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David Crosby追悼 名盤と人 第24回 デジャ・ヴ 『Deja Vu』 CSN&Y

David Crosbyが81歳で亡くなった。70歳を超えて次々と名作をリリース、遅れて来た全盛期を迎えていた。そして精力的なLIVEと新世代の若手ミュージシャンとのコラボ。20年間の不在が嘘のようだった。昨年50周年を迎えたCSNYの『Deja Vu』を振り返りつつ、今と過去を点と線で繋いでみた。

『Deja Vu』50th記念盤

波瀾万丈、David Crosbyの前半生

ByrdsCSN(クロスビー、スティルス、ナッシュ)、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)のメンバーでもあり、シンガーソングライターでギタリストのデヴィッド・クロスビーDavid Crosby)が2023年1月18日に81歳で逝去した。
60年代から70年代にかけてLAのロックシーンで活躍した彼だが、80年代に薬物依存で第一線から退く。2014年に20数年ぶりにソロで復活すると、遅れて来た全盛期のように次々と名作をリリースし奇跡と呼ばれた。

キャメロン・クロウが制作しグラミー候補にもなった彼の映画「Remember My Name」はAmazon Primeでも観れるので、是非とも観賞をお薦めする。
若い頃の活躍から凋落、そして偉大なる復活が容易に理解可能だ。
(Netflixは逝去のためか視聴が不可能になっていた)

全国指名手配、そして服役

さて、彼のあまりにも波瀾万丈の前半生を振り返る。
1941    生誕
1964   Byrds結成(67年脱退)
Crosbyも作曲に名を連ねるEight Miles High。ラーガ・ロックの名曲。インド音楽とJohn Coltraneに影響を受けた。

1969  「Crosby Stills & Nash」発売、チャート6位
同作からStephen Stillsとの共作Wooden Shipsを74年のLIVEから。

さらにCrosbyの代表曲Long Time Goneを73年のLIVEから。

1970   CSN&YDéjà Vu』発売、チャート1位
1971   ソロ「If I Could Only Remember My Name」発売、チャート12位
Cowboy Movie(Guitar: Jerry Garcia)

1977   CSN再結成、「CSN」リリース

そして悪夢の1980年代。

1980年代初め、彼はフリーベース(純化コカイン)を摂取することしか頭になかった。ドラッグを吸うために、人間関係、契約、創造性をすべて犠牲にした。スティルスとナッシュにとって、CS&Nは足枷でつながれた棺桶のようなものだった。しかし自分たちは今もウッドストック・ネーションの象徴だというふりをすることで、ふたりにはかなりの収入が保証され、クロスビーは悪癖に金をつぎ込むことができた。

ピーター・ドゲット. CSNYクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの真実

1983年、ドラッグと銃の不法所持で逮捕された彼は、薬物依存の治療施設に入所。ところが、彼はそこから脱走。密売人の手引きでカリフォルニアに逃亡し、自分のヨットに逃げ込む。そして彼を逮捕するためFBIは全国指名手配する事態に。結局、FBIに自ら出頭し再逮捕されることになった。

1986年、実刑判決を受けた彼は服役。再び薬物依存からの治療を開始しロサンゼルスの更生施設でリハビリをし、1994年には肝移植手術を受けていた。
肝移植手術は当時親交のあったPhil Collinsが経済的にヘルプしている。

実質彼の積極的な音楽活動は64-74年の10年程度、しかもByrds時代は
Roger Mcguinnらに隠れた地味な存在。CSN(Y)でもStephen Stillsが実質的リーダーでCrosbyの提供曲は5曲(うち1つは共作)に過ぎない。
その後80年、90年代はほぼ薬物依存症で活動は途切れがちで、93年のThousand Roads を最後にソロアルバムのリリースも途絶えるのである。
最後のヒットのHeroPhil Collinsとのデュエットだった。

CollinsAnotherday in paradiseにはCrosbyが参加している。接点はわからないが、意外な交遊である。

晩年に訪れた最盛期

CSNとの決別、Nashとの絶縁

2014年、約20年ぶりとなるソロ・アルバム「Croz」発売。既にこの時、73歳になっていたが、ここから突然彼の最盛期が訪れる。

2016   「Lighthouse」
2017   「Sky Trails」
2018   「Here If You Listen」
2021   「For Free」
2022   「 Live at the Capitol Theatre」
70歳を超えて彼に何が起こったのか、81歳に逝去するまでの8年間で6つのソロアルバムをリリースし、全てが名作。現代では若手のアーティストでもここまでの豊作は中々見当たらない。
そしでベテラン勢にありがちな、ヒット曲満載の懐古的ライブ活動がメインだったCSN。メンバーの不仲により2016年に活動停止する。
以下は2012年のLiveだが、Stephen Stillsは声が不調でメンバー間のコミュニケーションも少ない。メンバーにはピーターバラカンさんの弟Shane FontayneやCrosbyの息子James Raymondが含まれていた。

特に長い間の盟友で薬物依存から彼を救った、Graham Nashとの決別は衝撃的だった。
「僕は過去45年くらいずっと彼の尻拭いをしてきたようなもんだよ。そんな僕を糞みたいに扱ってるんだから。それはやっちゃ駄目だろ。1日か2日くらいならいいよ、また機嫌が直ったかなって思えるくらいまではね。でも、それがさらに続いて、最低なメールとか寄越してくるようになったら、終わりだから。」とGraham Nashは怒りを込めて語り絶交する。

Crosbyは新世代との交流が始まり、過去をなぞるだけの懐古的な活動と決別する。残り短い人生を新しい創作活動に費やすことを選択した。

Twitter名人の横顔

彼のTwitter好きは有名だ。毎日、凄い数の投稿をし、ユーザーからの質問にも気軽に答える。多くの炎上事件も有名だ。
自分も何回か相手をしてもらったこともあるし。好きが高じてTwitterの広告にオファーされ出演したこともある。

このSNSを駆使して若手のミュージシャンと交流を始める。
最も有名な例はSnarky PuppyとのTwitter上の交流が、Liveや録音への参加など本格的な共演まで及んだことだ。
Snarky Puppyはグラミーを4度も獲得した新世代のJazz/Fusionの最高峰。

2014年9月のCrosbyの呟きで『Snarky Puppy is quite possibly the most advanced band in the world …certainly the best I've heard / seen (Snarky Puppy は、おそらく世界で最も先進的なバンドだ...確実に私が聴いたり観たりした中でベスト)』という彼らを絶賛することで始まり、メンバーとのやりとりがスタート。
そして2015年2月のSnarky Puppyの「Family Dinner 2」Liveへの参加と急展開となる。New OrleansでのLive録音に参加し、Snarky Puppyをバックに新曲を披露した。

この「Family Dinner 2」はSnarky Puppyの周辺ミュージシャンたちとのコラボLiveで、Becca Stevens、Jacob Collier、Charlie Hunter 、Louis Cole (Knower)など新世代Jazz系からSusana Baca 、Salif Keitaなどワールド系のベテランまで、時の話題のミュージシャンが集結したもの。
その中でCrosbyはBecca StevensJacob Collierらと知り合い、音楽的な交流も始まる。

同時期にはSnarky PuppyフルバンドとLong time goneをプレイ。
腰が軽いと言うか、凄い活動的である。

さらに翌2016年Snarky PuppyのリーダーMichael Leagueが彼をプロデュース。ソロアルバム『Lighthouse』をSnarky Puppyと同じGroundUPレーベルからリリース。

Jackson Browneのスタジオを借りて録音したという。ちなみに、Jackson Browneのデビューを手伝いサポートしたのも彼だ。

"david crosby agreed to sing on my first record. he absolutely showed me how to record — how to multitrack vocals. he praised me to others and to myself, and that was really important. i feel a great debt of gratitude to david."

- jackson browne

名作ソロ「If I Could Only Remember My Name」

71年のソロ作「If I Could Only Remember My Name....」がLeagueは好きで、本作はそれにリスペクトを捧げたと言う。
参加ミュージシャンを列挙するだけで凄いメンバーだ。
Joni Mitchell、Graham Nash、Jerry Garcia、Neil Young、Jorma Kaukonen、 Gregg Rolie、Phil Lesh、Jack Casady 、Bill Kreutzmann、Michael Shrieve、Mickey Hart

Michael Leagueは本作を敢えてバンドサウンドにせず、Crosbyの歌とギターにフォーカスするのだが、これが素晴らしい内容で心を打つ。

GroundUPはMichael Leagueが運営しており、そのレーベルの若手とも交流が始まる。
本作にも参加したBecca StevensMichelle WillisLeagueを加えてLighthouse Bandと命名してツアー活動が始まる。
彼らの素晴らしいハーモニーによるWoodstockのカバー。既に彼らのコーラスはCSNを超えている。

Becca Stevensのアルバムにもゲスト参加し、共作も手がける。

GroundUPはJazz/Fusion系のミュージシャンが主体で彼らと難なく交流できるのは、Crosbyにはジャズのベースがあるということだ。

Crosbyとの契約についてGroundUPのCOOに柳樂光隆氏がインタビューしているので、添付する。

デヴィッド・クロスビーに関してはいつもと勝手が違うところはあった。あれだけのアイコンでありレジェンドだからね。そんな人のアルバムを一枚でもリリースさせてもらえるということは僕らのレーベルとしてはすごく光栄なことだった。大きな一つの変化だったなと。彼ほどの知名度と実績を持つアーティストを我々はそこに至るまで抱えたことがなかったので、彼に相応しい対応をするというのが非常に重要だった。まあ、あくまで我々側の対応と結果についてしか話できないけど、あのレコードを出せたのは本当に光栄かつ幸運だった。

今、デイヴィッド・クロスビーはスナーキー・パピーとマネージメントが一緒なので、その関係についても僕らはとても喜んでいるんだ。くり返すけど、あの1枚を出せたのは最高のチャンスだった。その後、彼はBMGと複数枚のレコード契約を結んで、グラウンドアップ・ミュージックを離れたんだけど、僕らはそれを彼にとっていいことだと心から喜んでいる。そもそもマイケル・リーグがデイヴィッドのバンドの音楽監督という形で関わっているから、デイヴィッドのキャリアと我々のレーベルの間には今もかなり重なる部分があるからね。マイケルが率いるバンドではベッカ・スティーヴンスも活動しているし、同じく僕らのアーティストであるミシェル・ウィリスもいる。そういう意味ではデイヴィッドは今も我々ファミリーには欠かせないメンバーで、彼の音楽は…アメリカの音楽は間違いなく、デイヴィッド・クロスビー抜きでは語れないから。そこに僕らが、ほんの少しでも関われたということだけでも光栄なことだよ、間違いなく。

interview ERIC LENSE : GroundUP Music COOが語るマイケル・リーグの理想を叶えるためのレーベル運営(柳樂光隆note)

CrosbyとJazzの親和性

マイルスがカバーした「Guinnevere」

Crosbyの家族構成は、アカデミー受賞歴のあるフィルムカメラマンの父、フランス系の母、ジャズ好き演奏家の兄の4人家族。
Byrdsの頃はJohn Coltraneやインド音楽のレコードをメンバーに聴かせていて、George Harrisonにインド音楽を推奨したのも彼だ。その影響か特別なジャズの教育はないが、コード進行やギターワーク、コーラスの和音など、生まれながらのジャズ感覚がある。
映画「Remember My Name」の冒頭でも若き日にJohn Coltraneの演奏を、トイレで盗み見した思い出が語られる。

1968年には後にJaco Pastoriusなどのジャズ系と共演を重ねるJoni Mitchellのデビュー作をプロデュースしたのがCrosby。
オープンチューニングを2人で共有したという。

1969年の「CSN」に入ってる「Guinnevere」の摩訶不思議さ。若い頃は自分も理解不能だったが、一度ハマると抜けられない魅力がある。

「曲の方向はさらにくるくると変わる。彼は解決しない多くの和音を瞬時につなぎ合わせ、自分の声を伴奏に2拍子、3拍子、4拍子で歌う。大きな危険を冒し、長いコードを積み上げてクライマックスまで導き、その頂点に奇妙な響きのコードをたったひとつ、ピラミッドの頂点に置く金色の冠石のようにかぶせる(セロニアス・モンクのソロの最後を彩るイカれたコードのように)」

バリー・マイルス(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの真実)

なんと言ってもハイライトは1970年あのMiles Davisが「Guinnevere」をカバーし録音したこと。(リリースは79年)

MilesはCrosbyを家に連れて行き、このカバーを聴かせたと言う。Crosbyが「これはGuinnevereとは言えない。別の名前で出してください。」とクレームを付けると、怒って追い出したと言うCrosbyらしいエピソードがある。

世代を超えた共演だとPunch BrothersChris ThileとのGuinnevereも素晴らしい。(2018年)

『Deja Vu』の摩訶不思議な世界

『Deja Vu』50th

そして1970年Neil Youngも参加しCSN&Yとなり『Deja Vu』がリリースされ、発売前の予約だけで200万枚のセールスを達成。
Crosbyはタイトル曲のDeja VuAllmost cut my hairを提供。
実は部分的にしか参加していないYoungは3曲目のAllmost cut my hairでようやく登場し、Stillsのツイン・リードギターが聴ける。
恋人を交通事故で失ったばかりのCrosbyの慟哭のようなヴォーカルは圧巻。

後に犬猿の仲となるCrosbyとYoungも当時は仲良しだったようだ。特にYoungの曲Ohioでの2人の友情物語は下記にも執筆した。

そして、現代にこのアルバムを聴くのなら、未だに先進性を感じるのはタイトル曲のCrosbyのDeja Vuであることは疑いの余地がない。(Youngは不参加)

変則チューニングによる独創的なコード進行と、緻密で高度なコーラス・アレンジにより、Crosbyならではの不思議な世界観が作り上げられている。
発売当時は最も地味な存在で、摩訶不思議感から敬遠されがちだったCrosbyだが、2020年代の今は最も古さを感じず新しい。

Nashと2人で録音したDemo。既に曲の構成は固まっている。

本作の実質的なプロデューサーのStillsは語る。

アルバムの精神を体現する曲だとコメントする「デジャ・ヴ」には100回以上のテイクが必要だった。自分のことを棚に上げ、スティルスはクロスビーの妥協のなさを非難している。「あいつはとことんこだわった。まったく妥協しなかったし、ウィリー〔ナッシュの愛称〕にも俺にも手を出させなかった」。クロスビーがこれでいいとやっと折れてから、スティルスが不安定なテンポを整え、リード・ギターを入れ、ふたつのピアノ・パートを加え、彼のキャリアを代表するベースの名演を重ねた。ファースト・アルバムでママ・キャスが参加したように、ジョン・セバスチャンが招かれてハーモニカを提供し、アンサンブルで存在感を放った。

ピーター・ドゲット. CSNYクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの真実

これは50th記念盤に入っている別のバージョン。その次は2018年若手と組んだLighthouse Bandとの演奏。

若手ミュージシャンとのコラボ

40歳下の若手とのBand活動

さて、現代のCrosbyの活動に話を戻す。
2016年の「Lighthouse」に続き、息子のJames Raymondプロデュースで2017年「Sky Trails」をリリース。

さらに翌年の2018年「Here If You Listen」を再度Michael Leagueのプロデュースでリリース。これはCrosbyBecca StevensMichelle WillisLeagueとの4人連名のコラボ作品となる。
本作録音中のシーンだが、このWoodstockも本作に収録された。

完全にこの4人はCrosbyを核としたチームとなったのである。
加えてLighthouse Bandとして精力的なツアーを開始。
nprに3人とのLighthouse Bandでの映像があるが、素晴らしいので是非。

1974年にCrosbyが録音した作りかけた素材に3人が歌詞とコーラス、演奏を重ねた時空を超えたナンバー1974も素晴らしい。

このメンバーにRichard Bonaが飛び入りした聴き物。groundup music festivalと言うgroundupが主催するマイアミのフェスだ。

これをマイアミで実際に観た柳樂光隆氏の感想も熱い。

CrosbyはLighthouse Bandの仲間、Michelle Willisのライブにも飛び入りし、後にレコード化されている。勿論、Crosbyの名声は絶大で、彼は最大限活用して若手を支援したのである。

Donald Fagen、Michael McDonaldとのコラボ

2021年には「For Free」を息子のプロデュースでリリース。
Donald Fagenとの共作曲「Rodriguez For A Night」話題にもなっている。ほぼサウンドはSteely Dan調で微笑ましい。DanのギタリストでもあったDean ParksのソロもSteely Danそのもの。

Crosbyと言えば「5 Albums I Can’t Live Without」というテーマで自分のベスト5を回答していて、1位 Steely Dan「Aja」、2位 Steely Dan「Gaucho」というくらいのSteely Danフリーク。
因みに5 Albumsの3位はJoniの「Blue」で4位はWeather Reportの「Heavy Weather」だから微笑ましい。
そして、いつの間にかDonald Fagenと共演も果たしている。(2019年)

さらにはRiver Riseでは Michael McDonaldと共作しゲストとしても参加。
近所に住んでいるMichael McDonaldとは最近では親友だったようだ。

残された録音

2023年に惜しくもこの世を去った彼だが、ツアーの予定もあり、やり残したことも多く、創作意欲も旺盛だった。
2021年10月にはLighthouse Bandとの新作も既に録音済みだ。
勿論、Michael Leagueのプロデュース。
これのリリースに期待したい。

Crosbyが死去するとどの報道も「CSNYの創設メンバー」やら「ロックの殿堂入り」と言う、決まり文句で彼を賞賛するが、自分にはこの若手3人とのLighthouse Bandと一緒のクロスビー爺が魅力的。
(平均的な年齢差は40歳!)
このバンドでのGuinnevere、限りなく美しい。

現時点での最新作「Live at the Capitol Theatre」(2022年)のLive映像を貼ってこの項を終える。
CSN、CSNYの名曲から最近のソロまで彼の軌跡が網羅された必聴盤だ。

David Crosby Forever!

RIP David Crosby


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