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「ラファ・ベニテスの肖像」月刊NSNO Vol.1 / エヴァートンFC ブログ


「ラファ・ベニテスの肖像」
月刊「NSNO」Vol.1 / エヴァートンFC ブログ
 (2021年7月号) Written by BF

エヴァートンが舵を切った、
ファンの望みとは異なる方へ。
新たに迎えた戦術家は
険しく厳しい環境に置かれている。

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はじめに

さらにエヴァートン・ライフを楽しみたい方々へお送りする、月刊「NSNO」をスタートします。
初回は、21-22シーズンよりエヴァートンに就任した新監督、ラファエル・ベニテスにフォーカスした特集をお届けします。

記念すべき初回のテーマ、何が相応しいかと思考すると、私の気分は徐々に落ち込みました。
それほどにこの1ヶ月は、考えなくても良かったことを考えさせられ、理想や浪漫は綺麗事にすぎず、ひたすら現実を突きつけられる思いでした。

はい、初回から暗すぎますね。
このままではただの陰鬱なポエムブログに終始してしまいますので徐々に切り替えていきましょう…。

前提として、これまで私はベニテスを詳細に追って来ませんでした。「イスタンブールの奇跡」で認識して以降、初めて興味を持つこととなりました。そのため、リアルタイムに彼が率いたチームを分析したことはありません。

退任したアンチェロッティ同様、実績のある人物です。故に、過去に取り上げられたニュース、分析、文献、ダイジェスト動画などは多数存在しており、私なりの解釈、考察をまとめた形です(今回頼りにした参考文献は本稿の最下部にて残しております)。

まず、ラファ・ベニテスという監督について、皆さんの印象はいかがでしょうか。
過去の人、時代遅れ、キャリアの下り坂、いくつかの失言、スターとの確執、ライバルクラブの経験…、ネガティブな触れ書きが目立ちますね。しかし、正直なところ、知らない事もたくさんあります。

ただ、はっきりと言えるのは、エヴァートンというクラブは大株主ファルハド・モシリの手中にあります。ウスマノフの影響もここへ来て加速的です。この2人と手を組み、仕事に臨む姿勢を見せたのがベニテスです。

サブスクですが、TheAthleticの記事より。今回のアンチェロッティ退任からベニテス契約までの舞台裏はこちら。

就任する前から、多くの批判に晒された戦術家。
噂が広がり始めた頃から、ファンはクラブの進もうとする方向に拒否反応を示し、その勢いは強まり続けました。一部の出来事では、ファンとは呼べない恥ずべき行動も発生しました。
しかし、6月の終わりに近づいても監督候補のリストに新たなアイデアは生まれません。覚悟が必要とされた辺りから、現地のファンベースや識者、マスコミの報道は異なるフェーズに突入した印象です。

まずは、忍び、耐えて、新監督を見届ける、
ファンとして支え、実際のフットボールを見て判断するべきだと…。
言い換えるなら、もう私たちにはそうすることしかできない、という状況です。

本来、期待していた流れなら
「Bienvenue! 知将ガルティエ イケオジの魅力とは」
とか…
「レッドブル・エナジー注入、ラングニックが翼を授ける」
とか…
そんなダサいタイトルを考えながら、別の世界線で私はウキウキと記事を書いていた事でしょう。

「ベニテスってどうなのよ?」

というのが、私のざっくばらんな本音です。
ファンの声が届かない事を知り、叶うのはモシリの一声です。ブラムリー・ムーア・ドックへと続く一貫した道のりにファンは置き去りにされたような気分です。
残念ながら、既に以前から誇り高き"People's Club"はそんな風に歩んでいます。私たちの目には後退しているように見え、クラブの首脳陣にとっては前進しているのです。心待ちにするリーグでの勝利に、モシリのニヤリ顔が浮かび、私たちが敵意や嫌悪感を抱いているのが不思議になってきますよね。

エヴァートンが分岐点に立ち、今季どのように楽しめばいいのか、ベニテスってどうなの?と疑問に思うファンの方々は多いはずです。何か役に立てないかと考えました。私自身も疑心暗鬼で釈然としない中でしたので、同じ心境にある方へ、21-22シーズンのヒントを産むことを目標として、今回の第1号に臨みたいと思います。

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Profile

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フルネーム:  Rafael Benítez Maudes
生年月日: 1960年4月16日(61歳)
出生地: スペイン マドリード
国籍: スペイン
身長:175cm
エージェント:マヌエル・ガルシア
オフィシャルWEBサイト:

公式ホームページなどを物色すると、ベニテスご自身で記事を寄稿することがしばしばあるようです。自らの言葉で綴られる、ニューカッスルを離れた舞台裏なども…。エヴァートン就任にあたっての挨拶、決意表明も未見の方は是非。

それではまず、彼のキャリアから触れていきましょう。

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Chapter.1
選手として

現役時代のポジションは主にDFでした。

特別、プロフットボーラーとして輝かしい成績や栄光を手にしたわけではありません。

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在りし日の、若きベニテス(左)。イケメンですね…

マドリードで生まれたベニテス、父も同じくマドリードの出身。熱狂的なアトレティコ・マドリーのファンだったといいます。そして母はレアル・マドリー一筋とのこと。大連一方を支える、アトレティコと同じワンダ・グループに惹かれたのはあながち偶然ではないかもしれません。

ベニテスは13歳でレアル・マドリードCFに入団し、少年時代からユースやアマチュアチームを経て20歳まで様々なチームでプレーしました。
1977-78年にはスペインユース選手権で優勝、1979-80年にはスペインアマチュアカップで準優勝を経験しています。

1979年にメキシコで開催されたユニバーシアード競技大会に参加。しかし、膝を負傷してしまいます。これが起因してセカンドチームのレアル・マドリーB/カスティージャにたどり着くことができませんでした。その後、ADパーラに移籍し、1981年から1985年までの4シーズンをプレー。その間に3部リーグのチャンピオンになり、セカンド・ディビジョンBへの昇格を勝ち取りました。

彼を悩ませていた膝の故障が再発し、引退する前の最後のシーズンである1985-86年には、同じくスペインのクラブ、CFリナレスでプレー。ここで、選手としてのキャリアに幕を閉じました。弱冠、26歳の頃でした。

しかし、この早すぎる選手人生の終幕は、監督としてのキャリアを歩む、大きな幕開けでもありました。

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Chapter.2
監督として

▼苦難の下積み時代

選手として上手くいかなかったベニテスを拾ったのは、幼い頃から繋がっていたレアル・マドリーでした。チームのコーチングスタッフに招かれ、クラブのU-19チームとリザーブチームを指揮し、トップチームのアシスタントマネージャーも努めました。この当時、レアル・マドリーを率いていたのは、無敵艦隊を長きに渡って導いたビセンテ・デルボスケでした。彼の元で監督としてのノウハウを学んだベニテスは、1995年にマドリーを離れます。

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最初に監督として招かれたのはバジャドリード。
スタートは決して安泰ではなく、リーガ・エスパニョーラで23試合中2勝しただけで解雇され、続く同じ1部リーグのオサスナでは最初の9試合で1勝しただけで解雇されるなど、不遇の時代を過ごしました。
1997-98年のシーズン末には、エストレマドゥーラを率います。ようやくある程度の成功を収めたといいますが、残念ながらチームの人数も予算も少なく、エストレマドゥーラで生き残れる可能性はほとんどありませんでした。
降格プレーオフに敗れて2部リーグへ戦いの舞台を移しましたが、再び昇格するためにチームに留まることなくその任務を終えました。

このタイミングで、ベニテスはもっとフットボールについて学びたいと考えます。1999年に1年間の休暇を取り、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、イタリアでトレーニング方法を学びます。
その後、満を侍して2部のテネリフェに戻ったベニテス。2000年から2001年にかけて、彼の最初のシーズンでカナリア諸島のクラブをリーガ・エスパニョーラに昇格させることに成功しました。ここまで無名だった監督としての評価は高まり、大きなクラブは彼の成長を見過ごしませんでした。興味を示すのはほぼ必然だったほどに。

彼に目をつけたのはバレンシア。このビッグクラブは有名な候補者を探しましたが、最終的にベニテスを選択します。

▼名声を高めたバレンシア時代 2001〜2004

ベニテスはバレンシアで2001-02シーズンと2003-04シーズンにリーグ優勝し、2004年にはUEFAスーパーカップを獲得しました。この活躍が彼の評価を確実なものとし、後のリヴァプール就任へと繋がります。


ベニテスがバレンシアにやって来たのは2001年のこと。ひとつ挙げたいのは、彼はチームをゼロから築き上げたわけではなく、前任のエクトル・クーペルが鍛えた土台があったことです。クーペルはバレンシアを2年連続でチャンピオンズリーグの決勝へ導き、惜しくもバイエルン・ミュンヘンとマドリーに敗れはしましたが、短い期間で古豪バレンシアを引き上げました。即ち、当時のベニテスに課された任務はリーグ優勝。そして、チームを自分のシステムに落とし込み、見事その期待に答えた形です。

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2001-02、ベニテスのバレンシアはリーグ覇者でありながら、得点数51と決して華やかなフットボールではありませんでした。しかし、忠実で勤勉な選手を最大限に活用。守備の構築に長け、コンパクトな陣形と果敢なプレッシングでクリーンシートを連発。「1-0の達人」と呼ばれるほどでした。
2003-04シーズンも更に精度を高めます。

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古巣テネリフェから連れてきたマドリーのカンテラ出身、ミスタはバレンシアで才能を開花させました。加えて、カニサレスやアジャラといった最盛期の堅実なスター。そして、多くのフットボールファンを虜にしたパブロ・アイマールを主軸に、失点数は同じながら、得点数を20もアップし、再びスペインの頂点に返り咲きました。

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実にバレンシアのタイトル獲得は30年以上ぶりのことでした。

しかし、ベニテスは補強戦略で上層部と折りが合わずバレンシアを離れる決断をします。その後、バレンシアに多大な資金が提供されることを知らされておらず、後にダビド・ビジャや、ダビド・シルバが入団することになったのは皮肉な話です。

これが引き金となり、リヴァプールへの移籍が生まれることとなります。

▼名実ともに欧州の頂点へ。
しかし、リーグタイトルは獲れず、
徐々に関係が悪化したリヴァプール時代。2004〜2010

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少しずつ、私の知識が追いつき始める時期に突入し、私自身の海外サッカーライフもこの辺りから始まります。
ベニテスがリヴァプールに就任した年、2004-05シーズンは「イスタンブールの奇跡」が生まれた年でチャンピオンズリーグを制したことは有名です。一方でプレミアリーグを5位でフィニッシュ。そのひとつ上には、我らがエヴァートンが4位でシーズンを終えました。モイーズが頭角を表し始めた頃ですね。

併せて触れますと、就任当時のリヴァプールの目標はスティーブン・ジェラードを引き止めること。一方で、シーズン始めには、エースのマイケル・オーウェンがレアル・マドリーへの移籍を決めました。
ベニテスはリヴァプール就任にあたり、スペインからシャビ・アロンソ、ルイス・ガルシアを連れてきました。故郷から自分の理想とする選手を加えます。冬にはマドリーからフェルナンド・モリエンテスも呼びましたね。

2010年までリヴァプールで勤めましたが、ヨーロッパの栄冠やFAカップを勝ち取るなど、リーグ以外では輝かしい成績を残した中、プレミアリーグでは優勝へ導くことができませんでした。

リヴァプールで身を固め、更なる将来を見据えるベニテスでしたが、ターニングポイントは2007年。

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アメリカからトム・ヒックス、ジョージ・ジレットという投資家がやってきます。リヴァプールは当時、アメリカの資本家に買収されたプレミアリーグで3番目のクラブとして、新たな道を歩みます。

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フェルナンド・トーレス、ヨッシ・ベナユン、ハビエル・マスチェラーノ。ベニテスも望んだビッグネームがリヴァプールにやってきましたが、既にこの頃から移籍市場における監督の主導権は無くなりつつあったのではないでしょうか。

当時のステータス、''ビッグ4''の一員だったリヴァプールが順位を落とし始めると、ファンベースが一帯となって、クラブの運営に対し講義を続けました。無理矢理だった、アンフィールドを''捨てる''新スタジアム計画も要因の一つです。基本方針は健全な経営であり、クラブ側には無駄な出費を抑えた、身の丈にあった振る舞いを求めました。クラブ規模は違いますが、なんだか今のエヴァートンを髣髴とさせるような…。
後の彼らの嫌われ方は、現在のエヴァートンに通ずるところがあるかもしれません。一部の心ないファンからは脅迫的なメッセージや警告が送られました。

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選手獲得を巡る、ヒックス&ジレットとの対立で有名なのは「バリー問題」。当時はアストン・ヴィラの主力で、奇しくも数年後にエヴァートンで活躍するギャレス・バリーさんですね。
ベニテスが希望する補強戦略と、反対するクラブの歪みは巨大化。結局、ジェラードが「引き留めるべき」と声をあげたシャビ・アロンソを放出。ターゲットのバリーも獲得に至らず、マンチェスター・シティへの移籍が確定しました。他にも、ステファン・ヨベティッチ、マシュー・アップソン、そして当時ポーツマス所属で元エヴァートンのシルヴァン・ディスタンらを所望しました。

ベニテスは在籍最終年にヨーロッパを逃し、7位でシーズンを終えます。
リヴァプールは紆余曲折を経て、ヒックスらと決別。現在のジョン・ヘンリーに繋がっています。2010年にクラブを買収したフェンウェイ・スポーツ・グループ(FGS)のオーナー(当時は前身のニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)であり、ESL構想の騒動後にクラブを代表して謝っていたお爺ちゃんですね。

リヴァプールの2010年の成績は、チャンピオンズリーグに出場するクラブであるプレミアリーグの「ビッグ4」のメンバーではなくなったことを意味しました。ベニテスは、最後まで誇りを持って反抗し、リヴァプールを離れるつもりはないと主張し続けましたが、クラブと首脳陣に疑念を抱きはじめたサポーターと、1年前にサインしたはずの長期契約延長は意味を成さず、退任する運びとなりました。


ベニテスの輝かしいスタートで始まったマージーサイドでの治世は6シーズン後に終幕。この時代は、栄光の日々が本当にアンフィールドに戻ってきたという希望から始まりました。悲しいことに、2007年にクラブの所有権が変更され、あらゆる問題が発生。最終年から過去4年間はトロフィーがなかっただけでなく、クラブと共にベニテスの立ち位置も崩れていくこととなりました。

そして、解任されてから1週間も経たないうちに、ベニテスはヨーロッパチャンピオンに輝いたインテルミラノの監督に任命されました。

▼不遇と不振のインテル時代。2010
サポーター反発のチェルシー暫定監督。20122013
いずれも立ちはだかったのは''スペシャル・ワン''の影

バレンシア、リヴァプールで名声を高めた後、インテルでの監督生活は不本意なものでした。

ジョゼ・モウリーニョがヨーロッパ制覇へ導いたインテル。懐かしいですね。

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リヴァプールでヨーロッパを制したベニテスが就任することは、再び世界のトップクラブにのし上がったインテルにとって、期待と不安の入り混じる監督交代だったでしょう。
ベニテスのインテルは、残念ながらスタートから躓き、期待は収縮、疑念が膨らむ入り口となりました。
記念すべき最初のタイトルをかけたUEFAスーパーカップでアトレティコ・マドリーに大敗。

しかし、1度の試合で全てが決まるわけではありません。ベニテスは、昨シーズンのインテルの得点王であるディエゴ・ミリートが怪我で離脱していたにもかかわらず、状況を一変させました。ベニテスはサミュエル・エトーに、より中央での攻撃的役割を与え、数ヶ月の間に、昨シーズンの自身得点数を上回る効果をもたらしました。ところが、チームとして攻撃の連動性を見た時、ミリートを欠いた攻撃は控えめに言っても薄かったといいます。

インテルは試合に勝ち、セリエAで首位に立ったこともありましたが、生命線である守備の精度が維持されず、主力の相次ぐ離脱に下降線を辿ります。
インテルの調子はすぐに落ち込み、スタンコビッチ、チアゴ・モッタ、ワルテル・サムエルなどの選手が負傷。さらにエトーが相手選手に頭突きをして出場停止になるなど、インテルは以前とは違った姿になってしまいました。
連鎖は止まらず、ジュリオ・セーザル、ザネッティ、マイコンも負傷するなど、モウリーニョの元で3冠を達成したメンバーは頼りなく、非常に無謀な状態となりました。

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インテルは冬にクラブ・ワールドカップで優勝を果たしましたが、評価が上がることはありません。リーグ戦の絶不調により焼け石に水の様相。首位のミランと勝ち点差では突き放され、当初の期待とはかけ離れたポジションを推移。

ここでベニテスが更に不遇の扱いを受けた要素として、当時のクラブトップ、マッシモ・モラッティからの援護を十分に受けられなかったことにあります。
クラブはあくまでも3冠達成のメンバーを重視し、新たな補強の噂にノーコメントを貫きました。

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ベニテスはフィリペ・コウチーニョやビアビアニーなど、現有戦力の若手を用いることで状況を乗り切るしかありません。ベニテスは、依然モラッティに選手の補強を求め、それがないなら辞任する、と切実な発言を繰り返します。これがモラッティの逆鱗に触れ、不本意な形でインテルを離れることに

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チェルシーへの暫定就任までには
約2年の月日が流れます。

チェルシーへ、ディ・マッテオの後継ぎとして任命された頃の情報を探ると、今回のエヴァートン就任に当たる批判と似通った点が散見されます。過去にライバルクラブに対する見下した発言、そのライバルクラブへの就任。しかし、あくまでも暫定監督だった立場を考えると、エヴァートンの方が深刻な重みを感じざるを得ません

そして、インテル同様、ベニテスの立場を苦しめたのは''スペシャル・ワン''こと、ジョゼ・モウリーニョの存在でした。

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ベニテスがチェルシーで収めた成功を振り返ると、2年という無所属の期間がありながら勝ち取ったEL優勝は誇らしいものだったはずです。
リヴァプールで共に戦ったF・トーレスをチェルシーで復調させたのも、トーナメントを勝ち抜く上で欠かせないポイントでした。
しかし、ファンにとっても、アブラモビッチにとっても、彼の存在はあくまでも暫定監督。
ベニテスにとっては半年間の任務に過ぎませんでしたが、それ以上のなにかをチェルシーで得ることはありませんでした。本人も、ブランクを経て次のステップに移るには十分な証明だったかもしれません。
それでも、ファンの理想像には''スペシャル・ワン''が思い浮かび、決して求められた人物ではなかったのです。
もし、ベニテスがエヴァートンで成功を収められたとき、私たちはどんな気持ちを抱くでしょうか。
最も、エヴァートンはプレミアリーグでリーグやカップを勝ち取るまでに至っていません。しかし、批判と疑念が蔓延る中で、何かを成し遂げた時、あるいは失ったとき、エヴァトニアンが各々に思い浮かべる顔はいったい誰でしょうか。もしくはベニテスが前例を作り、エヴァトニアンが信頼を置く人物となれるのか、結末は分かりませんが、いずれにせよ厳しい環境に晒されて戦うことは間違いありません。

▼リベンジのセリエA、
得意技スペイン化導入のナポリ時代。2013〜2015


ナポリは2012-13シーズン、セリエAを2位で終え悲願のチャンピオンズリーグ出場権を獲得していました。前任はワルテル・マッツァーリ。インテルへ渡り、のちにワトフォードでプレミア進出を果たした監督ですね。今夏、エヴァートンの監督候補の1人でもありました(勧めたのはブランズらしい…?)
マッツァーリは2009年からナポリを率いて強豪としての威厳を取り戻しました。コッパ・イタリアも制しています。
そんな彼の後任として迎えられたベニテス、契約期間は2年。ナポリオーナーのデ・ラウレンティスはこの2シーズンを「ハイレベルだった」とし、現地ではベニテスの戦術面に関して、多くの指導者、育成年代のコーチ等から高い評価を受けていました。

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マッツァーリの定番3バックを撤廃し、鉄板の4-2-3-1導入と、スペイン語圏からの選手獲得を実行。絶対的エースのエディンソン・カバーニをPSGに明け渡しましたが、売却金とラウレンティスの力を借り、163億円の大補強。目玉となったのはマドリーからゴンサロ・イグアイン、ホセ・カジェホン、ラウール・アルビオルを招聘。他にもドリース・メルテンスやリヴァプールからはペペ・レイナも…。
エヴァートンではモシリらと共に、誰を売り、何処まで散財するのか…彼らの判断に対し、既にビビっている次第です。

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結果から見てみると、初年度にコッパ・イタリア優勝、リーグは3位、2014年12月にはユベントスを下し、イタリア・スーパーカップも手にしました。内容は上々…とも受け取れますが、ファンからすると満足いくものではありませんでした。莫大な投資をしたにも関わらず、リーグ順位は1つ後退、チャンピオンズリーグでは予選で敗退を喫し、ヨーロッパリーグはPSVに対し連敗、続くウクライナのドニプロにも敗れ2位でグループ突破するも、ノックアウトステージではチェコのプルゼニ相手にホーム&アウェイで惨敗。残念ながらベスト32にとどまりました。

契約期間が更新されることは無く、2年の月日が迫るにつれチームのパフォーマンスも低下していきます。
ビッグクラブに対して善戦するも、同格に対し勝ち点を落とし、格下相手に引き分けるなど一定したレベルを保てませんでした(エヴァートン?)。

この頃から、ベニテスの多用するローテーション、スターティングメンバーの選択、チームの中心であるハムシク外しなど…批判の対象となる要素も確かに増えていました。特に目立ったのは、ローテーションが繰り返される一方で、新しいシステム及びフォーメーションをほとんど試さなかったこと。あくまでも4-2-3-1に固執する姿勢を貫きました。
加えて、現在ではスターのカリドゥ・クリバリやジョルジーニョはまだ若手の部類であり、才能は確かながら経験値の低い選手でした。
マッツァーリが手にできなかったものを手にするためにやってきたベニテスでしたが、ベニテス自身も新たな成果をもたらすことは出来ませんでした。

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ベニテス解任後、エンポリから移ったマウリツィオ・サッリがナポリを更に魅力的なクラブへ変貌させたのはこの後のことです。人々の記憶に残ったのはどちらなのかよく分かりますね。

そして…かねてから噂されていた''白い巨人''レアル・マドリーへの正式な就任が決まります。
現在のエヴァートンと同じ経路でありながら、そのハードルの高さ及びカルロ・アンチェロッティの後を継ぐという任務は、並大抵の環境ではありませんでした。


▼カルロ・アンチェロッティの後任。
批判、確執、歓迎されなかったマドリー時代。2015〜2016

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アンチェロッティとベニテスの違いの一つとして、選手との距離感を挙げたいと思います。

行く先々のクラブで「ファミリー」のような関係を築きたいアンチェロッティ(今やその説得力は薄まりましたね…)、「監督と選手」というよりも一歩踏み込んだ距離感を意識しています。全員の選手にできるだけ歩み寄り分け隔てなく接することで有名です(先月、ジョシュア・キングが文句を暴露してましたが…)。マドリーにおけるアンチェロッティへの選手からの親しみ方は、監督と選手といった繋がり以上のものがありました。アンチェロッティ退任が濃厚になると、選手ら自らフロレンティーノ・ペレスへ抗議の声明(SNSを通して)を出したほど。セルヒオ・ラモスやクリスティアーノ・ロナウド、そしてハメス・ロドリゲスらも熱く支持のメッセージを送りました(エヴァートンではティエリー・スモール君以外みなさん無反応…)。

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一方のベニテスはアンチェロッティと真逆と言っても差し支えないでしょう。
選手とは距離を置き、「監督と選手」という関係性がそれ以上、以下になることもありません。日常的に選手と過ごし仲を深めるわけではなく、常に試合を分析し、対戦相手の研究を行い、プランB、C、Dを練ることに必死でした。強迫観念すら漂うほど。あのジェラードでさえ「距離があった」と語り、「それが成功への適切な関係だった」と振り返っています。
この"距離感"をベニテスがどのように使い分け、ポリシーを貫いているのかは定かではありませんが、少なくともマドリーでは冷徹・冷酷な姿勢は良い方向に作用することはありませんでした。

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強行的に変化を加えたかったフロレンティーノ・ペレスでしたが、懸念された通り、ベニテスはたった7ヶ月で解任の憂き目に遭うことになります。ロナウドとの確執、エル・クラシコで4-0の大敗…。
後任には既に準備を整えたジネティーヌ・ジダンが。

ファンからの懐疑的な意見は、当然のことだったという評価も多かったようです。
バレンシアやリバプールで、リーガ・エスパニョーラ、チャンピオンズリーグ、FAカップを制覇したのは既に10年以上も前のことであり、ナポリでは結果的に地味な仕事を終えたばかりだったのです。

ちなみに、ベニテスは開幕前のプレシーズンの時点でファンからブーイングを浴びるほどの不人気だったとのことで…。こうした経験の積み重ねで、もはや逆境など気にしない領域まで到達しているのかもしれませんね…。ある意味、フットボールというゲームだけに真正面から向き合っているのかもしれません。もし、21-22シーズン観客動員が可能ならば、開幕戦、マージーサイド・ダービーなど、どのような雰囲気になるのでしょうね…。


▼三度、舞台はプレミアリーグへ。
降格と昇格、愛するクラブ
ニューカッスル時代。2016〜2019

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ニューカッスルは、2015-16シーズンの残り10試合、プレミアリーグの安全圏まであと1ポイントという状況で、スティーブ・マクラーレンの後継者としてマドリーを解任されたベニテスを指名しました。
結局、セント・ジェームズ・パークの伝統あるクラブが降格するのを防ぐことはできませんでしたが、2016-17年のチャンピオンシップで優勝し、すぐさまプレミアリーグへの復帰を果たしました。降格しても引き続きチームを率いたこと、共に歩み見事プレミアリーグへの帰還を果たしたこと…継続性を見せ、ファンを味方につけることに成功しました。嫌われ続けた長い期間が報われるようで…(色々ベニテスを調べ続けた影響で、人は興味の無かったオジサンでも、少なからず愛着や感情移入というものが生まれるのね…と再認識しました)。

ニューカッスルは、プレミアリーグに復帰した初年度は10位、翌年は13位で終えました。

ベニテスがファンの心を掴み、まさにこれからチームはステップアップを果たすとき!と、期待した人は多かったでしょう。中国のクラブから提示された金に目が眩んだ、ニューカッスルを捨てた!と判断するサポーターも多かったようです。上記リンクは、ニューカッスルを離れた理由や背景について、2019年にベニテス自らAthleticへ記事を寄稿しています。興味がある方はどうぞ。

振り返ってみると、ニューカッスル退任の背景にはまたも上層部との意見の相違が生まれていました。バンドが解散する時の「音楽性の違い」、夫婦が離婚する時の「価値観の違い」と同じくらい、ベニテスは毎度のこと上層部と上手くいっていません。解任時の言い訳としてうまく使っている節もありますが、自分の補強戦略は正直に伝え、強く要望するタイプと思われます。
エヴァートンではブランズと方向性が合うかどうか。そして、モシリ&ウスマノフと契りを交わした中で、どのように折り合いをつけていくか、戦績が伴わない場合の焦点のひとつとして見どころとなるでしょう。ニューカッスルでは、オーナーのマイク・アシュリーの財布のひもが固く、また投資すべき注力ポイントも合致せず、思うような選手補強は叶いませんでした。メディアも、十分な援護がなかったことを擁護する見方も多かった印象です。

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さらに、元ニューカッスルのクリス・ワドルはアシュリーの姿勢を非難し、レジェンドのアラン・シアラーはベニテスを絶賛しました。

このように、エヴァートンでも、ファンのみならずクラブOBやメディアもどのように味方につけていくかもポイントとなりそうです。
ちなみに、リヴァプールOBのジェイミー・キャラガーはアンチェロッティ退任時において、後任のオススメには真っ先にベニテスを挙げていました。モシリの趣向を踏まえた上で発言していました。ズバリ予想通りな展開でしたね。今後、こうした周囲の発言も注目してみてもいいかもしれません。

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このように、オーナーとの関係が向上しなかった背景も相まって、ベニテスは新たな舞台を中国へ移すことを決断します。自身が抱えるスタッフの生活を守る為、また自身の野望が叶う見込みがあるオファーを受け、次に進む選択をしたのです。

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▼プロジェクトに感銘を受けるも、
肝心のフットボールに満足いかず。
そして、家族のもとへ戻る決断を…
大連一方時代。2019〜2021


中国東北部のクラブ「大連一方」(2020年より大連プロフェショナルFCへクラブ名を変更)は、中国で最も裕福な人物の一人である王健林(ワンダグループの創設者兼オーナー)が所有しています。

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ベニテス自身、明らかに大連一方のプロジェクトに魅力を感じていたようで、「大連で見つけたのは、最高のタイミングで到着した素晴らしいプロジェクトであり、これが私の決断の大きな要因となりました」とコメントしています。クラブ首脳陣の全面的な支援と信頼を得て、心奪われる形で就任に至りました。ニューカッスルでは明確なプロジェクトやビジョンがないと言っていたベニテスですが、大連一方はそんな彼の希望を叶えた、ということになります。

しかし、蓋を開けてみると、チームが躍進を遂げることなく中途半端な順位を辿る光景が続きました。
ベニテスがこれまで率いたチームの中でもフットボールとしての質が低く、戦術もうまく浸透しないまま時間が過ぎていきます。
さらに、彼の状況を悪くしたのが世界的なパンデミックの流行でした。家族の住むマージーサイドへ戻ることを決意します。

ベニテスは選手との関係を深く築くことがない一方で、マージーサイドに住む家族については、しきりにインタビューで口にしています。また、慣れ親しんだプレミアリーグが恋しくなったのか、ヨーロッパ圏を始め、イングランドへ戻りたいという思いが再燃するようになったのもこの時期からでした。

新たな魅力あるオファーを待つため、大連一方を離れました。双方合意の決定でした。当時、スコットランドのセルティックがベニテスへ興味を示す、という報道が流れましたが、最終的にはJリーグの横浜Fマリノスからポステコグルーが就任することで決着しましたね。


さて、Chapter.2ではベニテスが監督として歩んだ各クラブでの足取りをおさらいしてきました。実に20年以上に及ぶ監督人生を掻い摘むような形ではありましたが、やはり長くなってしまいました。
次章では、ようやく戦術について触れさせていただきます。

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Chapter.3
戦術

▼ベニテスの4-2-3-1

ベニテスの主な戦術、代表的なシステムなどを確認してみましょう。長い監督としてのキャリアから、共通点や特徴に的を絞って取り上げられたらと思います。
まず最初に、ここで頼らせていただくのが、お馴染み「Tifo Football」です。
ベニテス戦法を知る基本として、最もポピュラーなのが4-2-3-1のシステムですね。

さらに深度を高めたい場合は、ニューカッスル後期の5-4-1も。

バレンシア時代の「1-0の達人」という異名が示す通り、ベニテスの戦術は守備の構築がベースとなります。

なんと、ベニテスは多くの戦術家同様、そしてカルロ・アンチェロッティと同じく、アリーゴ・サッキの哲学に大きく影響を受けた1人として有名です。比較的、ボール保持、循環に重きは置かず、鋭く速いカウンター攻撃が軸となっています。

個人的に、''堅守速攻''という点ではエヴァートンのカラーとはマッチしていると思います。アンチェロッティが選んだ戦法とも近いと思われます。

故に、ベニテスが披露するフットボールは地味で退屈だ、と揶揄されがちです。事実、前述のバレンシア時代は少ない失点数、堅実な守備がチームの優勝へ導きましたが、得点数は首位のそれではなく華やかさには欠けていました。

また、特徴のひとつとして頻度の多いローテーションはヨーロッパの大会と両立するための手段として役に立ちましたが、チームが好調を維持するための面においては障壁になることも少なくありませんでした。エヴァートンは幸いにもリーグに集中できる環境です。どの程度のローテーションが行われるかは注目です。
アンチェロッティ政権で出番の少なかった選手にスポットが当たることも期待したいところです。


守備面においては4-2-3-1の静的システムから、トップ下のポジションにもプレスバック及び守備参加を求めます。また各トランジションにおける守備面の規律も厳しいと言います。フラットでコンパクトな4-5のラインでネガティブ・トランジションを対応します。
基本的にはゾーンディフェンス。明確なハイプレスは実行せず、網を張り相手を待ち受けるタイプです。ボールを奪えば1トップをターゲットにし、攻撃的なMF3枚がサポートに入ります。

攻撃面では、この攻撃的なMFの個人能力に依存します。その点ではアンチェロッティに似ているかもしれません。ですが、ベニテスの場合は守備同様、攻撃の部分においても細かな修正ができる対応力が強みだとも言われています。ハーフスペースをどのように攻略するかに美学を持ち、ワイドに幅を保つのか、センターフォワードと近い距離を保つのか、状況に応じて常に次の手を探ります。
バレンシアではビセンテとルフェテの両ドリブラーとアイマールのキープ力が、鋭い高速カウンターのクオリティを維持。リヴァプールでは、ジェラードの展開力を活かして幅を広く活用し、サイドアタックを中心にゴールへ迫りました。サイドの攻守には献身的なディルク・カイト、高精度の左足を持つハリー・キューウェルやテクニカルなルイス・ガルシアなど、カウンター・スタイルにマッチする選手たちに恵まれました。そして、ミスタやF・トーレス、といったシングルでも強さを発揮できるポストプレー&得点力の高いストライカーが求められます。

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バレンシアやリヴァプールでは守備構築はもちろんですが、カウンターに鋭さを持たせ、その攻撃的な選手たちが守備にも労を惜しまない姿勢を見せたことでチームの粘り強さを生み出しました。

一方で、チェルシーやナポリでは、前線の選手に確かなクオリティはあったものの、守備への貢献という点では苦労した側面も垣間見られました。

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チェルシーでは「マジカル・トリオ」と称されたエデン・アザール、フアン・マタ、オスカルの3銃士、ナポリではインシーニェ、ハムシク(メルテンス)、カジェホンが崩しにおける鍵を握りました。実際にその速さと精度は多くのチームにとって脅威となり、幾多のディフェンス網を破壊してきました。ただし、自軍ディフェンスラインとの連携は守備時において脆さを見せました。SBがリスクを取りすぎる場面もあり安定性に欠くことが目立ってしまったといいます。
そのため、中盤の守備強度を高めることを目的に、CBのダビド・ルイスをボランチで起用した大胆な采配を見せたのは、実はベニテスが最初でした。


ニューカッスルを率いたころ、5バックを導入した時期もいくつかありました。それは批判の的ともなりました。相手をリスペクトしすぎではないか、選手のクオリティが相手に劣ったとしても、ホームでその戦い方はあまりに臆病ではないか、という指摘です。
エヴァートンでは、上位のチームにどういった振る舞いを見せるか見ものですね。

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また、vsニューカッスルで、エヴァトニアンにとっては苦い思い出として残っているゲームがあります。2点先取から3失点を喫して敗北したお粗末なゲームですね。
あの時、ニューカッスルは3-4-3の布陣を敷きました。シングルストライカーのロンドンが孤立する状況や傾向が強まっており、その解決案としてアジョセ・ペレスやミゲル・アルミロンが前線に加わる形です。この3バックの試みは大連時代にも実践しています。

まずはベニテスの戦術と、チームの素材を馴染ませていく上で4-2-3-1をベースとして組み立てることが予想されます。
現時点では、誰がチームに残留し、旅立っていくかを様子見している段階ですが、7月下旬のアメリカ遠征でどのような試みがあるか、期待半分、楽しみに待つとしましょう。


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Chapter.4
まとめ‐期待と懸念

ここまで長くお話ししてきましたので、期待と懸念を簡単にピックアップして、まとめとさせていただきます。プレミアリーグは慣れたもの、英語は流暢、マージーサイドの文化は理解している…etc
基本事項は心配入りませんが、多くのエヴァトニアンの目は厳しいものです。

<期待>

①大前提として、「ベニテス招聘=短期目線」が現実的な路線となってしまいました。Vol.0の内容とは一体なんだったのか()
これで、ヨーロッパ進出は絶対目標です。仕方なくCL出場権は当たり前として期待しましょう。あとはカラバオカップかFAカップも優勝しておきましょう。

②守備強度の向上を期待
アンチェロッティの、「とりあえず苦しい時はゴール前に人揃えとけば大丈夫やろ戦法」が嫌いでしたので、しっかりブロック形成してコンパクトでソリッドな守備を築いて欲しいです。「1-0の達人」?笑わせないでくれ、とならないことを期待。

③1TOP+3MFの攻撃
で、その後の攻撃が肝心ですね。リシャーリソンの再ブレイクはもちろん、パターンが限られた攻撃面をどう捉えているか注目したいです。ローテーションの中で、若手からベンチを温めていた選手まで、色々と試してほしいですね。おそらく退屈かつ塩試合はみなさん覚悟しておきましょう。

<懸念>

移籍市場の動き
多くのクラブで実行したようなスペイン語圏の選手獲得があるかどうか。ベニテスの望む補強は必要ですが、現戦力と売却のバランスをしっかり考えて欲しいですね。そして、ブランズとの相性。マイク・アシュリーとの関係を鑑みると、現在ニューカッスルにいる選手を連れてくるのは非現実的ですね。当時在籍して、現在は移籍しているなら別ですが…。
あとは、また20代後半以降の高額な選手が増えないか心配しています。

上手くいかなかった時ですね。これです。
人間とは愚かなもので、同じ過ちを繰り返します
ファンの声を聞かなかったらどうなったか、考え始めると厭世的な雰囲気にしかならないので今回は自粛します。

今シーズン、楽しめるかどうか
私のブログ史上、もっとも長々と書き殴ったVol.1ですが、ベニテスのことを知ったところで結局今シーズンを楽しめるかどうかは分かりませんでした。(おい)

とにかく、こんな監督よりも試合を、選手たちを見たいですよね。

皆さんにとって、何か役立つ情報はあったでしょうか?今シーズンを追う中で、何かヒントになることがあれば幸いです。
もしくは、既にご存知のことばかりでしたらごめんなさい。あと、何か間違った情報や追加情報などございましたら是非ご指摘、ご教授をいただけたら嬉しいです。

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あとがき

各月連載を始めるにあたり、第1号は新監督をテーマとすることに決めていました。そのタイトルを考えた中で私が思い浮かんだのは、個人的な嗜好ですが、世界的ベーシスト、ジャコ・パストリアスのデビュー作品が思い浮かびました。

ジャズ、あるいはフュージョン、ソウル、エレクトリックベースを用いた超絶技巧のベーシストとして有名なジャコ・パストリアス。彼のデビュー作品「ジャコ・パストリアスの肖像」をモチーフにしています。

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なぜ、このタイトルが浮かんだのか
特に、60年代以降のミュージシャンにおいて、ドラッグ、マリファナ、コカイン、ヘロインといった薬物の摂取は有名な話です。中には死因に繋がるケースも多く、ジミ・ヘンドリクス、マイルス・デイビス、マイケル・ジャクソンやプリンスも原因のひとつとして語られています。
ジャコ・パストリアスも天才的な実力を持ちながら、薬物によって人生を狂わされた1人です。

薬物を使用する理由には、それが音楽、ロックやジャズのスタイルだとか、プレッシャーを緩和できるだとか、自分のもつ潜在性を引き出してくれる…などなど、様々な言い訳が並びます。

と、今回は決して往年のミュージシャンについて語るものではありませんのでこの辺にして…

要は、音楽(ミュージシャン)とドラッグの繋がりに、フットボールとお金の関係性を見たからです。
切っても切れない、一度踏み入れたら後戻りはできない、そんな思いが巡ってしまう1ヶ月を過ごすことになりました。

ただ、それでは楽しくない。
エヴァートンに関するブログを立ち上げたのは、より楽しむため、読者の方と想いを共有したいからです。

ラファ・ベニテスの入閣は決して歓迎されたものではない状況ですが、蔓延する懸念と不安に立ち向かうべく、彼を知る努力をしてみたいと考えました。
彼を取り巻く環境はあまりに厳しい。
就任したのなら、この煙幕を消し去るほどの結果を残すしかありません。
あとは、時の流れの中で、好きに批判していきましょうという心持ちです。
21-22シーズンのエヴァートンを応援したい気持ちを腐らせたくないのは、皆一緒の考えではないでしょうか。

例えば、レスター・シティを率いるブレンダン・ロジャースがエヴァートンに就任するとなったら、私たちはどのような反応を示したでしょうか。もしくは、スティーブン・ジェラードだったら?同じライバルクラブの経験がある人選でも、異なった声をあげていたかもしれません。その差はなんでしょうか。多々、聞こえて来る声はあります。

なぜ、不安なのか、皮肉にもアンチェロッティが退任したことで、考えなくてもよかったこと、気づかなかったこと、潜在していた要素に目を向けることとなりました。ファンの数だけ、理想や描く青写真があるはずです。だからこそ、ベニテスを選択したクラブに疑念を抱いたのは自然な流れだったと思います。しかし、クラブの選択した道に従い、正しく批判することも必要だと思います。そのために、基礎を知っておきたかったのです。

序章として記した「エヴァートンに必要な7つのこと」を軸とした時、その各項が今後どのように達成されるのか、離れていくのか、もしくは新たな感情が芽生えることもあるかもしれませんが、変わらずにエヴァートンを応援していきたいと思います。果たしてベニテスを"ラファ"と呼べる日はやってくるのか…

と、初回から長々とシリアスな内容となりました。(本当はハイテンションでスタートしたかった…真面目さが仇となる事もファンブログの一興という事でご容赦ください)

次回、第2号(8月ごろ)の配信も是非読んでいただけると嬉しいです。

どうか、エヴァトニアンにとって有意義なシーズンとなりますように。


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2021年7月 月刊NSNO「ラファ・ベニテスの肖像」

参考文献リンク


Image&Photo via Getty Images




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