュージック
話は遡るが、自分がロキシーの存在を意識したのが、1975年にサディスティック・ミカ・バンドがイギリスで彼らの前座に抜擢されたことが大きく報道された時です。
しかし、その直後の1976年にはロキシーは解散してしまうのです。
2年間のブランクを経て1978年に再結成し「Manifesto」をリリース。しかし、メンバーは6人から4人に減り、ベースとキーボードは外部に頼り、さらにリリース後にはドラマーのポール・トンプソンも離脱。
メンバーはブライアン・フェリーなどの3人だけとなります。
「Manifesto」録音時も一部に外部ミュージシャンを雇用。その方法は、後期のスティーリー・ダンと通じます。
シングルヒットし英国で2位となったDance AwayはNY録音で、
Alan Spenner (b)、Steve Ferrone(percussion)のイギリス勢の他に、
既にStuffに所属していたRichard Teeがpianoで、Ajaにも参加していたRick Marotta がdrumsで参加しています。
ロキシーとRichard Teeというのは新鮮な組み合わせですが、R&Bやソウルといったブラック・ミュージックから影響を受けたブライアン・フェリーの趣味が全開したとも言えます。
ベースのAlan SpennerはUKソウルバンドkokomoのメンバーで、イギリスでは売っ子のスタジオミュージシャン。この後はロキシーの準メンバー的な扱いとなり、Steve Winwoodの『Steve Winwood』などにも参加します。
山下達郎との共通点
3人となったロキシーは、1980年に『Fresh + Blood』をリリース。
当時はアメリカンロック一辺倒だった自分が、最初に購入したロキシーの作品でした。
それまではビジュアルがグラムロック的で生理的に受け付けず、またフェリーの独特な歌い回しも気持ち悪いと感じていました。
この作品でのメインドラムはAllan Schwartzberg(アラン・シュワルツバーグ)。山下達郎のデビューアルバム「CIRCUS TOWN」でのWINDY LADYやEpoのアルバム「GOODIES」のドラムも叩いていた人。
この作品にはカバーが2曲含まれていて、異色はバーズのEight Miles High。
Andy Newmarkを起用
そしてMy Only LoveにはAndy Newmarkを起用。
本作では2曲に留まりますが、次作『AVALON』より本格参加し準メンバーとしてツアーにも参加、日本公演でも彼の名演を拝めたのです。
ニューマークについては以下の記事でも書いていますが、彼はスライ&ザ・ファミリー・ストーンに1973年の『Fresh』から参加。白人ながら、ファンクバンドのドラマーの座を射止めます。
彼の代表作を3つ挙げるとデヴィッド・ボウイ の『Young Americans』、レノンの『Double Fantasy』そしてこの『AVALON』となりますが、アメリカ人ながらUKロックが並ぶのが面白いところ。
他にもロン・ウッド、ジョージ・ハリソン、スティーヴン・ウィンウッドとアメリカ人ながら、UKロックに愛されたドラマーでした。
『AVALON』の録音
『AVALON』とボブ・クリアマウンテン
ロキシーとスティーリー・ダンの共通性の一つに優秀なエンジニアの存在があります。
ダンにはロジャー・ニコルス、そしてロキシーにはボブ・クリアマウンテンがいました。
今や伝説的エンジニアとなったボブ・クリアマウンテンは『AVALON』について「このアルバムは、おそらく私がこれまでに作ったどのアルバムよりも私にとって大きな意味を持っている」と語っています。
もう一つの類似はリンドラムのリズムをベースにした音楽的なバッキングトラックを構築し、本格的なデジタル録音にトライしたこと。
ダンは「Gaucho」でWendel(ドラムサンプルシステム)を使用開始し、『AVALON』と同年に発売された「The Nightfly」(フェイゲンのソロ)でも活用されており、本作と並びデジタル録音初期の代表作と言えるでしょう。
クリアマウンテンとロキシー一行はバハマのコンパス・ポイント・スタジオで、リンドラムのリズムをベースにしたバッキングトラックを構築。
トーキングヘッズのグルーヴも参考にしたそうですが、80年に同じスタジオで録音された「Remain In Light」かと思われます。
ベーシックトラックを終えた彼らはNYのパワー・ステーションで仕上げを行い、そこでアンディ・ニューマークがドラムをオーバーダビング。
プログラムされたリンドラムのパターンにグルーヴを補強します。
リンドラムとニューマークのリズムの融合が心地よいMore Than This(A-1)はシングルとしてヒット。マンザネラの有名なギターイントロに誘われ、フェリーらしくない洗練された歌声と本作独特のリバーブの効いた音響。これぞクリアマウンテン・マジックです。
2003年の映画「ロスト・イン・トランスレーション」のでビル・マーレイのカラオケシーンでもリバイバルしました。
More than this(公式PV)
10000 Maniacsのカバー
Chicとロキシー
The Space Between(A-2)にはナイル・ロジャースとロキシー・ミュージックが相互に影響を与え合った要素が伺えます。アルバムで最もファンク的なこの曲は、ブレッカー・ブラザーズなどで活躍したのNeil Jasonのベースラインをグルーヴの軸に据えています。本作の多くはイギリス人ベーシストのAlan Spennerが担当していますが、ファンクチューンはNeil Jasonが任されていたようで、NYで録音された模様です。ホール&オーツの「モダン・ポップ(X-STATIC)」などでも彼のベースは聴かれます。
ハイチ人歌手ヤニック・エティエンヌ
タイトルトラックAVALON(A-3)には、NY で録音中に隣接するスタジオで偶然声を聴いたハイチ人歌手ヤニック・エティエンヌがハプニング的に参加。存在感があり過ぎるバックボーカルを聴かせます。
彼女は後にフェリーの3枚のソロ・アルバム『Boys & Girls』(1985)等に参加します。
ここで効果的なラテンパーカッションを聴かせるのが、当時のニューヨークの「ファーストコール」パーカッション奏者Jimmy Maelenです。アーサー王伝説をモチーフにし欧州調を醸し出しつつも、本作では効果的にパーカッションが挿入されてラテンテイストも加味されています。
ヤニック・エティエンヌが参加したフェリーのソロツアー
ロキシーとYMO
Indiaはロキシー初のインスト。当時のLIVEではオープニングで使用されて、B-1のMain Thingになだれ込む展開が大いに盛り上がりました。
Main ThingはYMO的なダンスチューンで、当時流行りのシモンズ(電子ドラム)が活躍します。
YMOと言うと高橋幸宏はミカバンド時代にロキシーの前座を務めていました。YMOを始める際にボーカルに悩んでいた幸宏氏は、フェリーの唱法を参考にしたそうです。
1981年には幸宏の「ニウロマンティック」にフィル・マンザネラ、アンディ・マッケイが参加するなど、お互いを意識していたのかもしれません。
India〜Main Thing(当時のライブ音源)
このMain ThingのExtended remixなどは、見事なデジタル・ディスコ・チューンとなっていて幸宏氏が歌っても様になりそうです。
続くTake A Chance With Me(B-2)は長い静寂の1.5分のイントロで開始。クリアマウンテン得意のリバーブを生かした音空間が独自の世界観を演出。そして、一転テンポ感のあるギターのマンザネラのイントロ。シングルカットされて26位となりました。
そして最後はもう一つのインストTara。サックスのアンディ・マッケイの独奏で幕を閉じますが、ロキシーの終焉でもあったのです。
その後のロキシー・ミュージック
あっけない解散劇
来日公演も含むワールド・ツアーが終了すると、最高傑作を残してグループはあっさりと活動を停止します。
フェリーは、自身のソロ・アルバム『Boys & Girls』のレコーディング中にロキシー・ミュージック解散を正式に声明するのです。
本作のB-3に収録されたTo Turn You On。実はこれは『AVALON』録音時ではなく、1980年に彼のソロアルバム用に録音されたもので他の2人は参加していません。
これをremixして収録しましたが、ソロを指向していた彼はこの曲に手応えを感じ独立志向が強くなった推測します。
ピアノはAceのPaul Carrack、ドラムはRick Marotta、ベースはNeil Jasonと本作とは違う布陣で録音された実質的なソロ作品でした。
AVALONのレガシー
『AVALON』の翌年1983年にはグラムロックの巨頭としてロキシーと一時代を築いたDavid Bowieが「LET'S DANCE」をリリース。世界的な大ヒットとなりますが、この立役者がまたしてもボブ・クリアマウンテンでした。
そしてプロデュースはロキシーから影響を受けたと話していたナイル・ロジャース。
パワー・ステーション・サウンドと呼ばれたクリアマウンテンのサウンドは、その後も次々とヒット作に貢献。
彼の名は今では名盤の周年でリリースされるリマスターやリミックスで、頻繁に見かけます。最近では『Music From Big Pink』(50周年記念エディション)」のリミックスが話題でした。
ブライアン・フェリーの創作したファンタジーに、ボブ・クリアマウンテンの独創的な音像・音響が加わり、本作は名盤として伝承され続けるのです。
ロキシーは解散してもフェリーとクリアマウンテンのタッグは続き、ソロ作「Boys and Girls」にも引き継がれるのです。
その後ロキシー・ミュージックは2019年にロックの殿堂入りを果たします。解散時の3人に加えてブライアン・イーノ、エディ・ジョブソンなどの7名が殿堂入り。式典にはフェリー、マンザネラ、マッケイ、ジョブソンの4人が出席。More Than Thisがクリス・スペディング、ニール・ジェイソン、フォンジー・ソーントンなども参加して演奏されました。
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