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ジャクソン・ブラウンが来日公演で披露した名曲リストで振り返る軌跡

ジャクソン・ブラウンの来日公演が連日の大絶賛で終わりを告げた。74歳になったジャクソンだが、歌声は力強く過去最高のライブという声が多かった。自分は東京2日目(3/28)を観てきたが、その日のセットリストを中心にプレイリストを作成した。オールタイムベスト的な内容たったので、演奏順ではなくデビューから年代順にアルバムごとに追ってみた。

2023来日公演セットリスト

長きに渡る盟友だったデヴィッド・リンドレーを3月3日に亡くし、さらに長年のバンドメンバーだったジェフ・ヤングも2月に亡くしていた。
リンドレーは1973年に起用して以来、初期の名曲で名演を重ねてきた。リンドレーはギタリストであり、またマルチプレーヤーとしてバンジョー、フィドル、そしてラップ・スティール・ギターでの名演も多い。
ヤングは黒人キーボードプレーヤーでボーカルもこなし1996年以来、多くの録音に参加し、前回、前々回も来日に参加していた。
今回のLIVEはこの2人に捧げると本人も語っていた。
バンドメンバーはリンドレーの後任となり3回目の来日となるグレッグ・リースは健在。ジェフ・ヤングが欠けて新人の鍵盤奏者が加わった編成。
GREG LEISZ(GUITAR)
BOB GLAUB(BASS)
MASON STOOPS(GUITAR)
MAURICIO LEWAK(DRUMS)
JASON CROSBY (KEYBOARDS/VIOLIN)
ALETHA MILLS (VOCALS)CHAVONNE STEWART (VOCALS)

Jackson Browne

1972年リリースのデビューアルバム。ソングライターとして活躍していたジャクソンはデヴィッド・ゲフィンにデモテープを送る。そしてゲフィンが設立したアサイラムの第一弾としてリリースされデビューした。

1.Rock Me On The Water

レコードではベースがリー・スクラー、ドラムがラス・カンケル。ジャクソンのデビューを手助けしたデヴィッド・クロスビーがハーモニーを付けた。
同年、リンダ・ロンシュタットもカバーした。
映像ではデヴィッド・リンドレーがスライドを演奏。

2.Jamaica Say You Will

当初セットリストにはなかったが客席からのリクエストで急遽演奏。しばらく演奏していなかったのか、コード進行をリースに確かめつつ披露。バーズが1971年に先行して録音。またジョー・コッカーもカバー。

3.Doctor My Eyes

シングルカットされ8位を記録。あまりにも有名なジェシ・エド・ディヴィス のギターソロが聴ける。山下達郎も日曜のラジオでこのギターのオブリガードを絶賛していた。
デヴィッド・クロスビーがバッキング・ボーカルを歌い、ベースがリー・スクラー、ドラムがラス・カンケル。

For Everyman

For Everyman

1973年10月リリース。本作より盟友となるデヴィッド・リンドレーが参加。ゲストには、エルトン・ジョンデヴィッド クロスビーグレン・フライドン・ヘンリージョニ・ミッチェルボニー・レイットと豪華ミュージシャンを迎えた。が、結果としてはセールスは芳しくなく、資金がかかり過ぎたので次作は質素にするよう命じられる。
この日は50周年を迎えた『For Everyman』から4曲も演奏した。

4.Take It Easy

5.Our Lady of the Well

アンコールで演奏されたこの2曲は、レコードと同様に切れ目なく組曲として演奏された。Take It Easyは72年5月、同じアサイラムよりデビューしたイーグルスのシングルとしてリリースされ、全米12位となる。グレイ・フライとの共作クレジットだが、実際には完成に近づいた曲の歌詞の一節をフライが付け加えたに過ぎない。ジャクソンは気前よくこの曲をフライに譲ったのである。
Our Lady of the Wellではジム・ケルトナーがドラムを叩いた。

イーグルスとの共演映像。

6.These Days

These Daysは16歳の時に書かれ、67年にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのNicoによって録音されていた。ジャクソンは友人グレッグ・オールマン の「Laid Back」で録音された編曲に感銘を受けて「For Everyman」でセルフカバーした。ジャクソンとグレッグとの交友は以下の記事が詳しい。スライドはデヴィッド・リンドレー。ドラムはジム・ケルトナー。ピアノはデヴィッド・ペイチ

2014年Gregg Allmanのトリュビュートライブ「All My Friends」においてこのThese Daysを2人で演奏している。

7.For Everyman

CSNWooden Shipsへのアンサー・ソングとして書かれた。崩壊していく社会から方舟で旅立つ人々を歌ったCSNに対して、ジャクソンは「ここで普通の人がやって来るのを待つ」と歌った。Wooden Shipsの作者の1人デヴィッド・クロスビーがハーモニー・ボーカルというのが皮肉。クレイグダーギー(ピアノ)、ラス・カンケル(ドラムス)、リー・スクラー(ベース)と言う後のセクションのメンバーに、デヴィッド・リンドレー(ギター)と言う布陣。

76年の映像ではリンドレーがリードを弾く姿も。

Late For The Sky

1974年リリース。予算削減のためゲスト演奏者ではなくリンドレーなどのツアーメンバーが演奏した。だが、それが功を奏したか、アルバム全体に統一感が出て屈指の名盤に。全米14位と当時最高位まで上る。ジャケットはベルギーの作家ルネ・マグリットによる1954年の絵画「光の帝国」に触発されている。

8.Before The Deluge

今まで後半戦に登場した環境保全賛歌と言われるこの曲が、全公演のトップで演奏され期待感はマックスに。オリジナルではリンドレーのフィドルが光る。「大洪水が起こるようなことをで書いて、少し後悔したこともあったよ。『これほど惨事を、何もしないでただ予測するだけでいいわけがない。大勢の人が流され死んでいくというイメージを抱かせて、混乱させていいわけがない』って思ったんだ。でも、だからといって、これをうたうのをやめたりはしないー同じことを考えている人は多いと思うんだ」と語っている。
映像は76年のもの。リンドレーのフィドルを弾く姿も。

9.For a Dancer

「火事で亡くなった友人(ダンサー)のために書いたんだ」とこの曲について語っている。デヴィッド・リンドレーのフィドルも美しい。76年の映像でもリンドレーの姿が。

10.Fountain of Sorrow

レコードではダン・フォーゲルバーグドン・ヘンリーJDサウザーがハーモニー・ボーカルを付けている。映像ではJD、ライ・クーダーと。

11.Late for the Sky

ジャクソンの中でも最人気の名曲だが、近年のライブではリクエストが多過ぎて辟易したのか敬遠気味だった。今回は躊躇いもなく毎回演奏してくれた。マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」の中でも印象的に使用さていた。

Pretender

スプリングスティーンの「明日なき暴走」をプロデュースしたジョン・ランドーがプロデュース。豪華ゲストが参加し彼から「ミュージシャンとの話し方を学んだ」と語っている。制作後に妻が自殺すると言う悲劇を乗り越えて、全米5位の大ヒットとなる。

12.Your Bright Baby Blues

ローウェル・ジョージがスライド・ギターとハーモニー・ボーカル で参加。チャック・レイニー (ベース) 、ジム・ゴードン(ドラムス)、ロイ・ビタン(ピアノ) と初参加のメンバーを起用。
映像ではリンドレー、そして亡くなったジェフ・ヤングの姿も。

13.Pretender

このアルバムのB面全てで叩いたジェフ・ポーカロのドラムスが冴え渡る。ポーカロについいては以下のコラムでも書いた。

そしてこの映像でも観れるデビッド・クロスビーグラハム・ナッシュの絶品のハーモニー。

14.Here Come Those Tears Again

後にMUSEの創設者となるジャクソンとボニー・レイットジョン・ホールが顔を揃えた。ホールの渋いギターソロが冴える。来日メンバーにも加わったボブ・グラウブ がベース、ジム・ゴードンのドラム、ビル・ペインのピアノ。ローズマリー・バトラーとレイットのハーモニーボーカル。3/28には漏れたが、別の日には一部の最後で歌われた。
映像は78年のツアーより、リンドレーにボブ・グラウブ がベース、ジム・ゴードンのドラム、クレイグ・ダーギーがKey、ローズマリー・バトラーがボーカルとレコードに近いメンバー。

Running On Empty

1977年にリリースされ、アルバムチャートで3位と最高位を更新。ライブアルバムと言う形態だが、バックステージ、ツアーバス、ホテルの部屋など、ツアーに関連する場所での録音も含み、全て新曲(カバー含む)と言う斬新な内容。クレイグ・ダーギラス・カンケルリー・スクラーダニー・クーチセクションが全員が揃い、そこにリンドレーにハーモニーでローズマリー・バトラーダグ・ヘイウッドが加わる豪華なバック。

15.Running On Empty

全米11 位に達し、ジャクソンの代表曲となる。今回もラストで演奏され、観客も総立ちに。
映像はHere Come Those Tears Againと同じツアーでメンバーも同様。

16 The Load-Out/Stay

コンサートの裏方達を讃えるLoud-out、そしてカバー曲のStayのメドレーでアルバムは閉じる。Stayでは珍しいリンドレーのボーカルも聴ける。当日はアンコールで演奏された。

Hold Out

1980年にリリースされ全米チャートで1位に達した彼の唯一のアルバムでもある。過去の作品と比して評価は低いが、前作の勢いで1位となる。前年79年に開催されたNo Nukesではスプリングスティーンと共演、ロックアイコンとして存在は高まるばかりだった。この後の来日公演は武道館となり、格が上がった感じだった。
クレイグダーギビル・ペインデビッド・リンドレーボブ・グラウブラス・カンケルと言う布陣で録音。

17.Call it a loan

デビッド・リンドレーとの共作。デヴィッド・リンドレー追悼として演奏された。
このアルバムを境にリンドレーはバンドを離れる。仲違いではなく、ソロとして翌年独立するため。しっかりとその作品(El Rayo-X)をジャクソンがプロデュースしていた。

World in Motion

1989年にリリースされた政治色の濃い作品、前作でも政治色の濃い傾向が見られていたが、本作ではアフリカの人種問題、米国の中米介入問題など政治的な主題を多く取り上げた。80年代は政治的な主張が目立ち、本作もチャートは45位とセールス的には振るわない時期が続く。

18.World in Motion

クレイグ・ダーギーとの共作この世界をよくするために行動しようと呼びかける曲で、ボニー・レイットがハーモニー・ボーカルを担当。

I'm Alive

93年リリース。ベンモント・テンチ(ハモンドオルガン)、スコット・サーストンマーク・ゴールデンバーグ(ギター)、ケビン・マコーミック(ベース) 、今回も来日したマウリシオ・リワーク (ドラム)と言う当時のジャクソンのバンドが殆どの演奏。この時期、女優のダリル・ハンナと破局したため私的で恋愛を主題とした方向に回帰、好意的に受け取られた。

19.I'm Alive

破局からの再起を歌ったと言われるI'm Alive(僕は生きている)。シングルカットされたこの曲はキューバのパーカッショニスト、ルイス・コンテを生かした明るく前向きな曲。3/28はリストには入らなかったが、ツアーを通じて概ね2曲目に入った。

20.Sky Blue and Black

Sky Blue and Blackジェフ・ヤングの葬儀でも歌われたそうだが、この日のハイライトのようにジャクソンのボーカルは心に響いた。この年齢でこの声は凄いと思った。Sky Blue and BlackLate for the skyから20年経過して生まれた屈指のバラードの名曲ではないか。レコードではヴァレリー・カーターがバッキング・ボーカルで参加。

Looking East

1996年リリース。本公演は先頃亡くなったリンドレーともう1人の盟友ジェフ・ヤングに捧げられたが、ジェフ・ヤングの起用は本作からだったから、25年以上の長い付き合いだった。

21.The Barricades Of Heaven

Barricades of Heavenは最近ではお気に入りの曲で前回、前々回も来日公演ではセットリストにあった。16歳の頃の若き日を回想する自伝的な作品。
この映像ではジェフ・ヤングと来日したマウリシオ・リワーク(ドラム)の姿も観れる。

The Naked Ride Home

2002年リリース。この盤から高校の後輩でもあるリンドレーの後継グレッグ・リースの参加が始まる。チャートの 36 位に達し、全盛期に及ばないが2000年代に入っても安定した人気を続けている。

22.Never Stop

あまりやらない曲だが、90年代の来日中に大阪公演のサウンドチェックでバンドがジャムしながら作った「日本生まれ」の曲らしい。

Standing In The Breach

6年ぶりの新譜として2014年リリースの「Standing In The Breach」ボブグラウブがベースに復帰、名手グレッグ・リースが本格参加し弾きまくっている。

22.Walls And Doors

ライブではリクエストを受けて少し自信なさげで記憶を辿りつつ、演奏できるグレッグ・リースのみを残して2人でのセットで演奏された。

23.The Long Way Around

イントロのギターはThese DaysNico版から借りたもの。歌詞にもThese Daysが織り込まれた。

ライ・クーダーとの共演映像。ドン・ウォズの姿も見れる。

Downhill From Everywhere

2021年にリリースされた目下のところ、最新アルバム。グラミーのベスト・アメリカーナ・アルバム部門で2022年にノミネートされた。グレッグ・リースヴァル・マッカラムのギター、ベースのボブ・グラウブ、キーボーディストのジェフ・ヤング、ドラマーのマウリシオ・リワーク等の長年のバック・バンドと共にロサンゼルスで録音された。

24.Downhill From Everywhere

タイトル曲は、人間がプラスティックに依存していることを直視し、海に及ぼす壊滅的な影響を考えるように問いかける。ジャクソンらしい社会問題を直視し、それを正面から問いかける。

25.Until Justice Is Real

Until justice is real(正義が本物になるまで)というジャクソンらしいメッセージソング。

26.The Dreamer

Dreamerは「幼少期に親に連れられて不法入国し、米国で育った若者を指す呼称」らしい。トランプ政権への抵抗の異を込めて発売された歌だったとのこと。メキシコ系バンド、ロス・センソントレスとのコラボレーション曲。ジャクソンとロス・センソントレスのEugene Rodriguezによる共作でジャクソンと彼らを引き合わせたのはリンダロンシュタット。デビューアルバムのRock Me On The Waterからの縁が今にまで繋がって、彼らの絆は切れることはない。

1977年3月の初来日公演から、これで彼の公演は5回目だ。初来日は神奈川県民ホール。まだ高校生で1人で初めて観たライブで、大人に囲まれてドキドキしつつ目撃した。
今は髭面で皺だらけの彼を見ながら、たまに若く初々しいジャクソンの当時の顔と重なり感慨深い思いだった。
当時の一曲目はTake It Easyで、今回はアンコールで歌われた。

前回(2017)、前々回(2015)はLate for the skyは封印し、有名曲もチラホラで最近のアルバムや地味な選曲が多かった。
観客の期待に応え過ぎるのを良しとしない姿勢だったが、今回は違った。
惜しげもなくヒット曲、人気曲のオンパレードで、ある意味吹っ切れたライブで、それにも増して74歳にして過去最高の歌声が聴けたことに驚いた。

シンガーソングライターから、堂々たるパフォーマーになった。

そして、いつもにも増して初期曲が多かった。
2枚目から4曲、3枚目から4曲。
最もデビッド・リンドレーと濃厚だった時を思い出すように。

最後にジャクソンとリンドレーの共演映像で終わりとする。


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