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Part.0-1【前編】フットボール界の"ドン・コルレオーネ"は、エヴァートンで成功できるか。カルロ・アンチェロッティにフォーカス!@BF


まえがき

小ネタにしては有名な話だが、カルロ・アンチェロッティのお気に入り映画は、泣く子も黙る『ゴッドファーザー』シリーズ。登場人物の数々の名言を覗いてみると、不思議とアンチェロッティの人間性や発言と重なる気もする。本人曰く、ゴッドファーザーの登場人物になったつもりで発言することもあるらしい…。画面越しに、彼の左眉が上がる癖は印象的で、「ちょっと不機嫌かな?」と推測する場面が多いが、アンチェロッティが気難しい人、と勘違いされる所以かもしれない。勿論、人に恐怖を植え付けたり、権力を振りかざし武器にするような人間ではない。一方で、「ファミリー」を大切にすることを挙げるならば、''ドン・コルレオーネ''と同じ、もしくは少し上くらいの魅力があるのではないか。アンチェロッティに纏わる書籍に触れた、読了後の率直な感想である。それでも、選手と監督という垣根を越えて、友人として、ファミリーとしての関係性を築いても、クラブで長く息が続くとは限らないのが、フットボール界における監督業の哀しい性である。

本稿は、イングランドプレミアリーグ、エヴァートンで2年目を迎えるカルロ・アチェロッティについて少し掘り下げてみた、いわば夏の自由研究である。ひとりのおじさんについて考えた夏を、読んでくださった方や、今後意見を交わす機会があれば、ぜひ共有し今季の糧にできたらと思う。

Part.1 アンチェロッティと私

「A man who doesn’t spend time with his family can never be a real man.(ファミリーを大切にしない奴は、決して本当の男にはなれない)」/ヴィトー・コルレオーネ

私がアンチェロッティと初めて出会ったのは、中学2年生の修学旅行前夜だ。睡眠よりも待ちに待った当日への楽しみが勝ったおかげで、まだ陽が昇らない時間帯から目が覚めてしまい、特に意図せずひっそりとテレビをつけた。

寝ぼけ眼でチャンネルを移すうち、満員のスタジアム、見慣れないチームと選手が画面にアップされ、思わずリモコンを押す指が止まる。04-05シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝、リヴァプール対ACミラン、通称''イスタンブールの奇跡''である。


実はこの試合がアンチェロッティとの初遭遇であるのと同時に、ヨーロッパサッカーをまともに観戦したのも初めてのことだった。

あれから時を経て、私はマージーサイドの青い方、エヴァートンのファンになる(デビューがイスタンブールの奇跡ながら、リヴァプールファンになっていないのは、今になって捻くれているな、と実感させられる)。そして昨年末、カルロ・アンチェロッティは愛するクラブの指揮官となった。

迫る2020-21シーズンに向けて、私はもっとアンチェロッティのことを知りたい、と純粋に思い始めた。いわば、僕にヨーロッパのサッカー、フットボールを与えるきっかけになった人物の1人だ。しかし、イスタンブールの奇跡以降、それ以上、以下でもなく私にとってのアンチェロッティは動かない時計の針のように止まっていた。いくらアンチェロッティがトロフィーを掲げていても、私もかつてはボールを蹴っては追いかけていた少年で、いつでも輝かしい選手のプレイに魅了されていたからだ。

記憶を辿ると、高校1年生だった2006年頃からエヴァートンを追いかけているが、まさかこの世界線に辿り着くとは思いもしなかった。あの頃の自分に説明しても信じないだろうし、何なら今現在もその不思議な岐路に納得がいっていない部分がある。アンチェロッティが来たのは、エヴァートンがCL常連チームになったからか?当時で言う、ビッグ4に肩を並べたからか?違う。それとも、アンチェロッティはトレンドから見放された"過去の人"になったから?

優秀なオーナーやディレクターが就き、プレミアリーグの恩恵を受け、リヴァプールの街を盛り上げるべく新スタジアム建設のプロジェクトが進行するなど、思わず明るい将来を期待する。だが、いざチームの成績に目を向けると未だ''らしい''エヴァートンのままだ。

それも一興ではあるが、高校生の自分に何故アンチェロッティがやってきたかを十分に説明できない。そんな機会はないのだけれど、勿体ない気持ちが募るのだ、もっと楽しまないと。幸いにも、アンチェロッティクラスの人物ともなると、日本でも彼に関する書籍が日本語訳されて手に入れることができる。これまでのエヴァートンでは体験できなかったことで、私は衝動的にAmazonで格安になっている古本、過去の雑誌などに手を伸ばした。アンチェロッティは何を求め、もたらそうとしているのか――。ヒントを探る。

Part.2 アンチェロッティと''4-4-2''

「I want you to use all your powers and all your skills.(お前の持つ力と技術の全てを使ってほしい)」/ヴィトー・コルレオーネ

アンチェロッティは、稀代の戦術家、アリーゴ・サッキに師事することから指導者のキャリアを始めている。輝かしい経歴のスタートはサッキのアシスタントを始めたイタリア代表からだが、後に故郷の都市クラブであるレッジャーナの監督としてデビューを飾る。その当時から採用しているのが、プレッシング戦術を用いたフラットな4-4-2のシステムだ。サッキの元で選手として、そしてイタリア代表のアシスタントとして、1番理解のあるシステムだった。

失礼ながら私はレッジャーナというクラブを知らなかった。かろうじて、中村俊輔が海外挑戦に選んだレッジーナの名を知る程度で、レッジャーナは全くの別クラブ。調べてみるとレッジャーナの本拠地であるレッジョ・エミリアは、日本人も馴染みのあるパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズの有名な産地だった。

アンチェロッティは、前年2部に降格したレッジャーナを就任1年目で1部に引き戻し、翌年に当時はセリエAの強豪だったパルマに引き抜かれた。この年から、アンチェロッティは行く先々でワールドクラスのタレントたちに恵まれることになる。

しかし、初のセリエA及び青年監督としてのパルマでの経験で、システムに固執した戦い方や、システムありきの選手、という偏った考え方を持っていた事に対し、今でも後悔していると述べている。

『あの年のパルマは傑出したクオリティを備えたトッププレーヤー数人を擁するバランスの取れたチームだった。当時の私のサッカー観が、チームの攻撃的なポテンシャルを多少なりとも制約した部分はあったと思う。そのことは私のキャリアにおける心残りのひとつだ。--具体的に言えば、ジャンフランコ・ゾーラという偉大なプレーヤーを技術的、戦術的に十分に活かしきれなかったことがそれだ。--私は様々な解決策を試したが、4-4-2というシステムそのものに手を付ける可能性を最初から除外していたのだ。』<アンチェロッティの完全戦術論>より

本来、ファンタジスタとしてトップ下でこそ輝くゾーラをアンチェロッティは4-4-2のサイドハーフで使い続けた。ゾーラ本人もこれには納得がいっておらず、次の年にチェルシーへと移籍した(後にチェルシーのレジェンドへ…)。加えて、パルマは後釜にロベルト・バッジオの獲得を試みたが、アンチェロッティが4-4-2のトップ下を置かない戦術を変えない方針だと知ると、バッジオは自分の場所はないと判断し、その話は破談となった。

それでもパルマではユベントスに次ぐ2位という好成績を収め、監督キャリア2年にしてチャンピオンズリーグの切符を手にしているのだから、アンチェロッティの答えが間違っていたとも言い切れない(当時の在籍は、クレスポ、キエーザ、ブッフォン、カンナヴァーロ、テュラム、センシーニなど…改めて知ると恐ろしい面子である)。

19-20から率いているエヴァートンでも、ベースとなるシステムは4-4-2だった。シーズン途中での就任ということもあり、チームを分析しながら戦う姿勢が垣間見えた。アンチェロッティという大物ともなると、すでに多くのフットボールファンがあらゆる形で分析をしている。容易く情報を手に入れられるのは有難いことで、試合を見る着眼点としても非常に助かっているのが正直なところ。

☆エヴァトニアン界隈ではお馴染み、まえだのま(@bartolo1315)さんは、アンチェロッティのデビューマッチvsバーンリー、中断明けのマージーサイド・ダービーとvsスパーズ戦を分析。ベースの4-4-2から、SHの役割やビルドアップ時の可変スタイルなど、要所に絞って解説されており、有難い限り…。既存ファンはお世話になっている方も多いはず?

☆上記動画では、アンチェロッティがエヴァートンに就任してからの序盤数試合を振り返り、簡潔に紹介してくれている。YouTubeチャンネル「Tifo Football」はいつも見やすいイラストと音声解説で、英語が苦手でも頭に入りやすい。

アンチェロッティは、他にもPSGやナポリにおいても同じくフラットな4-4-2を採用した機会があった。

☆時折拝見する、とんとん(@sabaku1132)さんのブログ(鳥の眼)を参考にさせていただいた。現在のエヴァートンに通ずる動きを垣間見ることができ、現在発刊済みの書籍ではバイエルン時代や、ナポリ時代はカバーされていない為、貴重な分析だ。"釣瓶の動き"は、昨季リシャーリソン&DCLにも頻繁に見られ、SBを1列上げて3バック化させるビルドアップなど、前所属チームともあってリアルに感じられる。

数々のクラブにおいて経験した、とりわけパルマでの''心残り''が次のユベントス、ACミランで活かされていく。固執していた4-4-2からの気づきと、2年間の監督経験が、より選手の特徴を活かしたシステムへ還元されていることは間違いない。チーム状況、所属する選手の個性、クラブの方針、対戦相手のとの力量差や、あらゆる要素が混ざり合った中で最適解、答えを模索している。

Part.3 アンチェロッティの"プランB"

「If anything in this life is certain. if history has taught us anything. it’s that you can kill anybody.”(この世で一つだけ確かなことがある。歴史もそれを教えてくれている。それは人は殺せるということだ)」マイケル・コルレオーネ

監督の采配一つで、選手本来の能力、特性を殺してしまうケースもある。あるいは、一人の意思が先走ったり、誰かひとりを特別扱いすることで、チームを崩壊させてしまう可能性もある。

『監督がどんな戦術を選ぶかを決める最大のファクターは、チームにどんな選手がいるかであり、監督自身の理想や戦術思想ではない。――チームの中で最も質の高い、中心となるべき選手が持つ資質やキャラクターも、チーム作りには大きく影響する。その選手を活かすことが結果を出すための最良の道ならば、そうするのが監督としての正しい選択というものなのだ。』<アンチェロッティの戦術ノート>より

・ミランとチェルシーの4-3-2-1⇔4-3-3から窺う共通点

『この布陣は中盤で数的優位の状況を作りやすくなるため、ボールポゼッションを保って主導権を握り、試合をコントロールする戦い方に有利だ。また、中盤と前線の間に2人を置くことで、敵の2ライン間を使いやすいというメリットもある。』※09-10 25節アーセナル戦にて、クリスマスツリーの布陣で挑んだ。<アンチェロッティの戦術ノート>より

4-3-2-1システムでは、基本的な布陣において4つのラインを持つことができる。4-4-2における3つのラインとは異なるライン間の利用が可能だ。特にトップ下(2シャドー)は、相手のDFラインとMFのライン間に入り込みやすい。また、サイドにトライアングルを形成することで、トップ下、インサイドハーフ、サイドバックがポジションチェンジなどを伴いながら、意外性に富んだ仕掛けを生み出すことができる。
同時に、サイドアタックはほとんど、サイドバックの攻め上がりに依存し、ビルドアップでの貢献、高いラインに位置することなどを踏まえ、実質サイド攻略の重要なキーマンとも言える。ミランではカフーがその役割を担い、攻撃時の推進力と迫力をもたらした。最も、カカやセードルフ、ピルロら唯一無二な選手がいてこそ存分に発揮されるシステムだ。

09-10シーズンでプレミアを制したチェルシー。アンチェロッティは4-3-3の他、4-3-1-2など、中盤を支配することを目的としつつ、ミランと同じくサイドバックの攻め上がりを基調とした攻撃方法を採った。アシュリー・コールの力強い攻め上がりは勿論だが、相手左サイドに強烈なアタッカーがいる場合はイヴァノビッチでバランスを保つ。対戦相手によって、ベレッチやボシングワといった、攻撃性能に優れた選手も起用した。

一方、チェルシーでも就任序盤に採用経歴のある4-3-2-1クリスマス・ツリーでは中央に絞りすぎた2人のトップ下(アネルカ、マルダ、J・コールら)により、ランパードやデコ、バラックが入り込むスペースを失う、といった誤算も招いている。ランパードの本来の魅力が損なわれいていることに気づいたアンチェロッティは、マルダがよりワイドに幅を取るように動き、ランパードがそのスペース(ハーフスペースやバイタルエリア)に飛び込む、という攻撃手段へ切り替えた。

サイドからのコンビネーションは、4-4-2同様、アンチェロッティの得意としている攻撃手段だ。そして、4-3-2-1と4-3-3(4-1-2-3)はトランジションの中で相互に可変しどちら側にも装うことができる。

ミラン、チェルシーどちらにおいても中盤でボールを支配したい時には4ラインの4-3-2-1は有効な采配だった。中盤の豊富なタレントあってこそのシステムではあるが、4-4-2が積極的なプレッシングによる組織的守備でコンパクトな陣形を保てる一方、傑出したタレントを更に生かす術として、4-4-2をアップデートさせたのが4-3-2-1(4-3-3)だった。

・バイエルンとナポリの経験から窺う共通点

バイエルン時代とナポリ時代にも共通点がある。それは、いずれもポジショナルプレーを戦術基盤とした監督が作り上げたチームをアンチェロッティが引き継いだことにある。当時ブンデスリーガにゼロから哲学を持ち込み、「偽サイドバック」やそれに伴い、アンダーラップで攻め入る攻撃を体系化させたバイエルン、ペップ・グアルディオラ。ナポリではピッチを広く使ったサイドチェンジ、長短のパスを織り交ぜ、華麗なパスサッカーを魅せたサッリのチームだった。

※サッリ、アリーゴ・サッキ、グアルディオラ

冒頭にも述べたが、アンチェロッティはサッキの元でプレッシングサッカーを学んだ人間だ。グアルディオラとは、少々異なるタイプの監督である。バイエルンでは、システムこそグアルディオラから引き継いだものを使い、初年度は結果を収めたが、更に自分のカラーに染めていくことを推し進めた。後に、それは古典的と揶揄されたり、その手法に疑念を抱く不満分子を抱えることとなった。ベテランを重用するスタイルも批判を浴びた。

ナポリの1年目においては、この経験を活かしてか、サッリが築いたシステムを残しながら、戦い方は大きく変えない入り方を見せた。が、何より大きい変化は、ナポリ躍進のメカニズムにおける中枢神経だったジョルジーニョがサッリとともにチェルシーへ移ったことだった。その次善策としての一手がハムシクのアンカー起用。バイエルンでもチアゴをアンカーからトップ下へコンバートする手を打っている。ピルロ、ディ・マリア、チアゴ、ハムシク…キープレイヤーをコンバートするアプローチは、アンチェロッティの十八番ともいえる手段の一つかもしれない。


・さて、最近のエヴァートンでは?

先日のプレシーズンマッチvsプレストン戦から。惜しくもゴールにはならなかったが、4-3-3アンカーに実験的にコンバートされたシグルズソンからインサイドハーフのベルナール、RSBの高い位置を取るケニーの鋭いランからリシャーリソンのフィニッシュ、迫力のあるシーンだった。実際、シグルズソンがボランチの位置で起用される機会は昨シーズンによく見られたが、4-3-3のアンカーを務めることは予想していなかった。出場機会はどれほど与えられるのか…。

相手が下部リーグのチームとはいえ、こういったシーンが生まれるのは非常に楽しみな状況だ。今夏の移籍市場で中盤のタレント力は別物になった。昨シーズン同様の4-4-2で挑む可能性もシーズン中では考えられるが、新たな”プランB”をエヴァトニアンは待ち遠しく、各々が頭に浮かべて期待を膨らませている。

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前編はここまで、続きは後編にて。

BF




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